ソビエト連邦にあった共和国の完全リスト

ロシア・ビヨンド, Sputnik
 ソビエト社会主義共和国連邦が存在した70年間、その構成国の数は変わったが、最終的に15ヶ国で落ち着いた。その一覧を見てみよう。

 1922年当初、ソビエト連邦の成立宣言に調印した独立国は4ヶ国だった。具体的には、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、白ロシア・ソビエト社会主義共和国、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国だ。ソ連がどのように成立したかについてはこちら

 しだいに加盟共和国は増え、1956年までに15ヶ国になったが、これが最終的な数字になった。1991年、ソ連は崩壊し、15ヶ国それぞれが独立国となった。以下では、1977年のソビエト連邦憲法に記載された順にソビエト社会主義共和国をご紹介する。この順番は各共和国の成立時の人口を反映している。

1. ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国

 1917年の革命でロシア帝国が崩壊して誕生したソビエト・ロシアが、実質的に将来のソビエト連邦の母体となった。ボリシェヴィキは新国家の成立を強調するため、首都をモスクワに移した。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国は国内にいくつもの自治共和国を含む複雑な内部構造をしていた。ソ連崩壊後は、それまでとほぼ同じ構造を持つロシア連邦が成立した。ロシアは法的にソ連の公式の後継国となった。

*こちらもどうぞ:ソ連の政策の中で何が間違っていたか、何が良かったかについてはこちら

2. ウクライナ・ソビエト社会主義共和国

ヤルタのビーチにて、1969年

 ウクライナの首都キエフは、ルーシの最初の首都であり、「ルーシ諸都市の母」と考えられている。ウクライナは長らくロシア帝国の一部だったが、革命後は独立国としてふるまった。1940年と第二次世界大戦終結後、ウクライナの領土は拡大した。

*こちらもどうぞ:ロシアの源流としてのキエフ:事実か虚構か? 

3. 白ロシア・ソビエト社会主義共和国

 歴史的に白ロシア(ベラルーシ)の領域はポーランド・リトアニア共和国領やロシア帝国領となった。ソビエト白ロシアは第一次世界大戦中の1919年、ドイツの占領から解放されて誕生した。したがって同国もソ連の「建国の父」となり、新しい首都をミンスクに置いた。最終的な国境が定まったのは第二次世界大戦後だった。

*こちらもどうぞ:ソビエト時代のベラルーシの生活についてはこちら

4. ウズベク・ソビエト社会主義共和国

ブハラ市のマドラサ(イスラム教の学院)、1965年

 1920年、2つの中央アジア国家、ヒヴァ・ハン国とブハラ・ハン国が革命を経て消滅した。結果として、この地域にブハラ人民ソビエト共和国とホラズム人民ソビエト共和国が誕生し、1923年にソビエト連邦に加入した。 

 一年以内にソビエト当局が新たな国境線を画定し、民族の分布に応じた新たな諸国家が形成された。その一つがウズベク・ソビエト社会主義共和国で、その首都は当初はブハラだったが、後にサマルカンドに移り、1930年以降は現在と同じタシケントが首都となった。

*こちらもどうぞ:ロシアがどのように中央アジアを征服したかについてはこちら 

5. カザフ・ソビエト社会主義共和国

カザフ人畜産農家の会、1973年

 カザフ・ソビエト社会主義共和国および現在のカザフスタンの領域はロシア帝国の一部だった。紆余曲折を経てこの地にソビエト社会主義共和国が誕生したのは1924年の中央アジア国境画定の際だった。1929年にアルマトイが首都になった。

*こちらもどうぞ:スターリンが民族の強制移住を命じた理由についてはこちら

6. グルジア・ソビエト社会主義共和国

グルジア・ソビエト社会主義共和国の舞踊団体

 グルジア(ジョージア)は1801年からロシア帝国領だった。革命後、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国に加入し、ソ連の最初の構成国の一つとなった。1936年、ザカフカースはアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国、アルメニア・ソビエト社会主義共和国、グルジア・ソビエト社会主義共和国の3ヶ国に分かれた。同年、首都のチフリスは現行名のトビリシに改称された。

*こちらもどうぞ:スターリンにはグルジアなまりがあったか 

7. アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国

アゼルバイジャン山岳部の住民

 ボリシェヴィキは現地の党員の援助を得て1920年にアゼルバイジャンで政権を取った。同国は当初独立国だったが、1922年にザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国に加入し、ソ連の成立に立ち会った。ソビエト・グルジアと同様、ソビエト・アゼルバイジャンは1936年のザカフカース分裂に伴って誕生した。首都はバクー。

8. リトアニア・ソビエト社会主義共和国

ヴィリニュスの大通りにて、1980年

 リトアニアとラトビア、エストニアのバルト三国は、ソ連に加入した最後の国々だ。リトアニアの広大な領土はポーランド・リトアニア共和国の分割に伴ってロシア帝国領となった。第一次世界大戦でドイツに占領された後、リトアニアは独立を得た。第二次世界大戦が始まると、ソ連との国境にナチス軍が進軍するのを防ぐため、ソビエト当局はリトアニアにソビエト・リトアニア相互援助条約の締結を強いた。赤軍が同国に進駐したが、リトアニア人はこれをソ連による同国の占領と捉えた。1940年、ヴィリニュスを首都とするリトアニア・ソビエト社会主義共和国の成立が宣言された。

9. モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国

モルドバの農家に行われたぶどうの収穫、1982年

 モルダヴィア(モルドバ)は1940年初め、バルト三国に先立ってソ連に加入した。同国はベッサラビアの領土に形成された。19世紀にはここはロシア帝国領だったが、1917年の革命後はルーマニア領となっていた。ソビエト政権が返還を要求し、紛争を避けたいルーマニアが応じたのだった。

10. ラトビア・ソビエト社会主義共和国

ユラトビアのバルト海沿いの保養地ユールマラにて

 リフリャンディア県(ラトビアの前身)はロシア帝国の一部で、リトアニアと同様、第一次世界大戦ではドイツに占領された。1918年に誕生したラトビア共和国は1940年までは独立国だった。独ソ不可侵条約では、ラトビアは秘密裏にソ連の勢力圏に組み込まれた。ナチスが第二次世界大戦を始めると、ソビエト政権はラトビアに最後通牒を出し、赤軍の進駐を認めさせた。1940年、リガを首都とするラトビア・ソビエト社会主義共和国がソ連に加入した。

*こちらもどうぞ:ソ連時代、バルト三国の生活が豊かだったのはなぜか(写真特集) 

11. キルギス・ソビエト社会主義共和国

キルギス人伝統衣装をつけた女性たち

 現在のキルギスの領域はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内の自治州だったが、1936年にソビエト社会主義共和国となり、現代史上初のキルギス人国家が成立した。首都のピシュペクはソビエト時代には同市出身のボリシェヴィキの有名革命家に因んでフルンゼに改称された。ソ連崩壊後、市名は現行のビシュケクに改められた。 

*こちらもどうぞ:アジア的外見のロシア人:193の民族のうちモンゴロイドに属するのは? 

12. タジク・ソビエト社会主義共和国

 1924年、タジク自治ソビエト社会主義共和国がウズベク・ソビエト社会主義共和国の一部として成立したが、1929年にタジク・ソビエト社会主義共和国に昇格した。1929年から1961年まで首都のドゥシャンベはヨシフ・スターリンに因んでスターリナバードと呼ばれていた。

*こちらもどうぞ:ソ連崩壊の一因になった綿 

13. アルメニア・ソビエト社会主義共和国

 現在のアルメニアの領域は19世紀にロシア帝国に併合された。1917年の革命の後、アルメニアとその首都エレバンは、ザカフカース社会主義ソビエト共和国の一部となり、1936年の同国の分割に伴って、グルジアやアゼルバイジャンと並んでソビエト社会主義共和国となった。 

*詳しくはこちら:アルメニアはいかにロシア帝国に組み込まれたか 

14. トルクメン・ソビエト社会主義共和国

 アシガバートを首都とするトルクメン・ソビエト社会主義共和国は、ブハラ人民ソビエト共和国とホラズム人民ソビエト共和国が民族分布に応じて国境を再編された際に成立した(同時に誕生した上述のウズベク・ソビエト社会主義共和国についても参照)。現在トルクメニスタンは世界で最も閉鎖的な国家の一つだ。

*こちらもどうぞ:ソ連時代の中央アジアの人々の暮らし(写真特集) 

15. エストニア・ソビエト社会主義共和国

エストニア首都タリンにあった飲み屋にて

 レバル(現タリン)を首都とするエストリャンディア県(エストニアの前身)は1721年にロシア帝国の一部となった。革命後、このバルト国家は独立国となった。同国もまた、1939年に調印されたソビエト・エストニア相互援助条約の結果1940年にソビエト連邦に加入し、赤軍が進駐した。エストニア人はこれをソ連による同国の併合と見なした。

*こちらもどうぞ:ロシアと国境を接する国々(写真特集) 

「ロシア・ビヨンド」がLineで登場!是非ご購読ください!

もっと読む:

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる