ヤクーチヤはロシアでもっとも広く(3つのタイムゾーンにまたがっている)、もっとも寒い地域である。冬は非常に長く(10月から4月)、とても厳しい。北方には、夏になっても雪が融けない場所もある。
そんなヤクーチヤでは2023年1月半ば、マイナス62度を記録した。しかしこれよりもっと寒くなることもある。地元の人々は、1月の気温としてはこれはまだ暖かいほうで、以前ははるかに寒かったと話す。しかしこうした事実も人々に喜びではなく、逆に懸念を呼び起こしている。
ソ連の諜報機関は、諜報員やエージェントの不注意のためにしばしば失敗している。こうした失策は、諜報員やキャリア外交官の追放につながることがあった。
ソ連では「アエロフロート」は民間航空の代名詞だった。前世紀から現在まで、アエロフロート機のデザインをご紹介。
平均的なロシアのSNSユーザーたちは、1日に1時間半以上、ソーシャルメディアを利用している。これは2023年3月にメディアスコープ社の調査により、明らかになったデータである。
いくつかの外国のSNSが2022年にロシア国内での活動を中止したり、ブロックされたりして、VPNがないとアクセスできなくなっている中、ロシア国内のソーシャルネットワークのユーザーは年々、増加している。というのも、多くのユーザーたちがロシアのソーシャルネットワークに移行しているからである。
レオナルド・ダ・ヴィンチの伝説の絵画「ラ・ジョコンダ」は、たった2度しか、フランス国外に持ち出されたことがない。そして、「ラ・ジョコンダ」の最後の訪問国はソ連であった。
まず最初に言っておきたいことは、クマが公式的にロシアのシンボルであったことは一度もない。ロシアの国章は双頭の鷲(紋章にも描かれている)である。
しかし、少なくとも5世紀にわたって、国外では別のイメージが広まっている。ソ連は1980年に開催されたオリンピックの閉会式で、巨大なクマのマスコットを空に飛ばし、またその後、クマはロシアの最大政党のシンボルにもなった。ロシアとクマの関係を順に見ていこう。
その名を耳にするだけで、ロシアの一般市民が震え上がった犯罪組織があった。
ロシアでは外国の銀行のほとんどのカードが使えなくなっており、海外顧客向けの宿泊予約サービスも停止されている。しかしながら、これらの状況をかいくぐる方法がある。
チェブラーシカ――耳が大きな優しい「正体不明の動物」――をめぐる最初の絵本は、1966年に出ている。その3年後には、最初の人形アニメが公開された。以来、主人公は、我々の心に生き続けている。チェブラーシカの「訪日」の様子を振り返てみた。訪問は三度だ!
「ミス・ロシア」コンテストは、1993年に初めて開催されてから、現在まで続いている。これまでにどのような女性がこの栄冠に輝いてきたのか、そして「ミス・ロシア」で優勝した彼女たちは、その後、どんな人生を送っているのだろうか?
18世紀末には、ロシアにおける訪問の「文化」は、不条理なほど極端なものになっていた。親類や友人を単に一応の礼儀として訪れるのにさえ、数日を要することがあった。そこへ「助っ人」として登場したのが名刺だ。
ロシアではシャリクやムルジクなどというロシアの典型的な名前の代わりに日本風の名前のついたペットを見かけることが多い。プードルのトーキョー、猫のフシミ、芝犬のウサギ・・・。ロシア・ビヨンドが、これらのペットの飼い主たちになぜ日本風の名前をつけたのかお話を伺った。
ナポレオン戦争後の1816年、皇帝アレクサンドル1世は、ロシア帝国初の公式国歌を定める勅令を発布。歌詞は、詩人ワシリー・ジュコフスキーの詩からとられた。しかし曲は、なぜかイギリス国歌をコピーしたものだった。
セーラー服に身を包んだ中学生の美少女戦士が登場するこのアニメは、ロシアでもカルト的作品となった。ロシアでこの主人公の月野うさぎ=月野バニー(ロシア版ではバニーと呼ばれた)がなぜこれほど愛されたのか見てみよう。
アダムズ・ジュニア、ブキャナン、フーヴァーは、米露関係を発展させ、その後ホワイトハウスの主となった。
この突出した2人の関係は事実上、互いの夫や妻の目の前で深くなっていった。しかし、そうした状況も、倍ほどもある年齢差も、2人を止めることはできなかった。
これは日本に似たロシアなのか、それとも逆なのか。ロシアと日本の自然景色の瓜二つを集めた。
ソ連崩壊後、「この世の全てを味わい尽くしたい」という願望にも、ついに実現の可能性が出て来た。「ニューロシア人」という、1990年代を代表する現象について、お話ししよう。
2023の夏、ロシアで最も人気の高いアニメシリーズの1つが20周年を迎えた。ラマーシュカ谷に住む丸っこい動物たちの物語は、アメリカから中国まで、大陸をまたぎ計90か国で放映されている。中国のアニメーターと共同でスピンオフ『パンダとクロシュ』も制作されている。
ロシアでは、バービー人形は常に西側文化の本質部分だとみなされていた。しかし、この人形の製作者自身はロシア人風のものもあり得ると考えていた。
ダニがロシア全土で目を覚ましたということは、これから嫌なニュースが数多く聞かれることになることを意味する。というのも、毎年、ダニに刺されたと言って50万人もの人々が医師の元を訪れるのである。そしてある人にとっては、ダニとの出会いが悲劇の原因となる場合もある。
アニメ『キャプテン翼』から、イングランド・プレミアリーグでプレーする日本人にいたるまで、日本のサッカーは多彩な顔をもち、急速に成長している。それにともない、ヨーロッパのリーグでプレーする日本人選手の数も増えている。ロシアのFCに所属したことのある7人の日本人選手について、ここで思い出してみよう。そのうちの1人はレジェンドになっている。まずはその彼から始めよう。
ロシアの教会建築は非常に多様であり、正教会の聖堂は時間の経過とともにその姿を変えてきた。ドーム(丸屋根)によって建設の時期、どの地方の教会か、さらには何に捧げられた教会を知ることができる。
この偉大な化学者は、ウォッカをとても愛していたため、ロシア人の間では、彼は自分の化学的な知識をこの酒の製造に応用したと信じられている。しかし、それは事実なのだろうか?
芥川龍之介は、イワン・ツルゲーネフとレフ・トルストイを登場させて、おそらく日本初となる「ファンフィクション」(『山鴫(やましぎ)』)を書き、二葉亭四迷はロシア滞在中にフョードル・ドストエフスキーの足跡を辿り、徳冨蘆花は、トルストイの邸宅で「人生最良の五日間」を過ごす…。驚いたことに、これらはすべて真実だ。明治大正期は、日本におけるロシア文学ブームの時代と呼べるだろう。
この200年で食料品やその他の品の価格がどの程度変動したか、比べてみた。
ガムはソ連が正しくないと判断した多くのものと同様の運命を辿った。そして、ソ連の子どもたちやティーンエイジャーにとって、まさに「禁断の果実」となった。そこで子どもたちは何とかガムを手に入れようと必死になり、そのためならほとんどのことを犠牲にすることができた。中には、治安機関に目をつけられる恐れがあると知りつつ、外国人にガムをねだる子どもたちもいた。
ロシアにおける『キャンディ♡キャンディ』、『セーラームーン』、『ポケットモンスター』などのテレビアニメシリーズのおかげで1990年代にアニメファンが増えた。実際、日本のアニメなしではソ連期最後の2世代は幼少期を想像することはできない。
1970年代と1980年代にはソ連の映画館で15本の長編映画が公開され、そのうちの約3分の1が文句なしのヒットとなり、永遠に観客の記憶に焼き付いた。
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