ロシアってどんな国? よくある質問TOP10に答えよう

Russia Beyond (Klavdy Lebedev / Public Domain; Legion Media; "Royal titular" / Public Domain)
 ロシア史上の最重要ポイントと出来事についてのクイックリファレンスはこれだ。コンパクトに答えよう。

ロシアはなぜロシアと言うのか?

 「ロシア」という国名は、「Rus]という言葉に由来する。ただし、その正確な起源は不明だ。一部の歴史家は、「Rus」はローマ人が用いた「ross」に起源をもつという。この語は「赤」を意味した。別の説では、「Rus」はスカンジナビアの言語に遡り、ヴァイキングによって支配されたスラヴ人を表すために使われたという。 

ロシアの最初の支配者は誰?

リューリク

 ヴァイキング(ヴァリャーグ)のリューリクが、最初の公だと信じられている。彼は、年代記によれば、862 年頃にロシアのノヴゴロドを治めるように招かれたという。

 リューリクは、半ば伝説的な人物だが(この名前に関連する人物が、実際に何人かいた可能性がある)、リューリク王朝の創始者とみなされている。リューリクの末裔の公たちは、ロシアのさまざまな地域を支配し、権力がモスクワに統合されるまで、互いに戦いを繰り広げた。

なぜモンゴル帝国の侵略が起きたのか?

『バスカク』、セルゲイ・イワノフ作。バスカクはモンゴル帝国の官僚であり、貢納の収集を担った。

 ロシアの地へのいわゆるモンゴル・タタールの侵略は13世紀に始まった。チンギス・ハンが率いたモンゴル帝国の、世界の完全制覇の一環としてだ(彼らが知る範囲での「世界」ということだが)。モンゴル帝国の百戦錬磨の大軍は、ロシアの各公国を含む、中国から現代のハンガリーにいたる広大な領域を征服した。モンゴルはロシアの公たちに貢納を課し、彼らの政治的独立を奪った。

 しかし、間もなくモンゴル帝国は分裂し、ロシアの地は結局、モンゴル帝国が分裂してできた後継国家の1 つ、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の支配下に入った。14 世紀に入ると、ロシアの公たちは、ジョチ・ウルスに反抗し始め、1380 年の「クリコヴォの戦い」で初めてジョチ・ウルス軍を撃破した。その1 世紀後の 1480 年、ジョチ・ウルスへの従属は、「ウグラ河畔の対峙」と呼ばれる戦いで終わりを告げる。

ロシア最初のツァーリは誰?

イワン雷帝、H.ワイゲル作

 イワン雷帝(4世)として知られるイワン・ワシーリエヴィチは、ツァーリとして戴冠した最初のモスクワ大公だ。以後、ロシア・ツァーリ国の国名が用いられる。ちなみに、「tsar」という言葉は、ローマ皇帝のラテン語の称号「Caesar」に由来し、11 世紀の「古東スラヴ語」に登場する。『聖書』や古代の王、ビザンツ(東ローマ帝国)皇帝、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)のハンなどを指して用いられた。

  コンスタンティノープルは 1453 年にオスマン帝国に占領された。つまり、ビザンツの「ツァーリ」はもはや存在せず、その一方で、1480 年にジョチ・ウルスは、「ウグラ河畔の対峙」で撃退された。モスクワ大公国は独立し、その君主は完全な主権者となった。ロシア人の視点では、そのような君主は「ツァーリ」と呼ばれ得るわけだ。1547 年、モスクワ大公ワシリー3 世の息子であるイワン・ワシーリエヴィチが最初の「全ルーシのツァーリ」として戴冠した。

ロシアに王朝はいくつあったか?

 2つしかなかった。リューリク朝は16世紀に終わる。リューリク朝の最後の正統なツァーリ、フョードル・イワノヴィチ(イワン雷帝の息子)とその妻イリーナ・ゴドゥノヴァが、子孫を残さなかったためだ。

 「大動乱」(スムータ)として知られる王朝の危機の時代がこれに続く。ボリス・ゴドゥノフ(イリーナ・ゴドゥノヴァの兄)、偽ドミトリー 1 世、ワシリー・シュイスキーなど、いく人かのツァーリが短期間ずつロシアを統治した。しかし、リューリク朝の血筋はシュイスキーだけであり、彼の死後、ロシアには王位に就けるリューリク朝の公はいなくなった。

 「大動乱」の時代の後、ロシアの大貴族たちは、新しいツァーリを選出するために、一種の臨時の身分制議会である「ゼムスキー・ソボル」(全国会議)を召集した。しかし実は、その選択はすでに支配層によって事前に行われていた。新帝ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフは、フョードル・イワノヴィチの遠縁に当たった。彼がロマノフ王朝を創設し、1917 年にラストエンペラー、ニコライ 2 世が退位したときに、この王朝の支配が終わった。 

なぜモスクワがロシアの首都になったか?

『モスクワの赤の広場』フョードル・アレクセーエフ作、1801年

 モスクワ川の畔にあるモスクワは、その立地のおかげで、12 世紀にはすでに要塞であり、交易の中心地だった。モスクワ川は、オカ川、ヴォルガ川に合流する。このヴォルガ水系は、中世ロシアの交易と輸送の大動脈だった。モスクワ、ウラジーミルスーズダリを含むロシア北東部は、モンゴル・タタールの侵略の間、被害は比較的少なかった。キエフ・ルーシとロシア南部の公国は文字通り粉砕されたが。

 これが、13世紀以降、モスクワがますます勢力を増した理由の一つだ。14世紀には、モスクワの公は、他のリューリクの流れをくむ公たちを凌駕し、ウラジーミルとモスクワの大公となる。

 「クリコヴォの戦い」でモンゴル・タタール軍を破ったドミトリー・ドンスコイは、モスクワ大公だった。1389年には、ロシアの「主要な」都市とみなされていたウラジーミルは、モスクワ大公の世襲領地となる。

 それ以来、モスクワはロシアの主要都市とされる。15 世紀にロシアの地がジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の支配から独立すると、モスクワ大公がその支配者となった。そして、1547 年にイワン雷帝(4世)がツァーリとして戴冠すると、この国はロシア・ツァーリ国(モスクワ・ツァーリ国家)と命名される

首都がサンクトペテルブルクに移されたのはなぜ?

サンクトペテルブルクのカザン聖堂、1821年

 首都は、1712 年にピョートル大帝(1世)によって、モスクワからサンクトペテルブルクに移された。ピョートル大帝は、バルト海への出口を求めて、「バルト海の覇者」、スウェーデンと戦争を繰り広げた。これが大北方戦争(1700~1721年)だ。この戦争の過程で、ロシアはスウェーデンに属していた領域、現在のサンクトペテルブルク周辺(ネヴァ川河口の地域)を手に入れることができた。

 ピョートルは、バルト海の畔に首都としてサンクトペテルブルクを建設した。これは、モスクワがロシア領の奥深くにあるため、迅速かつ安全な貿易を確保しヨーロッパとの政治的関係を維持することが難しかったからだ。ピョートルは、外国の客がもっと早く、船でやって来ることを望んでいた。

 また、ピョートルは、モスクワの伝統的な、かなり「アジア的」な都市の構造と建築を好まなかった。彼は、新首都はよりヨーロッパ的であってほしかった。こうしてピョートルは、1712 年に宮廷をサンクトペテルブルクに移し、それにより支配層全体を新首都に「招いた」。

モスクワとサンクトペテルブルクが今でも「両首都」と呼ばれているのはなぜ?

 1728 ~1732 年の短期間、首都(および宮廷)はモスクワに戻されたが、それ以外の期間は、サンクトペテルブルクが 1918 年まで首都であり続けた。

 しかし、ロシア皇帝は、戴冠するために、依然としてモスクワの生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)を訪れていたので、モスクワは「旧首都」の称号を保持していた。

 ロシア革命後の1918 年に、ボリシェヴィキ政権下でモスクワが再び遷都されたとき、サンクトペテルブルグは、「北の首都」として知られるようになった(サンクトペテルブルクは、 第一次世界大戦中に、名称がドイツ風だというのでペトログラードと改められ、さらに、1924 年のウラジーミル・レーニンの死後は、レニングラードと改名)。

ロシアの君主の称号は――大公、ツァーリ、皇帝?

 ロシアの地で最初に知られている支配者リューリクは、彼以降の他のすべての支配者と同様に、伝統的に「公」と呼ばれていた。史料が少ないので、ロシア最初の公が本当は誰だったか、さらには、リューリク王朝以外に王朝があったかどうかは分からない。

 しかし、モンゴル・タタールの支配が終わる頃には、ロシアの支配者は「モスクワ大公」だった。1547年以降、すなわちイワン4世(雷帝)がツァーリとして即位すると、ロシアの君主は「モスクワおよび全ルーシのツァーリ」となった。

 1721年、スウェーデンとの大北方戦争での勝利後、ロシアの元老院は、ピョートル1世に皇帝の称号を贈り、ロシア帝国が成立した。

最長の治世は?

『イワン雷帝』クラヴディー・レベデフ作

 治世が最も長かったロシアのツァーリは、ロシア最初のツァーリであるイワン雷帝(1530~1584年)だ。形式的には、彼は 1533 年にわずか 3 歳でモスクワ大公に即位している。父のモスクワ大公ワシリー3 世の死後だ。1547 年までは、彼の統治は形式的で、ほとんどの決定は大貴族が行った。しかし、1547 年に16 歳で「全ルーシのツァーリ」として戴冠すると、彼の親政が始まる。

 イワン雷帝は、 1584 年に 54 歳で亡くなった。50 年3 か月にわたって国を統治したわけで、いまだにロシア「最長」の指導者だ。

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