生誕100年を迎えるソルジェニーツィンの5作品

イートン・カレッジ、1983年5月

イートン・カレッジ、1983年5月

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 今年生誕100年を迎える作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンは、1970年にノーベル文学賞を受賞したが、彼の作品はその後も長い間ソ連では禁書であり続け、手製の地下出版「サミズダート」でまず読まれて、広まっていった。ソ連市民は、ソルジェニーツィンを読んだというだけで、服役する危険を冒さねばならなかった。この作家の本が合法的に書店に現れるようになったのは、ようやくペレストロイカ末期の1980年代末のことだ。

 ソルジェニーツィンの著作は、ソ連における弾圧、粛清の最も仮借なき記録だった。そのほとんどは自伝的であり、強制収容所の囚人としての生活、釈放後に住まわせられた農村の暮らしの観察、そして彼の重病と癌からの奇跡的な回復などを描いている。

1.『イワン・デニーソヴィチの一日』

映画『イワン・デニーソヴィチの一日』の撮影中、1970年

 1962年に公式に出版されたこの本は、現在では20世紀文学の要に位置している。スターリンによる弾圧と強制収容所があからさまに描かれたのは初めてのことだった。

 ソルジェニーツィンがこの作品を着想したのは、1950年代にソ連のカザフスタン共和国の強制収容所に服役していたときである。作家が強調しているのは、ソ連の囚人の生活の典型的な一日を示したいということだった。彼は、ソ連全土の強制収容所で何百万人もの囚人が呻吟する恐るべき現実を捉えたかった。

 この本は、ソルジェニーツィンの最初の出版物になり、彼は世界的な名声を得た。さらに重要なことは、それがソ連と世界の歴史の両方に影響を及ぼしたことだろう。

2.『収容所群島』

白海・バルト海運河建設工事中の収容者、1932年

 257人の囚人の書簡、回想、物語、そして作者個人の経験にもとづいている。『収容所群島』は、革命直後の1918年から、スターリン没後の1956年までのソ連の抑圧を記録した、文学的かつ歴史的な傑作だ。

 ソルジェニーツィンは秘密裏に10年間(1958~1968)、この叙事的大作を執筆した。作品は、公式に出版される前に、ソ連で違法に流布していった。

 ソ連の秘密警察「KGB」は、『収容所群島』の影響を極めて憂慮し、そのコピーの所在と読者を特定しようと試みた。

 原稿を密かに隠し持っていたエリザヴェータ・ヴォロニャンスカヤは拘留され、原稿の在り処を明らかにしてしまった。帰宅後、彼女は縊死を遂げた(*ただしこれはKGBの報告書の記載であり、彼女の死因については異論もある――編集部注)。

 この悲劇の後、ソルジェニーツィンは、この作品をフランスで出版することを決意し、それは1973年に実現した。

 3.『マトリョーナの家』

マトリョーナの家のコピー、メジノフスキー村

 この短編のヒロインは、ふつうのロシア女性、マトリョーナ・グリゴーリエヴナだ。まったく目立たない老婆だが、国のモラルを底辺から支えるような有徳の人だと、作者は信じている。

 彼女は優しく、献身的で、他者を助けるために自分が持っているすべてを犠牲にする覚悟がある。ソルジェニーツィンが服役後に住まわされた村での記憶にもとづいて、ロシア女性の悲劇的な運命、この広大な国の僻遠の地でしか見出されないような純粋さと美しさを示す。

 2013年には、作家がかつて下宿していた本物のマトリョーナの家が、博物館となってオープンした(ウラジーミル州メジノフスキー村)。

4.『ガン病棟』

『ガン病棟』という芝居

 この自伝的小説は、1963年から1966年にかけて書かれたもので、1954年にタシケントのガン病棟で受けた治療体験にもとづいている。『ガン病棟』は最初ソ連で地下出版で流布した後、欧米で出版された。彼の小説『煉獄のなかで』とともに、文学上の大事件となり、1970年のノーベル文学賞受賞の理由の一つともなった。

5.『煉獄のなかで』

 1955~1958年に書かれたこの小説は、知識人が収容される研究所で働いていたときの思い出にもとづく。物語は、1949年12月の3日間に、モスクワ市内と近郊、主に囚人の技師が働く特殊収容所で展開する。

 ソ連外務省に勤務する外交官、インノケンチィ・ヴォロジンは自国を裏切って、ソ連諜報部員がアメリカの原爆に関する情報を盗もうとしていると米国大使館に通報する。特殊研究所で働く2人の囚人、レフ・ルービンとグレーブ・ネルジンは、その裏切り者の身元を明らかにする任務を与えられる。

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