地下鉄駅の近くに住みたい?もし地下鉄があなたの住むアパートにあったとしたら?地下鉄の入り口がついたアパートがモスクワに作られるようになったのは1930年代末から1950年代にかけてのこと。記念碑的な「スターリン・アンピール様式」の新たな首都の建設の最盛期であった。そして当時の時代の先駆者であった建築家たちは、設計において一風変わった手法を提案した。その目的は街をコンパクトに凝縮することであった。そんなプロジェクトの一つでは、アパートに地下鉄駅のホールが据え付けられていた。
1935年、モスクワの中心部に、最初の地下鉄駅の一つ、オホートヌィ・リャードが開業した。入口の設計の段階で、設計士たちはある問題に直面した。それは、その地区に建物が密集していたことで、設計士たちは、乗客の出入り口を作るために、1830年代に建設された古い屋敷の1階を利用することにしたのである。単純に中央通りの交通を止めずに、また住宅を撤去せずに、他に場所を見つけることができなかったのだ。
地下鉄が建設されるまで、この建物の部屋は賃貸に出されていたほか、鏡の店と肉屋が入っていた。1930年代に建物は改修され、上階はバルコニーも出窓も取り払われ、1階に地下鉄の入り口が作られた。現在、この建物は劇場の事務所になっている。
この高級住宅は、1947年から1957年にかけてサドーヴォエ環状道路の上に建てられたスターリン様式の高層住宅で、いわゆる「セブンシスターズ」の7棟の一つである。ソ連時代、中央の棟には運輸建設国家委員会が置かれ、両端の棟にはおよそ270の住宅が入っていた。そしてこのビルの1階部分を占めていたのが、地下鉄駅「クラースヌィエ・ヴォロータ」。円柱のついた四阿風に、優雅に飾られた換気坑が住宅の中庭に置かれ、すべての棟と地下鉄の事務所や関連施設は地下で繋がっていた。
設計士のアレクセイ・ドゥシキンはすべてのスターリン高層建築に地下鉄駅を作る計画であったが、計画が実現したのはクラースヌィエ・ヴォロータ駅だけであった。時間を節約するため、駅の入り口と建物の基礎の建設は同時進行された。建物が駅入り口の基礎穴に落ちてしまわないよう、現場周辺の土壌を凍らせておき、また沈下した場合にまっすぐになるよう、建物自体を垂直軸から傾斜した形で建てられた。それはまさに天才的な技術的アイデアであった。
このアパートの住人の一人、アーシャ・ソスコワさんは言う。「自分が住む建物に地下鉄があるなんて本当に便利。アパートの入り口から出て、角を曲がると駅に着くんです。わたしは4階に住んでいるのですが、窓が中庭向きについていて、中庭には幼稚園があるんです。通りの騒音はほとんど聞こえません」。
地下鉄環状線の「プロスペクト・ミーラ」駅は1952年に開業した。入り口と出口は、プロスペクト・ミーラ38という住所にある住宅の中に作られている。もともと農業をテーマにデザインされていた駅は1966年まで「ボタニーチェスキー・サード(植物園)」と呼ばれていた(近くにモスクワ大学付属の植物園があるため)。1年後に作られた住宅のファサードにも植物の浅浮彫の装飾が施され、地下鉄の入り口と非常に調和が取れていた。
当時の新聞記事によれば、この住宅は地下鉄建設に携わった人たちのために作られた。中央棟は13階建て、両端の棟は8階建てであった。プロスペクト・ミーラの住宅は、モスクワに建てられた最後のスターリン建築の一つとなった。
地下鉄駅「アフトザヴォツカヤ」の南口は1943年に通りに建てられたが、住民たちが使いやすいようにと、この入り口を住宅に入れ込む計画が立てられた。
この時期、この地区ではすでに、スターリン名称自動車工場の職員のための住宅建設が大々的に行われており、設計士アレクセイ・ドゥシキン(クラースヌィエ・ヴォロータの高層住宅も手がけた)は、1961年に新しい住宅にこの入り口を作る計画にしていた。
建設作業は数年かけて行われたのだが、よく見ると、住宅が3つの部分から成っているのが分かる。端の棟2つ、そして地下鉄の入り口が入った中央の棟が1つである。駅入り口の上にホールがあり、そこには地下鉄職員のための事務所などの施設があった。しかもこのホールの大部分が住宅の中庭にあったため、特に大きな不快感や揺れが住民たちに影響を与えることはなかった。
クールスク鉄道駅の横にある広場には、普通はあまり目立たない、地下鉄の出口がたくさんある。アルバート・ポクロフ路線の「クールスカヤ」駅は1938年に開業したが、その出口の1つは1932年に鉄道の職員のために建てられた構成主義住宅の中に作られた。
現在、この住宅には一般的な住宅とオフィスが入っている。
この1950年にスモレンスカヤ並木道に建てられたお城のような住宅は、伝説的な設計士イワン・ジョルトフスキーによる設計。あまりにも装飾が派手だと批判され、彼は自分の資金で塔を建てた。この壮大な建設プロジェクトに取り組むまで、ジョルトフスキーは大量生産型住宅に携わっていたため、一般市民の目を楽しませる建築に取り組みたいと考えた。
一方、1階にはフィリョフスカヤ路線の「スモレンスカヤ」駅の入り口が作られた。地元の人々は地下鉄に近くに住むことで不便なことはないと述べている。
「文字通り、家の真下にある地下鉄の小さな騒音すら聞こえません。地下の天井の高さは7㍍あり、この住宅に「スモレンスカヤ」駅の出口を作るためにより強化した杭と緩衝材が使われているのです」。
地下鉄環状線の「パヴェレツカヤ」駅の入り口はノヴォクズネツカヤ通りにある建物の1階部分にある。この1950年代に建てられた建物には、国立地下鉄建設大学が入っており、普通のアパートと繋がっている。駅入り口の大部分は中庭にあるが、遠くからしか見えない。
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