ロシアは世界最大の国土を持つ国である。その面積は1710万平方メートル。フランスが25個、ドイツが47個入る広さである。これほど国土が広大になった理由はその歴史に隠されている。
ロシアは元々ヨーロッパの国家と同じように形成された。15世紀から16世紀まで多くの公国が争いを繰り返していたがその後モスクワが勝利を収めた。モスクワ公国はすべての敵を制圧することに成功し、当時ロシア人が住んでいた領土のすべてを統合した。
モスクワは難なく東部の領土を編入、開拓し、すでに1645年にはロシアは太平洋沿岸にまで達した。国際地理学連合のウラジーミル・コロソフ会長はロシアのシベリアおよび極東への領土拡大が とくに激しい抵抗を受けなかった主な理由を2点挙げている。
一つはもともと広大な寒冷の地には住民が少なかったということ。コロソフ会長はロシアNOWの取材に対し、「現在でもシベリアおよび極東の人口密度は1平方キロメートルあたり2人となっていますが、17世紀当時の人口密度はそれよりまだ低かったのです」と指摘する。そしてもう一つの理由は、当時シベリアにいた部族のうちのほとんどがロシア編入に反対しなかったこことである。
「ロシア人は地元の部族を征服しようとはしませんでした。彼らが興味を持ったのは主に毛皮など、ヨーロッパの人々との貿易で価値のある品々だったのです」と専門家は説明する。「一方、部族たちは自分たちの生活習慣を穏やかに守ることができました。ロシアは部族に毛皮製品などの形で税を納めさせ、それと引き換えに安全を保障したのです」。またコロソフ会長によれば、この条件は双方に受け入れられたため、シベリア征服は基本的に平和的な性格のものだったという。
同じ時期のロシアの西部と南部はそれより遥かに遅いスピードで領土を拡大していた。領土の外でポーランド、トルコといった影響力のある国々と戦わなければならなかったからだ。しかしそれでもロシア帝国は現在のロシアよりもさらに大きな面積、2180万平方メートルにまで達した。ロシアの役人アレクサンドル・ポロフツォフは1865年に、ロシアはあまりに巨大で統治するのが難しく、ときに国境の状況を把握するのも容易ではなかったと指摘し、次のように記している。
「今日、チェルニャエフ将軍がタシケント(中央アジアの都市で現在のウズベキスタンの首都)を掌握したという報せが入った。誰も何故か分からない。我が帝国の国境の状況にはやはり謎めいたことがあるものだ」
ロシア帝国に代わって生まれたソ連の領土はさらに拡大し、面積は2240万平方メートルとなった。現在のロシアの形は、共産主義を確立できなかった国が15の独立国家に解体されたソ連邦崩壊後に作られたものである。
一方、ロシアは広大な領土を持つにも関わらず、人口は1億4600万人で、領土面積が45分の1しかない日本の人口をわずか1000万人上回るに過ぎず、世界ランキングでは9位にとどまっている。その理由について、コロソフ会長はシベリアや極東の大部分、とくに北方は厳しい気候条件のため人が生存するのに適していない場所だからだと述べている。
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