――私がこの奇妙な偶然に気づいたのは、ようやく1917年10月の蜂起から3年も経った後だよ。神秘主義者やピタゴラス主義者は、そこから好き勝手な結論を引き出すことだろうがね。
――私は9歳になるまで、僻地の小さな村に住んでいた。8年間、学校で勉強した。学校を終えた1年後に初めて逮捕されたな。この当時の多くの者にとってそうだったように、大学のかわりに刑務所があったというわけだよ。シベリア、それから外国での亡命生活だ。帝政ロシアの監獄には2度、通算4年間ぶち込まれた。流刑は2回で、最初は2年間、2度目は数週間だったな。シベリアから2度脱走したよ。
亡命者として私は、欧米のいろんな国で12年ほど暮らしていた。1905年と1917年の革命に参加して、どちらのときもサンクトペテルブルクのソビエト議長を務めていた。革命後は、軍事人民委員として、約5年間を赤軍の組織と海軍の復旧に捧げたよ。
――いや、生来私は、冒険の探求者などと何の共通点もないよ。むしろ、ペダンティックで頑固に習慣を守るほうさ。規律とシステムが好きだし、評価もしている。敢えて矛盾した言を弄するわけじゃないが、何しろ事実だから付け加えなくちゃならない。私は無秩序や破壊ががまんできないんだよ。
――私は、既存の秩序、不正行為、専制政治に対して激しい憎悪を感じたんだ。そういったものはどこから生じたかって?それは、アレクサンドル3世の治世に存在していたいろんな条件から出てきたのさ。警察の横暴、地主による搾取、役人の汚職、民族差別、学校や路上に蔓延する様々な不正行為、そして私がこの国の子供、召使、労働者らと身近に接したことで見聞きしたこと…。要するに、この時代の社会全体の雰囲気さ。
――私が初めて入った監獄はヘルソン市のだったけど、その孤独感たるや完全にして絶望的だったよ。外部からの差し入れはまったく受け取らなかった。多少のシチューが一日一回、夕食として与えられた。塩とライ麦パンが朝食と昼食だ。3ヶ月間、同じ下着を着続けなければならず、しかも石鹸は持ってなかった。害虫が私を食いまくった。18歳のときのことだ。孤独感は絶対的で、その後経験したどんなことよりひどかった。私は約20もの監獄に入ったことがあるのだがね。しかしこれらぜんぶをひっくるめて、監獄で過ごした時間について不平は言えないね。私にとってはいい学校になったから。
――ニューヨークが、世界の他のどの都市よりも印象が強かったね。これは、我々が生きている現代という時代の完全な表現になっている。散文と幻想の街、資本主義のオートメーションの街。その通りはキュービズムの勝利で、道徳哲学はドルのそれさ。
私が羨望の念をもってニューヨークを眺めているように見えるかもしれんが、私はまだ自分を欧州人だと思っている。が、私は自問する。「欧州はこれを持ちこたえられるだろうか?墓場に沈むのではないか?経済と文化の重心はアメリカに移行するんじゃないか?」。そして、いわゆる「欧州の安定化」が成功したにもかかわらず、この問いは今でもアクチュアルなんだ。
――私の生活は、大衆の集会の渦巻きみたいなものだったよ。集会は、工場、学校、大学、劇場、サーカス、路上、広場等々で行われた。私はいつもくたくたになって真夜中に帰宅した…。その都度、次の新しい集会はもう乗り切れないだろうという気がしたよ。だが、神経エネルギーの隠れた予備が出てきて、またぶっ続けに1時間、ときに2時間もしゃべったもんだ。
――報復なき軍隊などというものはあり得ない。軍司令官がその武器庫に死刑を持っていないかぎり、多くの男たちを死に赴かせることなどできるものではないよ。自分たちの技術的成果を大いに誇りにしている、尻尾のない邪悪な猿ども―それを我々は男と呼んでいる―が、軍隊をつくり、戦争をしている以上はだな、指揮官たるものは常に、兵士たちを正面における死の可能性と、後ろに控える不可避なものとの間に置かねばならんのだ。しかし、恐怖のみに基いて軍隊をつくることはできない。
――厳しい処罰のよって、我々が容赦なく戦い、何一つ我々をとどめるものはないことが示された。皇帝一家の処刑は、敵を驚愕させ、衝撃を与えるために必要だったが、それだけではない。この処刑はわが軍の兵士に、もはや後戻りはできないこと、最終的な勝利か死のいずれかに直面するしかないことを教えたんだ。
――スターリンは、党では、あらゆる面で見事に凡人だよ。武装蜂起に向けて理論的かつ政治的な準備を行っていた最も重要な数か月の間、スターリンは政治的意味ではまったく存在しなかったようなものさ。彼は、途方もない、妬み深い野心をもっていたが、自分の知的、道徳的な弱点は感じざるを得なかった。
私が聞いたところでは、スターリンは、私を処刑せずに亡命させたのは大失策だったと、繰り返し自認していたそうだ。だから彼は、私に対してテロを画策するしかほかに手がなかったのさ。
――暗殺のわずか数カ月前に、私は日記にこう書いていたんだ。「私は、プロレタリア革命家、マルクス主義者(それは筋金入りの無神論者であることを意味する)として死ぬだろう。共産主義の未来への私の信仰は今、若い頃と同じように熱烈で、もっと強まってさえいる。人類とその未来へのこの信仰は、どんな宗教よりも強靭な抵抗の力を私に与えてくれる」
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