タイム誌の表紙を飾ったロシア人、全57人

Legion Media
 ロシアの「農民」大統領からユーリー・ガガーリン、ウラジーミル・プーチンまで、有名なタイム誌の表紙を飾ったロシア人全員をご紹介しよう。

1. アレクセイ・ルイコフ、1924年7月 

 アレクセイ・ルイコフは、ボリシェヴィキに属したロシア人革命家で、1924年から1930年までソビエト連邦首相として有名になったが、ヨシフ・スターリンの粛清の犠牲となった。

 

2. レフ・トロツキー、1925年5月

 この有名なロシア人革命家は、トロツキズムとして知られることとなる、マルクス主義イデオロギーの新たな理論を生み出した。ソ連で失脚して亡命したトロツキーは、度々命を狙われ、ついにはメキシコでスペイン生まれの内務人民委員部職員によって暗殺された。 

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3. ミハイル・カリーニン、1928年11月 

 タイム誌はカリーニンを「農民大統領」と呼んだ。このソビエト革命家は実際に農家に生まれたが、ソ連の権力の階段を上り詰め、新しいソビエト国家のトップの座に就いた。彼はスターリンが権力を握った後もその座に留まり続けたが、影響力はほとんどなかった。

 

4. ヴャチェスラフ・メンジンスキー、1931年2月 

 このソビエトの政治家は、10以上の外国語に堪能で、ソ連の国家政治保安部(秘密警察)の長官を務めた。

 

5. アレクセイ・スタハノフ、1935年12月 

 このソビエトの炭坑労働者は、スタハノフ運動を鼓舞した指導者として1935年に有名人となった。スタハノフ運動とは、ソ連の労働生産性を高めることを目的として政治主導で始まったキャンペーンだ。

詳しくはこちら:ソ連が生んだ超人労働者たち

 

6. ヨシフ・スターリン、1940年1月

 タイム誌は1927年から「パーソン・オブ・ザ・イヤー」(「今年の人」)を選び始めた。1939年、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンは、タイム誌が「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選んだ最初のロシア人となった。彼は1940年1月1日にタイム誌の表紙に登場した。

 スターリンは度々タイム誌の表紙を飾り、1942年にも「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

詳しくはこちら:なぜスターリンはタイム誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に2度選ばれたのか?

 

7. ヴャチェスラフ・モロトフ、1940年7月 

 スターリンの腹心で熱心な支持者であったモロトフは、ソ連の高位の政治家・外交官であり、1939年から1949年までソ連外務大臣を務めた。1953年から1956年にもこの職に再任した。彼は、密かにポーランド分割を定めた1939年の独ソ不可侵条約のソ連側の署名者として知られている。ナチス・ドイツに勝利した後は、モロトフは西側の同盟国との交渉に携わった。

詳しくはこちら:ヴャチェスラフ・モロトフに関する6つの事実:100歳近くまで生きたスターリンの腹心

 

8. チモシェンコ元帥、1940年6月 

 ソビエト軍司令官、ソ連邦元帥のチモシェンコは、ソビエト・フィンランド戦争でフィンランドと戦うソビエト軍を指揮した。フィンランドに勝利すると、彼は伝説的な軍人クリメント・ヴォロシーロフに代わってソ連国防人民委員となった。

 

9. ブジョーンヌイ元帥、1941年10月 

 セミョーン・ブジョーンヌイは、ロシア内戦時の赤軍騎兵隊の創設者であり、スターリンの側近だった。しかし、1941年9月、スターリンはブジョーンヌイを解任し、代わりにチモシェンコ元帥を任命した。騎兵隊を率いて戦果を上げたにもかかわらず、近代的な戦争では軍を指揮する素質がないことを露呈したのだった。

 機械化された戦争における戦車の重要性を尋ねられたブジョーンヌイは、こう答えたとされる。「私を納得させることはできない。戦争が始まれば皆が『騎兵隊を呼べ!』と叫ぶだろう」。

 

10. ボリス・シャポシニコフ、1942年2月 

 スターリンが洗礼名と父称で呼んだ唯一の人物として知られているシャポシニコフは、ロシア帝国軍で将校として服務していたが、彼ほどの階級の将校には珍しく、ボリシェヴィキ革命を支持した。

 スターリンはシャポシニコフの文才を評価し、軍事理論に関する3巻本『軍の脳』(«Мозг армии»)を大いに称賛していた。

 

11. マクシム・リトヴィノフ、1942年5月 

 ソ連外交官のマクシム・リトヴィノフは、1930年にソ連の外交部門の最高職、外務人民委員に任命された。続く十数年間、リトヴィノフはソ連とともにナチス・ドイツと戦っていた西側の同盟軍との交渉における中心人物となった。 

 リトヴィノフは集団安全保障論者であり、ソ連とフランス、イギリスとの間により緊密な関係を築くこうと尽力した。

 ヒトラーによれば、リトヴィノフが1939年にソ連外務人民委員の役職を解かれたことは、独ソ不可侵条約の締結に役立ったという。リトヴィノフはユダヤ系だったからだ。

 それから彼は1941年から1943年まで在米ソ連大使として働いた。

 

12. ドミトリー・ショスタコーヴィチ、1942年7月 

 このロシア人音楽家は、20世紀最大の作曲家の一人と考えられている。1942年に発表されたショスタコーヴィチの『交響曲第7番』は、レニングラード市民のナチスに対する勇敢な抵抗を表していると言われ、士気を極限にまで高める必要がある際の愛国的闘争のシンボルとなった。

詳しくはこちら:ショスタコーヴィチ 7つの事実

 

13. ジューコフ大将、1942年12月 

 最もよく知られたソビエト軍司令官の一人ジューコフ大将(後に元帥となる)は、第二次世界大戦中、モスクワ、レニングラード、スターリングラードの防衛戦を組織した人物だった。ジューコフは赤軍を率いてナチス・ドイツに対する決定的な勝利をつかみ、後の1945年には、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦を公式に終結させたドイツ降伏文書の調印役に任命された。

詳しくはこちら:第二次大戦後スターリンと衝突したソ連で最も偉大な軍司令官ゲオルギー・ジューコフ

 

14. ゴリコフ上級大将、1943年2月

 独ソ戦の開戦前、ソビエト情報機関はナチスがソ連に侵攻しようとしているという複数の報告を受けていた。しかし、ソビエト軍情報機関の新しいトップ、フィリップ・ゴリコフは、軍情報機関での経験不足ゆえか、あるいはスターリンがこうした報告に断固聞く耳をもたず、ゴリコフの前任者5人を処刑済みないし処刑しようとしていたからか、これらの報告を無視した。

 1943年3月、ジューコフ元帥の主張に基づき、ゴリコフはヴォロネジ前線の司令官の職を解かれた。

 

15. ヴァシレフスキー元帥、1943年7月 

 1943年、赤軍の職業軍人アレクサンドル・ヴァシレフスキーは、ソ連邦元帥の称号を手にした。参謀総長として、ヴァシレフスキー元帥は、戦局を決したスターリングラードの戦いを含め、ナチス・ドイツとの戦争におけるソビエト軍のすべての攻撃の計画と調整に参与した。

 

16. コンスタンチン・ロコソフスキー、1943年8月

 ソ連のもう一人の元帥、ロコソフスキーは、ソ連で最も卓越した軍人の一人だった。ナチス・ドイツがロシアに侵攻した後、以前スターリンの弾圧に遭っていたロコソフスキーは軍に復帰し、モスクワ防衛戦とスターリングラードでの反撃において重要な役割を演じた。

 

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17. イワン・セルギイ、1943年12月

 第12代モスクワおよび全ロシアの総主教は、ソビエト指導者を説得して正教会に対する弾圧・迫害政策をやめさせようとし、ソビエト政府に対するロシア正教会の絶対的な忠誠を言明する宣言を出した。

 

18. ニコライ・ヴォロノフ、1944年3月 

 砲兵ニコライ・ヴォロノフは第二次世界大戦の防空を指揮した。1944年2月、彼は砲兵科総元帥に昇格した。

 

19. ノヴィコフ元帥、1944年7月 

 アレクサンドル・ノヴィコフは第二次世界大戦中空軍の航空総元帥だった。戦後、ノヴィコフは政治的陰謀の被害者となり、ジューコフ元帥に濡れ衣を着せるよう強いられたのだった。ノヴィコフは1953年にスターリンが死去するまで刑務所にいた。釈放後、ノヴィコフは航空電子工学の教師となった。

 

20. ビッグスリー、1945年5月

左側からウィンストン・チャーチル、フランクリン・ルーズベルト、ヨシフ・スターリン

 1945年5月、ソ連、米国、英国の軍がベルリンに入り、ナチス・ドイツが投降した際、タイム誌はそれぞれの国の軍の兵士のイメージを表紙に載せた。

 

21. セルゲイ・プロコフィエフ、1945年11月 

 20世紀の主要な指揮者の一人、プロコフィエフは、レフ・トルストイの『戦争と平和』の野心的なオペラ版など、圧倒的な規模の作品を作った。

詳しくはこちら:プロコフィエフ生誕125年

 

22. アンドレイ・A・ジダーノフ、1946年12月

 ソ連の強大な政治家だったジダーノフは、一時はスターリンの後継者になると考えられていた。しかし独裁者が死去する前に世を去った。ジダーノフはプロパガンダ・アジテーション部門のトップであり、「ソビエト・プロパガンダ隊長」として知られるようになった。ソ連作家のアンナ・アフマートワとミハイル・ゾーシチェンコに対する検閲も彼が指揮していた。

 

23. アンドレイ・A・グロムイコ、1947年8月

 ソ連外交を象徴する人物グロムイコは、1957年から1985年まで外務大臣を務め、国連安保理でソ連の拒否権を頻繁に使ったことから在職中に「ミスター・ニェット」(「ミスター・ノー」)というあだ名が付いた。

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24. アンドレイ・Y・ヴィシンスキー、1947年9月

 弁護士・外交官のヴィシンスキーは、ソビエト検事総長になり、こうしてスターリンの大粛清に貢献した。第二次世界大戦後、彼はナチスの戦争責任が問われたニュルンベルク裁判のソ連側の準備を担当した。

 

25. イーゴリ・ストラヴィンスキー、1948年7月 

 ストラヴィンスキーはロシア生まれの作曲家・ピアニスト・指揮者だ。ショスタコーヴィチとプロコフィエフと並び、彼は20世紀で最も重要な作曲家の一人と考えられている。

 

26. ゲオルギー・M・マレンコフ、1950年3月 

 1940年代末から1950年代初め、マレンコフはソ連の他のどの政治家よりもスターリンの寵愛を受けた。この間、マレンコフは力を付けてきたレニングラードの指導部を抑えるのに重要な役割を果たし、市の指導者らを逮捕した。 

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27. ワシーリー・スターリン中将、1951年8月 

 ヨシフ・スターリンとナデジダ・アリルーエワの息子は、1941年ナチス・ドイツがソ連に侵攻した時に空軍に入隊した。彼は1953年に父が死んだ3ヶ月後に逮捕され、ソビエト指導者らの中傷と反ソビエト・プロパガンダの罪に問われ、懲役8年の判決を受けた。彼は1960年に釈放された。ワシーリー・スターリンは慢性的なアルコール依存で2年後に死亡した。

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28. ラヴレンチー・ベリヤ、1953年7月

 ソ連の悪名高い警察長官、ベリヤは内務人民委員部のトップになった。ちなみにベリヤは1953年のスターリンの突然の死に関与したという説がある。

詳しくはこちら:ラヴレンチー・ベリヤに関する5つの事実:ソ連核開発の組織者の素顔は

 

29. イーゴリ・シコールスキー、1953年11月

 ロシアにおける回転翼機と固定翼機の設計のパイオニア、イーゴリ・シコールスキーは1919年に米国に亡命した。生涯を通して、彼は30種の航空機を設計した。 

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30. ニキータ・フルシチョフ、1953年11月 

 スターリンの後継者は脱スターリン化の波を起こしてソ連史の新しい一幕を開いた。彼はタイム誌の表紙に何度も現れ、1957年には「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。 

詳しくはこちら:ソ連時代の神話を検証する:国連でフルシチョフは靴で机を叩いたか?

 

31. ニコライ・ブルガーニン、1955年7月

 スターリン政権の国防相ブルガーニンは、ニキータ・フルシチョフ政権でソビエト連邦の首相と国防相の職を務めた。

 

32. アナスタス・ミコヤン、1957年9月 

 この共産主義革命家はソ連で最も長く務めた政治家の一人で、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ政権で働いた。

 アナスタス・イワーノヴィチ・ミコヤンはアルメニア人共産主義革命家で、オールド・ボリシェヴィキの一人であり、ソ連でも政治家を務めた。ソ連の核ミサイルをキューバから撤去する際には、彼が中心となってキューバの共産党政権と交渉した。

 

33. アレクサンドル・ネスメヤノフ、1958年6月

 この際立ったソ連の化学者・アカデミー会員は、有機金属化学を専攻していた。ネスメヤノフこそが、まさにこの「有機金属化学」という用語を広め、ソ連におけるこの科学のリーダーとなったのだった。

 

34. ボリス・パステルナーク、1958年12月

 このロシア人詩人・作家・翻訳家は、小説『ドクトル・ジバゴ』で最も有名だ。この作品はソ連では発禁となり、イタリアに密輸して発表せねばならなかった。 

詳しくはこちら:ボリス・パステルナークについての7つの事実

 

35. フロル・コズロフ、1959年7月 

 レオニード・ブレジネフがソ連の政権に就く前、コズロフはニキータ・フルシチョフの最も有力な後継者と考えられていた。

 

36. ロディオン・マリノフスキー、1960年5月 

 ソ連邦元帥であり、1950年代末から1960年代にソ連国防相を務めた彼は、ソ連を軍事大国として強くする上で重要な貢献をした。

 

37. ワレリアン・ゾリン、1961年2月

 このソビエト人外交官は、1962年のキューバ危機におけるアメリカ人外交官アドレー・スティーヴンソンとの対決で最もよく記憶されている。

 

38. ユーリー・ガガーリン、1961年4月

 世界初の宇宙飛行士は、歴史的なミッションから無事に帰還した後、世界的なセンセーションとなった。 

詳しくはこちら:ガガーリンの宇宙飛行についての知られざる10の事実

 

39. エヴゲーニー・エフトゥシェンコ、1962年4月

 このロシア人詩人は、作家、随筆家、劇作家、脚本家、出版家、俳優、編集者でもあり、いくつかの映画の監督でもあった。アンナ・アフマートワやジャン=ポール・サルトルなどの同時代の有名人らとともに、彼はロシア人作家ヨシフ・ブロツキーに対する不当な裁判に抗議する書簡に署名した。

 

40. ニコラエフ少佐とポポヴィチ中佐、1962年8月 

 これらのソビエト人宇宙飛行士は、世界で初めて有人宇宙船を共同で操縦した。

 

41. レオニード・ブレジネフ、1964年2月

 ブレジネフは、後に停滞期として歴史に刻まれることになる時代にソ連を率いた。 

詳しくはこちら:レオニード・ブレジネフ生誕110年

 

42. ウラジーミル・I・レーニン、1964年4月 

 1917年のボリシェヴィキ革命の指導者は、1964年についにタイム誌の表紙に現れた。遅くてもやらないよりはまし。

詳しくはこちら:レーニンの生涯:その驚くべき5つの逆説

 

43. アレクセイ・コスイギン、1964年11月

 この有名なソ連の政治家は、米国との軍備管理交渉を行い、中国を含む共産主義国家との関係を監督することで、ソ連外交において卓越した役割を果たした。 

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44. エフセイ・リーベルマン、1965年2月 

 このソビエト人経済学者は、ソ連経済に焦点を当ててその活性化を試みたが、失敗に終わった。彼のアイデアは当時ソ連の緊密な同盟国だった東ドイツでも採用されていた。

 

45. アレクセイ・レオーノフ、1965年3月 

 レオーノフは、人類史上初めて宇宙遊泳を行って歴史に名を残した。

詳しくはこちら:アレクセイ・レオーノフが85歳で死去:世界で初めて宇宙遊泳を行った人

 

46. マルク・シャガール、1965年7月 

 マルク・シャガールは、ベラルーシのユダヤ人家庭に生まれたロシア系フランス人芸術家だ。彼はモダニズムのパイオニアとして、また主要なユダヤ人芸術家として知られた。 

詳しくはこちら:マルク・シャガールの悲しみと喜び

 

47. セルゲイ・ゴルシコフ提督、1968年2月 

 1968年、タイム誌はソビエト海軍がアメリカ海軍にとって新たな脅威であると綴り、ゴルシコフ提督をその象徴として見せた。冷戦中、彼がソビエト海軍の世界規模の拡大を監督していたからだ。

 

48. アレクサンドル・ソルジェニーツィン、1968年9月

 この作家はスターリンの恐怖政治の恐ろしさを公表し、1970年にノーベル文学賞を受賞した。

詳しくはこちら:生誕100年を迎えるソルジェニーツィンの5作品 

 

49. ウラジーミル・ナボコフ、1969年5月 

 このロシア系アメリカ人小説家・詩人・翻訳家は、米国に移住した後に世界的な名声を手にした。彼の最も有名な作品の一つが、スキャンダラスで刺激的な小説『ロリータ』だ。

詳しくはこちら:ノーベル賞を受賞しかけたロシア・ソ連の作家6人

 

50. アナトリー・シチャランスキー、1978年7月

 ナタン・シチャランスキーとして知られている男は、現在イスラエルの政治家だ。彼は1977年3月にソ連で逮捕された。国家反逆罪やアメリカに協力したスパイ行為など複数の罪に問われたのだった。釈放後、彼はすぐにイスラエルに亡命した。

 

51. ユーリー・アンドロポフ、1982年11月 

 ユーリー・アンドロポフはレオニード・ブレジネフの後任としてソ連の6人目の指導者となった。

詳しくはこちら:ユーリー・アンドロポフに関する5つの事実:ソ連を統治した唯一のKGB出身者

 

52. ミハイル・ゴルバチョフ、1987年7月 

 ソ連最後の指導者は、冷戦の終結に貢献したと広く考えられている。

詳しくはこちら:ミハイル・ゴルバチョフが国際舞台で成し遂げた4つのこと

 

53. ライサ・ゴルバチョワ、1988年6月 

 ソ連のファーストレディーであり、ミハイル・ゴルバチョフの妻であるライサは、ロシアの文化遺産の保護のための基金を募り、新しい才能の育成や病気の子供たちの療養プログラムにも力を入れた活動家でもあった。 

詳しくはこちら:最も有名なソビエトのファーストレディーたち

 

54. アンドレイ・サハロフ、1990年5月 

 ソ連の水爆の父サハロフは、軍縮、平和、人権を求める活動家としても知られ、ノーベル平和賞を受賞した。

詳しくはこちら:サハロフ博士没後25年 

55. ボリス・エリツィン、1996年7月

 ロシアで初めて民主的に選ばれた大統領は、数十年にわたる旧ソ連の計画経済から新生ロシアの市場経済に切り替える上で重要な役割を果たした。エリツィンはルーブルの自由化と民営化(国有資産の民間人への売却)を推し進め、予算不足によって山積した問題を解決しようとした。エリツィンは1999年12月31日に大統領の職を辞した。 

詳しくはこちら:ロシア初代大統領ボリス・エリツィンはどのように身を引いたか

 

56. ウラジーミル・プーチン、2007年12月

 

 現職のロシア大統領、元KGB職員は、世界中の記者と民衆を飽きさせない魅力を持つ人物だ(時にはスケープゴートになることも)。 

詳しくはこちら:プーチンが大統領になる前の様子(写真特集)

 

57. プッシー・ライオット、2012年 

 このフェミニスト・パンク・ロック、パフォーマンスアート集団は、タイム誌が世界の影響力のある女性100人を特集した2012年に同誌の表紙に現れた。

 

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