ソ連が行った正しい政策は何か

Kira Lisitskaya, Anatoly Grakhov/TASS; Boris Kavashkin/Sputnik; Viktor Ruikovich/MAMM/MDF/russiainphoto.ru
 今では多くの人が忘れてしまったが、西側世界の制度が立ち遅れ、ソ連が複数の分野で先頭を走っていた時代があった。

1. 休暇と労働時間の管理

 ソ連が成立する以前から、初期のロシア・ソビエト共和国は労働時間と休暇の管理の点で世界をリードしていた。1918年6月14日、人民委員会議の「休暇に関する布告」で、すべての労働者に年2週間の休暇を与えることが定められた。重要なのは、これが有給休暇だったということだ。一方欧州では、国家が有給休暇を保証している国は少なかった。1936年の国際労働機関の「有給休暇に関する条約」は年6日の休暇しか提案していなかった。

 1918年の労働法典は一日8時間労働と週48時間労働、週一回の休日を厳格に定めている。1922年の労働法典は、少なくとも6ヶ月間継続して働いた労働者全員に対し、2週間の休暇を保証していた。残業代は通常の2倍で、残業時間は年に120時間を超えてはならなかった。有給休暇としては当時最長で、西側のどの国の労働者も享受できていないものだった。

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 1918年の布告と1922年の労働法典が出た直後はこれらの規則すべてが守られていたわけではなかったが、以後の労働法にもこれらの条項は保たれ、改善されていった。1936年、長期休暇と休日を得る権利がソビエト連邦憲法で保証された。ソビエト国家は、公式に登録された労働者が(比較的)良い健康状態を保ち、職場での安心感と、何より依存感を持つことを必要としていた。

2. 女性の権利

 初期のボリシェヴィキは新国家の男女の権利を同等にしようとしていた。1918年、新法により、ソ連の女性は公式に職業と住居を選択し、教育を受け、結婚・離婚し、男性と平等の給料を受け取る権利を得た。1918年の労働法典は女性の残業を禁止し、出産前後2ヶ月の有給休暇を与えた。子育てする母親に定期的な休憩を認めることが定められたが、これは子育て中の女性の大半が農業や工業の仕事に投入されていた国家にとっては大変重要だった。

 1936年のソビエト連邦憲法は「経済・国家・社会・政治生活のあらゆる分野において」女性が同権を持つことを保証した。つまり、女性は選挙権と被選挙権を持ち、ソ連の政治家になれるということだった。自治体の人民代議員評議会では最大5割が女性だった(ただし、こうした評議会は従属的な政治機関で、共産党の決定によって正式に了承されるのみだった)。国家は複数の子供を持つ母親、妊婦、若い母親も支援した。しかし1936年、中絶がソ連で禁止された。人口学的危機にあった国家が導入した、論争を呼ぶ政策だった。中絶犯罪率と妊産婦死亡率が上がり、中絶は1955年に再び合法化された。

 1967年、離婚した女性に対する扶養手当(最低でも女性が元いた世帯の収入の25パーセント)が導入された。1968年には有給の産休と、シングルマザーや離婚した女性のために児童手当が導入された。重要だったのは、こうした法律すべてが、中央アジアや北コーカサス、シベリア、極東を含め、全ソビエト共和国の女性に適用されたことだ。こうした地域の社会では男性優位の伝統が根強く、ヨーロッパロシアに比べて女性の権利や機会はずっと限られていた。だが、ソ連が形成されたことで、すべての女性に同権が与えられたのである。

3. 無料の医療サービス

 国民医療が特別な税金で直接賄われるベヴァリッジ医療モデルとは異なり、ソ連の初代人民保険委員(大臣)ニコライ・セマシコ(1874年〜1949年)が考案したセマシコ・モデルは、すべての人に対して無料で医療を提供するというものだった。

 この制度の下では、医療サービスは、保健省が管理し、国家予算を財源とする国家機関の階層制度によって提供される。国民にとって医療サービスは平等かつ無料となり、社会衛生と感染症予防に特別な注意が払われた。これは世界初の国家医療制度で、スウェーデンやアイルランド、英国、デンマーク、イタリアなどの国々がこれに倣った。

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 この制度は民間医療を認めていなかった。医師は皆国家公務員となり、すべての医療機関は階層的・地理的に組織された。全国が地区に分けられ、それぞれに外来病院と外科医が割り当てられた。こうした医師らは幅広い分野の専門家で、一般的な病気の大半を治療できた。治療が難しい場合は地方病院に助けが求められた。 

 こうした良い変化も国内の全地方に適用された。ソ連の医療産業は供給不足の問題を抱えていたものの、全国民が医療サービスを無料で受けられるようになったことはソ連史における大きな業績だった。

4. 教育を受ける権利

 ソ連の大衆教育についても状況は同じだった。1917年にボリシェヴィキが政権を取った当時、ロシアは非識字者の多い国だった。ヨーロッパロシアの住人の識字率は25パーセントだったが、シベリアではわずか10~15パーセントしか教育を受けられず、中央アジアでは97パーセント以上が読み書きできなかった。

 教育予算は膨れ、ソ連の国家予算の13パーセントを占めるまでになった。工業国を建設するのに教育が必要不可欠だったようだ。1917年から1927年までに1000万人以上の人が読み書きを学んだ。1926年までに約80パーセントの都市住人が読み書きできるようになった。民族学校や教育機関も発展した。

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 革命後の数十年、それまで文字を持たなかった数十の民族(アバザ人、ラク人、ノガイ人、バルカル人、トゥヴァ人、アディゲ人など)の文章語が作られた。史上初めて、数十の民族の子供たちが母語で書かれた教科書を手にしたのだ。1922年12月、特別な出版社が作られ、タタール語、チュヴァシ語、キルギス語、アディゲ語などで書かれた教科書が作成された。ロシア語もまたソ連の「普遍言語」として民族学校で教えられた。

 1930年代、大衆義務教育政策が発行したが、その発展は第二次世界大戦によって阻害された。ソ連で普遍的な7年教育が導入されたのは1949年のことだった。1950年代末までに、ソ連の人民は皆読み書きできるようになり、さまざまな学問分野の高等教育機関が100以上作られた。1958年、10年の中等教育が導入された。1975年の時点で、ソ連内の高等教育機関は856(うち大学は65)あり、490万人以上の学生が学んでいた。この数字はこれ以降も伸びていった。

 ソ連は初等・中等教育を確立し、国民皆が研究者のキャリアを築くことも可能にした。

5. 大規模集合住宅

 ロシア帝国の国民の8割は田舎に住んでいた。ソビエト国家が誕生して経済の工業化が進むと、多くの人が都市に移住してきた。しかし、第一次世界大戦とロシア内戦以後、住宅建設は不可能となった。そこで当初、ボリシェヴィキは一人当たり9平米以上の部屋を持つ家に住んでいた世帯に新たな入居者を迎えることを義務化する「ウプロトネーニエ」(「密度増加」)という政策を実行した。それまでの裕福な階級(貴族、商人、裕福な都市住人)の世帯がアパートを労働者階級の世帯に間貸ししなければならなかった。

 住宅建設は都市部で1920年代に始まったが、都市民の大半はバラックや掘っ立て小屋、良くても共同住宅に暮らしていた。1924年、都市住人一人当たりの居住空間は平均5.8平米だった。工業地区によっては状況が劣悪で、一人当たりの居住空間が1.5平米しかない場合もあった。1927年、約1200平米の住宅が建てられたが、それでも急速に都市化する人口1億4000万人の国家において、問題は解決しなかった。状況は1930年代から第二次世界大戦期にかけていっそう悪化した。住宅問題が解決したのはニキータ・フルシチョフの時代だった。 

 1946年から1952年(戦後間もなく)、7800万平米の住宅が改築ないし新築され、4500万戸の一軒家が市民によって建てられた。ソ連の人々は自分たちで問題の解決を図ったのだ。1956年の第20回共産党大会で20年以内に解決することが決まり、そこで「フルシチョフカ」と呼ばれる集合住宅の大規模建設が始まった。

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 技師のヴィタリー・ラグテンコが設計した初期のプレハブ工法のフルシチョフカは12日で建てることができた。5階建てで、1部屋~3部屋の居住区画が計80あった。こうしたアパートには欠点も多かった(天井が低い、台所と便所が狭い、断熱材が薄い、など)が、ソ連の家族が個別のアパート部屋に住めるようになったことは極めて重要だった。

 1956年から1963年まで、国の住宅ストックは6億4000万平米から11億8400万平米と、倍近くになった。この期間だけで、過去40年間よりも多くの住宅が建てられた。住宅問題は完全に解決したわけではなかった(共同住宅や寮、その他の共同生活様式がまだ存在した)が、1970年代以降、大半の国民は国家から賃貸された個別のアパート部屋に住めるようになった。ソ連崩壊後、占有された住宅資産の大半は国民によって私物化され、彼らの私有財産となった。

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