ソ連時代、バルト三国の生活が豊かだったのはなぜか(写真特集)

伝統服装を着ているリトアニア人女性

伝統服装を着ているリトアニア人女性

L. Raskin/Sputnik
 ラトビア、エストニア、リトアニアはソ連を構成していた15の共和国の中でもっとも特権的な存在であった。「ソヴィエトのヨーロッパ」、「ソ連の中の外国」などと呼ばれたこの3カ国は巨大なソ連のショーウィンドーであった。

1. ソ連のショーウィンドー 

リガの通りにて、ラトビア

 ラトビア人、リトアニア人、エストニア人が暮らすバルト三国は、ロシア帝国時代も、そしてソ連になってからも、常に特別な地位にあった。政府はソ連の他の地域とは異なるこの「ヨーロッパ的」地域の歴史的、経済的条件を考慮すべく努力した。

エストニアのリゾート地パルヌにて

 ソ連の沿バルト共和国の発展を目的に多額の資金が拠出された。しかしながら、革新的な経済改革の実施にはかなり慎重であった。

エストニア首都タリンにあった飲み屋にて

 その結果、ラトビア、エストニア、リトアニアの生活水準はソ連の他の共和国よりも高いものになった。月給は他の地域の2倍から3倍、食料品や衣料品の品不足もそれほど深刻ではなかった。

2. 全ソ連にとっての保養所  

 ソ連中の数百万の市民が毎年、バルト海沿岸にある最高のサナトリウムに療養に訪れた。ラトビアのユルマラ、リトアニアのパランガなどである。エストニアのリゾート都市、パルヌにはソ連の宇宙飛行士のための特別なサナトリウムも作られた。

ユルマラのビーチ、1984年
ユルマラ、1975年5月30日
ユルマラにて、1983年
ユルマラ海岸のサナトリウム
パランガ、1986年8月13日

3. “ソ連の外国”

 ソ連時代、外国に行くことができる市民はかなり限られていたことから、バルト三国はほとんどの人にとって、ほぼ行くことができないヨーロッパに代わる場所となった。観光客はここで今までまったく見たことのないドイツ、スウェーデン、リトアニアの建築物を目にし、リガやヴィリニュス、タリンの小さな通りを散策し、これらの国々に点在する西欧風の中世の城を訪ねた。

リガの風景
タリンの風景を楽しんでいる親子
ヴィリニュスの建築、1970年5月1日
タリンの風景

 また映画を撮影するときに外国の風景が必要な場合、ソ連の映画監督たちはこの3カ国でロケを敢行した。ソ連のシャーロック・ホームズ(世界の最高の映画の一つ)が住んでいたベイカー・ストリートもリガで撮影された。

タリンのラエコヤ広場
トラカイ島城、リトアニア、1983年
トラカイ島城、1965−1969年撮影

4. 産業の中心地 

 ソ連時代、バルト三国は国の主な産業中心地の一つとなった。いくつもの工場が地域レベルを超えて、全ソ連規模の企業となった。たとえば、リガ国立電気工場「VEF」はソ連全土の電気製品を作り、リヴァヌィのガラス工場はソ連でも最大の工場だった。

リガ自動車製作工場の専門家ら
ヴィリニュスの機械式計算機製作工場にて
タリンのショベル製作工場
リトアニアのカウナス市にある紡績工場にて

5. ソ連の西への出口

 バルト三国の港(レニングラードやカリーニングラードではなく)は海上にある主要な西への出口だと考えられた。これらの港から、ソ連の主な貨物がヨーロッパへ運ばれた。またバルト海、北海、地中海へのクルーズもこれらの港から出航した。

リガ港
タリン港
タリンの貨物ターミナル
タリンの貿易港

6. 民族文化の維持 

 バルト三国に住む民族たちの口承文学、ラトビア、リトアニア、エストニアの古典文学作品、そしてもちろんバルト三国のソ連作家による思想的に正しい小説はすべてロシア語に翻訳され、数万部が印刷され、カリーニングラードからウラジオストクに至るソ連全土の図書館や書店に並べられた。

リトアニアの伝統舞踊集団「レツバ」
伝統服装を着ているラトビア人女性

 民族衣装を身にまとった数千人が参加する大規模な音楽祭は19世紀末から開催されてきたが、ソ連時代もこの伝統が忘れ去られることはなかった。逆に、こうした音楽祭を開催するために大きな広場やコンサートホールが建設された。しかし、政府はこうしたフェスティヴァルと、共産主義の祝日やレーニンの誕生日、革命の記念日などを合わせようと努力した。

エストニア人の合唱集団
ヴィリニュス大学の文化祭の参加者

7. バルト三国のソ連建築 

 バルト三国でも、ソ連の他の地域と同様、ソ連時代には変わり映えしないブロックのアパートの建設が大々的に進められた。しかしこれらの都市には、中世の街の外観を損ねないばかりか、それらとうまく調和したソ連建築の傑作も建設された。リガのシンボルの一つとなったのが、ラトビア科学アカデミーの建物である「スターリン高層建築」。このビルは、2003年、20世紀半ばの独特な建築記念物として、 欧州評議会の文化遺産に指定された。

リガの風景
ヴィリニュスのゲティミナス塔
ダウガヴァ川の橋
クライペダホテル、リトアニア、1985年
ヴィリニュスの新しい住宅街、1985年
リガ駅前の風景、1975年
リトアニアのドルスキニンカイ市にあるサナトリウムのビール

8. ありのままの生活

タルトゥ大学の寮にて
ラトビアの一般的な台所
ヴィリニュスの住宅
戦争の犠牲者を追悼する儀式、ヴィリニュス、1987年6月1日
煙突掃除夫

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