ヒューマノイド(人間にそっくりな生物)と思われる謎の生物が見つかったのは、1996年夏、ウラル地方の小さな町クィシトィム近郊の森だった。
これを発見したのは、後に精神分裂症と診断された女性だった。彼女はこの生物を「養子」にし、自分の息子に因んでアリョーシェンカ(アレクセイの愛称)と名付けたのだ。
近隣住民はヒューマノイドの出所が分からず困惑した。宇宙から来たのか、エイリアンなのか、あるいは極度の奇形を持った人間なのか。こうした疑問がクィシトィムだけでなく世界中の人々を悩ませた。
だが「クィシトィムの小人」の「養母」は精神病棟に送られ、アリョーシェンカは死んだ。死体はさまざまな人の手に渡り、ついには完全に行方不明となった。
アリョーシェンカが本当にエイリアンだったのか、死体はどこに消えたのか、今日まで誰にも分かっていない。
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1908年6月30日、シベリアの奥地の森で謎の物体が爆発した。威力は水爆に匹敵するものだった。爆心地周辺の森は壊滅し、磁気嵐が北半球全体を襲った。
この地域を幾度となく調査隊が訪れたにもかかわらず、爆発の原因となった物体(あるいはその破片)は見つからなかった。キリストの再来からニコラ・テスラの実験の失敗まで、長年の間にさまざまな説が登場した。
大爆発は氷の隕石がもたらしたと考える人もいる。爆発時の熱で溶けてなくなったというわけだ。しかし決定的な証拠がない中、ツングースカ大爆発は今日まで未解決の謎であり続けている。
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バミューダ・トライアングルに似た「Mゾーン」はロシアの大自然の中にあり、世界中のUFO学者の関心の対象となっている。
謎の地点があるのはペルミ地方の深い森の中だ。ペルミ異常地帯とも呼ばれるMゾーンでは、しばしば幻覚や身体的・精神的な高揚と抑鬱が現れることが報告されており、UFOや謎の光の目撃情報もある。方位磁針や電子機器の異常も報告されている。
定期的に調査隊が派遣されているが、謎は未解明のままだ。
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1959年のある夜、9人のハイカーらがウラル山脈北部で謎の死を遂げた。
公式な調査報告書の結論は、「ハイカーらが抗えなかった未知の強制力が死因」というものだった。どうやら何らかの理由でハイカーらは真夜中にテントを飛び出したらしい。キャンプ地点からそう遠くない場所で彼らの裸の死体が見つかっているのだ。
プロやアマチュアが何度も調査を行ったが、決定打は得られなかった。そんなわけで世界中のミステリーファンがディアトロフ峠事件の真相について想像を巡らせてきた。謎の悲劇をめぐって現れた説は、UFO説、ビッグフット説、スパイ合戦説、秘密軍事実験説、黒魔術説など枚挙に暇ない。しかし探検に出た9人の経験豊富なハイカーらの身に何が起こったのか、確証を得ている者はいない。
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大自然の中に住む図体の大きな怪物は、何世紀もの間民話の題材となってきた。ソ連でもまた、忌々しい雪男は国家的な調査の対象であった。
1950年代、イエティの存在を確認するためソ連科学アカデミーによって特別委員会が組織された。委員会は探検を行ったが、何ら信頼できる証拠が得られなかったため打ち切りとなった。
とはいえ、以後もロシアではイエティの目撃情報が絶えない。
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伝承では、ビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪に当たるソフィア・パレオロギナは、モスクワ大公イワン3世に嫁いだ際にローマからルーシへ貴重な写本のユニークなコレクションをもたらしたという。
学者や愛読家の間で聖杯とも呼ばれているそのコレクションには、古代の行方不明の貴重な写本が含まれていると考えられており、それを発見した者は世界的な有名人となるだろう。
長い間根気強い探求者らが失われた図書館を探しているが、未だ発見者はおらず、単なる作り話に過ぎないと考える人もいる。だが陰謀説支持者は、図書館は無事であり、モスクワかロシアのどこか、もしかするとクレムリンの中で発見を待っていると信じている。
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アレクサンドル1世はナポレオン戦争でロシア軍を率いた皇帝だ。彼の治世でロシアはフランス帝国を撃破し、パリを占領して世界の列強の一員としての地位を固めた。
成功の絶頂にあった47歳の健康な皇帝がチフスで崩御したことでロシア全土に衝撃が走った。皇帝はモスクワの約960キロメートル南にあるタガンログで1825年11月に死去した。
しかし、皇帝の死にはどこか妙な点があった。アレクサンドルの遺体は閉じた棺に入れられ、ほとんど誰もその顔を見なかった。さらに、顔を見た者も、遺体が皇帝のものには見えなかったと話した。
アレクサンドルは晩年に正教会に傾倒し、大臣に国政を任せて祈りの日々を送っていたため、皇帝がこっそり退位して偽の素性で修道士となり、隠遁生活を始めたのだという噂が急速に広まった。人々は元皇帝と疑われる僧侶を特定さえしていた。
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クルーズ船「リュボーフィ・オルロワ」は1976年から1999年に船を所有する会社が倒産するまで運航していた。ドミニカ共和国へ運ばれてスクラップにされるはずだったが、嵐でケーブルが切れて海上で行方不明となった。
こうして船は消えた。明かりも電気系統もない4トンの鉄の塊は船乗りたちを恐怖させた。夜の闇の中で衝突する危険があるからだ。オルロワはそれ以来行方不明で、巨大なネズミが共食いしているといった噂が囁かれ続けている。船が沈んだのか、大洋のどこかを彷徨い続けているのかは分からないが、船は今でも魅力的な話題となっている。
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1980年代以来ロシア軍は高次接触・非言語訊問技術や読心技術の開発取り組んできた。あるいはもしかすると?
この大胆な説が登場したのは、ロシア国防省の公式雑誌『アルメイスキー・ズボールニク』(「軍梗概」)の記事だった。
この記事は作り話だと考える人もいるが、多くの人はソ連の学者らが人間の驚異の力を発見するため超心理学の分野で実験を行っていたと信じている。
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噂では、ソビエト時代、研究者らや測量者らがこら半島へ赴き、石油などの天然資源の産地を調べていた。彼らは地面に穴を掘ったが、その深さと圧力の異常な数値に驚いた。穴の内部の温度は摂氏約1093度に達していた。
また学者らは、穴から低くこもった音がするのを聞いた。彼らはマイクを穴の中に下ろした。常軌を逸した騒音は低いうめき声となり、マイクは人の叫び声を拾い始めた。
地獄への井戸やその他の気味の悪いソ連都市伝説について詳しく知るにはこちら。
謎めいた石はウラル山脈南部で1999年に発見された。これはウラル地方の詳細な3D地図のようで、航空機か衛星で調査しなければ作り得ないものだった。地図上に彫られた天然の水路、ダム、堤防は実際の地形と一致しており、未知の言葉も刻まれていた。
謎めいた石の地図の起源は謎のままだ。
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サブリノ洞窟はサンクトペテルブルク郊外にある地下の迷宮で、長さは数十キロメートルに及ぶ。洞窟は人工物だ。クオーツを生産するための地下活動でできたと考える人もいれば、軍が作ったのだという人もいる。いずれにせよ、何キロメートルにも及ぶ坑道や立坑のネットワークは現在は放棄されている。
だが、洞窟の中では時空間が乱れていると信じる冒険家らが今なおここを訪れる。サブリノ洞窟では失踪事件が数多く報告されている。道に迷ったのか、あるいはべたべたした塊に吸い込まれたのかもしれない。それとも、失踪事件の真相はより邪悪なものなのだろうか。
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