今日、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは何よりも、何百万、何千万もの人々を恐怖に陥れた冷酷な独裁者として記憶されている。だから、アメリカのニュース雑誌『タイム』の赤い枠で囲まれた特別号に、彼の顔が出ているのを見ると、ちょっと驚くかもしれない。ちなみに、2020年1月には、17歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリが登場している。
しかしスターリンは一度ならず登場しており、複数回選ばれた4人の非アメリカ人の1人となっている。これは実際、この人物が世界史で果たした役割の大きさを物語っている。
時は1939年にさかのぼる。戦争が迫っていた。ヒトラーは、チェコスロバキアを占領したばかりで、将来連合国を形成することになるフランス、イギリス、ソ連は、ナチス・ドイツを阻止するために、多国間防衛条約について交渉中だった。
しかし、交渉は行き詰まっていた。英仏は、スターリンが軍事援助を口実にして近隣諸国を占領するのでは、と警戒していた。英仏は、共産主義者たちの当初の構想、つまり世界革命を忘れていなかった。また、スターリンによる大粛清で打撃を受けた赤軍(ソ連軍)が実際に戦えるのか疑問に思っていた。
当時の英首相ネヴィル・チェンバレンは友人にこう書き送っている。
「私は、ロシアに深い不信の念を抱いていることを告白しなければなりません。仮にロシアがそう望んだとしても、効果的な攻撃を維持する能力があろうとはまったく信じられません」
一方、スターリンは、英仏がヒトラーの矛先を東に向けようとしていると勘ぐっていた。共産主義者とナチスが戦って弱体化し、西ヨーロッパをあらゆる問題から救ってくれる、というシナリオを描いているのでは、と。
このほかにもスターリンには、英仏を疑う理由がそろっていた。欧州のこの両大国は、同盟国チェコスロバキアを裏切ったばかりだったし、ヒトラーがスペインのファシスト(フランコ政権)を支援し、オーストリアを併合し、ヴェルサイユ条約を踏みにじっても、傍観しているばかりだったから。
スターリンが最後の賭けに出たのは、こんな状況においてだった。彼は、ヒトラーとの不可侵条約を選択した。英仏との同盟関係の行方が怪しいことを見越してのことだ。
スターリンは、独ソ不可侵条約により、戦争に備える時間を稼いだ。また、条約の非公開の部分である、いわゆる「秘密議定書」により、ソ連の国境をより西方にずらし、バルト諸国、ポーランド東部、ルーマニアの一部を併合した。要するに、旧ロシア帝国領をほぼ回復したわけだ。一方、ヒトラーも、東方で戦端が開かれぬようにできたことで、西方での戦いにフリーハンドを得た。
独ソ不可侵条約の調印、1939年8月23日、モスクワにて
Global Look Press独ソ両首脳はまた、経済協力を復活させた。両国のそれは、1933年にヒトラーが権力を掌握した後、急激に減っていた。
不可侵条約締結の4日前に、独ソ両国は大規模な貿易協定を結んでいる。これは、ソ連は第三帝国に対し、機械と工場設備の供給の代償として、原材料を供給するというものだ。スターリンにとってこの協定は、ソ連の工業化を完遂するのに、ドイツの技術に頼れることを意味し、ヒトラーにとっては、ソ連の豊富な原材料を得て、戦時経済を維持できることを意味した。
独ソ不可侵条約は、まさに青天の霹靂であり、タイム誌はこれを、「文字通り世界を震撼させた外交的策略」と呼び、スターリンを「マン・オブ・ザ・イヤー」に選んだ。彼が独力で、「欧州のパワーバランスを切り替え」、ドイツが第二次世界大戦を始める道を開いたためだ。
「ナチスの戦争遂行を認め、好戦的なアドルフ・ヒトラーのパートナーになるという、この『一撃』により、ヨシフ・スターリンは、ソビエト・ロシアは平和を愛好し条約を遵守する国であるとの、慎重に培われてきた評判を、惜しげもなく投げ捨てた」
タイム誌は、スターリンがナチスに敵対するようになった後も、多年にわたりスターリンのこの行動を嘆いた。
欧州のマスコミも同じく驚愕した。英紙「ガーディアン」は、スターリンの行動を「ロシアの変節」と呼び、独ソが東欧の勢力圏分割で合意した可能性があると推測した。
仏紙「Paris-soir」は、工場労働者たちは「ニュースを読んで目をこすった」と書き、独ソ不可侵条約を「欧州の外交戦線で炸裂した爆弾」になぞらえた。
一方、ソ連のマスコミも、それなりにショックを受けた。第三帝国を「ファシストの侵入者」や「侵略者」などと呼んで長年こき下ろしてきた後で、突然「ドイツ軍」や「ドイツ」といったもっと穏やかな言葉を使わねばならなくなった。それでも、ソ連のほとんどの新聞は、不可侵条約を平和への第一歩として称賛し、モロトフ外相の演説を一面に載せた。
演説の中でモロトフは、同盟交渉における英仏の「鈍重さ」と「怠慢」を非難した。そして、彼の主張によれば、その結果、ソ連にとっては、「独ソ間の平和を保証し、戦争の危険をのぞくために」、別の選択肢を探すしかなくなった。これが、モロトフによれば、この条約の究極の意味である。すなわち、欧州最大の二国家の敵対に終止符を打ち、それにより平和を強化すること――。
しかし、スターリンがヒトラーと取引した理由について、タイム誌には自説があった。
「長い間、ロシアは、資本主義国が連合して、自分たちに立ち向かってくる悪夢にとりつかれていた」。そして、同誌の推測によれば、「容易に起こり得るこの攻撃に対して…対策を講じるように」スターリンを駆り立てたのは、たぶん「この悩ましい恐怖」だった。
今日にいたるまで、歴史家たちは、独ソ不可侵条約の真の意図、意味について論争している。それは、ナチスに対するソ連の防壁の強化だったか?スターリンの拡張主義の証だったか?スターリンは英仏を信頼すべきだったのか?それとも、スターリンのほうが、パワーゲームで英仏を裏切ったのか?将来、我々は果たしてこれらの問題をすべて解明できるだろうか?…
この議論は、常にロシア対欧米の図式で二分されているわけではないが、しかしここで注意すべきは、双方がそれぞれ主要なアプローチを持っていることだ。欧米の学者はしばしばこの条約を、第二次世界大戦を勃発させた唯一の「悪行」とみなす。例えば、米作家ティモシー・スナイダーは次のように主張している。
「仮にこの条約がなかったら、戦争がどう進展したか分からない…。我々が知っているのは、戦争が、独ソ両国の同盟とともに、あらゆる残虐行為をともなって始まったことだ」
なかには、こうした意見をさらに推し進め、こう主張する者もいる。独ソ不可侵条約ゆえに、スターリンとヒトラーのいずれも、その後の戦争のあらゆる惨禍に対して非難されるべきである、と。こうした精神は、2019年09月19日の欧州議会決議にも通底している。
この決議はこう主張する。「戦争は、悪名高い独ソ不可侵条約の直接の結果として始まった…。この条約により、世界征服の目標を共有する2つの全体主義体制が、欧州を2つの勢力圏に分割した」
ロシアの歴史家たちは、こうした立場に真っ向から反論し、この協定は、ヒトラーの行動を可能にした、利己的で近視眼的な一連の政策の最後のものに過ぎないと言う。
「ヒトラーとの結託は、西欧の民主主義国が最初に試したシナリオだった」。モスクワ国際関係大学のアルチョム・マルギン氏は書いている。
同氏によれば、ソ連の行動は、英仏の融和政策と同様にシニカルではあるが、「ソ連は、自国の領土に対するはるかに大きな軍事的脅威に直面し、ドイツの戦争準備がはるかに進んだときに、ヒトラーと手を組む挙に出た」
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、2020年に「National Interest」誌に寄稿し、こう指摘している。
「当時の欧州における他の多くの指導者とは異なり、スターリンは、恥ずかしげもなくヒトラーに会ったりしなかった。ヒトラーは、西欧諸国では非常に評判の良い政治家であり、欧州各国で歓迎されたゲストだった」
しかし、一つはっきりしているのは、その後の出来事が東欧諸国に多大な犠牲と損害を与えたことだ。スターリンは、それらの領土を併合した後、大量の逮捕と強制追放を開始し、抵抗を未然に打ち砕いた。
ポーランドに対しては、国際人権団体「メモリアル」の推定によると、1939年9月から1941年6月の間に、「カティンの森事件」で2万2千人の将校が処刑され、約32万5千人の一般市民が特別居留地と強制収容所に送られた。エストニアでは、同じ期間に1万人が国外追放に遭い、ラトビアでは1万7千人、リトアニアでは1万7500人が同じ処分になった。ルーマニアの併合地域からも、少なくとも3万人の市民が国外追放。
時代は下り、ペレストロイカ期の1989年、ソ連は、独ソ不可侵条約の秘密議定書を非難して、それは不法であり、他国の主権と領土保全に違反していると声明した。
しかし1940年に、タイム誌は、これよりはるかに厳しい判断を下している。すなわち、スターリンは近隣諸国を攻撃することで、世界中の社会主義者を裏切り、「世界で最も憎まれた男として」、ヒトラーと同列だとしている。
このように、1939年にタイム誌は「マン・オブ・ザ・イヤー」をこき下ろしたわけだが、3年後に同誌は、スターリンの別の側面を「発見」することになった。すなわち、鉄の意志を持つ指導者、ナチの大軍に抗して立ちはだかり、「粉砕する」不屈の政治家。
もっとも、実際のところ、この雑誌は、スターリンがスターリングラードで踏みとどまったことでロシアだけでなく、欧州全体も救った点については口をつぐんでいた。
「もしも、ドイツの軍団が堅固なスターリングラードを蹂躙し、ロシアの攻撃力を粉砕していたとしたら、ヒトラーは『マン・オブ・ザ・イヤー』になったばかりか、疑いなく欧州の主となっただろう」。タイム誌は、第二次世界大戦中最も大規模で凄惨な戦いについてこう書いている。「…しかし、ヨシフ・スターリンは彼を食い止めた」
確かに、ソ連がヒトラーの戦力の「背骨」を打ち砕いたのは、スターリングラードの焼け焦げた血塗れの街路においてだった。
全体で、ドイツとその同盟国は、最大85万人の損失を被った(戦死、負傷、捕虜を含む)。赤軍の犠牲はもっと大きく、110万人(戦死者、および重傷を負って死亡した者、捕虜となって死んだ者を含む)。
民間人の犠牲も甚大だった。人々は、容赦ない爆撃により、病気と飢餓により、あるいは直接侵略者の手によって、数十万人が亡くなった。
1943年、特別国家委員会は、この地域におけるナチスの犯罪を調査し、スターリングラード周辺の3万8554人の一般市民が占領軍によって故意にまたは拷問で殺害され、4万2797人が爆撃、砲撃で死亡し、6万4224人が強制労働のためにドイツに連行された64,224と報告した。
スターリングラードの街戦い
Global Look Press今日では、歴史家たちは、実数はもっと多い可能性があると言う。戦闘中に少なくとも23万5千人の民間人が市内および周辺地域で死亡したとする者もいる。しかし、この問題は依然としてほとんど研究されていない。
にもかかわらず、5か月にわたる凄惨な後、スターリンはヒトラーを敗北させ、再起不能に追い込んだ。タイム誌の意見によれば、スターリンがそれをなし得たのは、彼の強固な意志のみならずロシア人全体の意志のおかげだった。
とはいえ、スターリンの軍隊も大損害を被り、農地や産業も同様だった。数百万の人々が前線に送られたので、今や男性に女性が混じって、それどころか、しばしば子供もいっしょに、木を伐採し、工場で働いた。米国からの支援はあまりに遅かったし、しかも供給ルートがドイツ軍の攻撃で破壊された。欧州の西部戦線が開かれたのはようやく1944年のことだ…。
「1942年は、1941年よりも、ロシアにとって良い年になった。その方法を知っていたのはスターリンだけだ」。タイム誌の記事にはこう書かれている。「彼はそれをなし得た…。スターリングラードは持ちこたえた。ロシア人は持ちこたえた」
「ロシア人の抗戦への強烈な意志」が勝利へのカギとなったが、スターリン自身が倦まず弛まず打ち出した政策と外交術もまたそうだった、とタイム誌は書いている。食料不足と過労にめげず人々が戦っていたとき、彼は戦略を考案し、有能な軍司令官を選び、他の連合国からさまざまな約束をとりつけて、それを遅滞なく実行させることで、国民の士気を高めた――。こうした論調だ。
しかし、連合国からのソ連への支援は常にスムーズに行われたわけではない。1942年秋、北極圏経由の援助が中断し、スターリングラードが苦戦に陥ったとき、スターリンは、AP通信のモスクワ特派員、ヘンリー・キャシディに手紙を書き、その中で西側の指導者に「義務を完全かつ予定通りに履行する」よう求めた。
彼はまた、連合国からの援助は「あまり効果的でない」と、あからさまに言い、「ソ連が連合国に与えている援助」と比較した。「ソ連は自らに、ドイツのファシストの主力を引き付けることで巨大な援助を与えている」
だから、スターリンによる画期的だが冷酷非情な工業化で建設された工場は、1942年に大きな役割を果たしたわけだ。この当時、ソ連は孤立無援であり、連合国はほとんど当てにならなかった。 タイム誌が述べているように、第二次世界大戦におけるソ連の驚くべき強さは、スターリンが実際にロシアを「世界の四大工業国の一つ」に変貌させたことにあることを示した。
さらにタイム誌は、スターリンの「タフな」手法は「報われた」と主張さえしている。だがこれは、彼の大プロジェクトの恐るべき「人的コスト」を考えると、到底考えられぬ意見だ。
スターリングラードは間違いなく、第二次世界大戦における対ヒトラーの流れを変えた。なるほど、連合軍は1942年に、他にも重要な勝利を収めてはいる。イギリスは北アフリカのエル・アラメインでドイツを破り、米国は太平洋で日本への反撃に成功した。
しかし、タイム誌が述べるように、彼らの戦果は、「立派なものだと言えようが…ヨシフ・スターリンが1942年に成し遂げたことに比べれば色あせる」
以上が、タイム誌の2つの号、そしてヨシフ・スターリンをめぐる2つの物語だ。前者は世界を恐怖に陥れ、後者は驚嘆させた。すなわち、最初は残忍な暴君として、次に国家を勝利に導いた不屈の闘士として、登場している。
スターリンは、機を見るに敏な日和見主義者であり、抜け目のない政治家であり、冷酷な独裁者であり、防衛者でもあり、大粛清の張本人であり、工業化を推進した人物でもある――。80年経った今でも、世界は、彼の遺産のどの部分を記憶すべきか議論している。
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