時を超えたアイヌ女性の「笑顔」

中世以降、日本ではアイヌは蝦夷と呼ばれた。「蝦夷地」が日本に征服されていくと、アイヌ人は反乱を組織したが、弾圧された。その後、地元住民を同化する取り組みが実施された。地元住民には日本人の身分が与えられ、日本の習慣が強要された。一方で伝統的な入れ墨、服装、宗教やいけにえの儀式は禁止された。

中世以降、日本ではアイヌは蝦夷と呼ばれた。「蝦夷地」が日本に征服されていくと、アイヌ人は反乱を組織したが、弾圧された。その後、地元住民を同化する取り組みが実施された。地元住民には日本人の身分が与えられ、日本の習慣が強要された。一方で伝統的な入れ墨、服装、宗教やいけにえの儀式は禁止された。

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アイヌは古代に遡る民族で、その起源は紀元前13,000年頃のロシアと日本の領域まで遡る。
アイヌは古代に遡る民族で、その起源は紀元前13,000年頃のロシアと日本の領域まで遡る。女性たちは顔や腕に一風変わった入れ墨をしていた。
アイヌ族は北海道のほか、サハリン(樺太)の南半分、クリル列島(千島列島)、カムチャツカ半島の南3分の1、アムール川河口付近などのロシア東部の各地にも居住していた。
この民族に独特の特徴は、唇と、手からひじまでの部分の腕にされた入れ墨である。
また、入れ墨をしていたのは女性のみだった。特別な儀式用ナイフによって彫り込みを入れ、そこに木炭をすりこむことで入れ墨がされた。
女の子は、わずか7歳の年齢で最初の入れ墨をされた。それは唇の周辺に点状のパターンが施されるだけだったが、その後、毎年いくつもの線が付け加えられていった。
結婚式では、「笑顔」になるように花婿が輪郭をつなぎ合わせることで、年ごとに重ねてきたパターンを完成させた。アイヌ女性の顔に施された入れ墨は彼女の婚姻状況を示していた。唇、頬、そしてまぶた上のパターンにより、女性が既婚であるかどうか、そして彼女が何人の子どもを産んだかを見分けることができた。
アイヌ女性の指の間にも、さまざまな入れ墨がされた。他の民族でもそうであったように、入れ墨がたくさんされていることは、その女性の忍耐力と生殖能力を象徴していた。
禁止されたにもかかわらず、多くのアイヌ人は独自の古くからの習慣を守り続けた。
「笑顔」に加えて、眉毛の周辺には波線の入れ墨がなされ、手にも装飾がほどこされた。
伝統的な入れ墨が完全になされた最後のアイヌ女性は1998年に亡くなった。
今日、アイヌ族の女性の中にはお祭りや儀式の際に一時的な入れ墨をつける人がいる。
アイヌ人の伝統的宗教は事実上消滅した。熊の信仰儀礼がわずかに残されているのみで、それも主に観光アトラクションとして行われるにすぎない。