コサックってどんな人たち?10の言葉で見てみよう

Boris Ushmaikin/Sputnik
 ロシアのコサックは、15世紀から知られており、祖先の伝統を守りつつ、今も存在している。彼らの何が特別なのか?その生活と歴史に関する10のキーワードを抜き出してお話ししてみよう。

1. コサック

クバンのコサック、19世紀

 ロシアのコサックは、オリジナルの純粋な形を今日にとどめる、ユニークな文化的現象だ。単なる社会的階層でもなく、民族集団でもなく、独特の性格をもつ民族・社会集団と言えよう。

 「コサック」の語源ははっきりしない。一説によると、モンゴル語に由来し、「境界を守る」という意味だという。実際、コサックは、ロシア帝国の国境を守る軍隊だった。

 別の説によると、「大胆で自由な人」を意味するチュルク語だという。『ソビエト大百科事典』は、コサックについてこう記しており、これに反駁するのは難しい。コサックは常に国家に仕えてきた一方、まさに自由を愛する人々だったからだ。ときにコサックの大反乱が起きるのも、そのためだ。17世紀のコサック、ステパン・ラージンと18世紀のエメリヤン・プガチョフは、ツァーリの正規軍を相手に大規模な戦いを展開した。

 

2. (静かな)ドン

小説『静かなドン』のイラストレーション

 ドン、クバニ、ザポロージャ、シベリア、ウラル…これらのコサックは、ロシアのさまざまな地域に「住み着いており」、民族構成にも大差があったが、いずれもコサックだ。最初の正式のコサック軍は、ドン流域で形成された。1570年に、ドン・コサックがイワン4世(雷帝)から手紙を受け取ったのが発端だ。

 ロシア革命後、1918~23年の内戦期にコサックは分裂した。ボリシェヴィキ政権を支持する「赤い」コサックもいれば、君主主義者につく「白い」コサックもいた。しかし、多くの者が、頻繁にあちこちに寝返っていた。これは、ミハイル・ショーロホフの名作『静かなドン』に見事に描かれている。

 ヒトラーもまた、コサックの反乱を起こしがちな傾向を利用して、第二次世界大戦中に、いくつかのコサック軍を味方につけようとした。

 

3. 「ヴォーリニツァ」(コサックの自治組織)

「コサックの輪」、1992年

 当初、コサックは、逃亡農民から形成されたと考えられている。彼らは、国家から、あるいは自分の主人からの自由を、つまり封建的抑圧からの自由を望んだ。そのため、コサックの集落には、ロシアでは珍しい自治制度「ヴォーリニツァ」があった。すべての問題は、いわゆる「コサックの輪」で話し合われた。そこに成人男性が集まり、誰を罰するか罰金を科すか、誰が狩猟または漁労に行くか、そして誰が警護に当たるかを決めた。

 

4. アタマン

コサックのアタマンであるドミートリ・カシリン、1912〜1915年

 「ヴォーリニツァ」(コサックの自治組織)は、アタマン(首領)によって率いられた。彼は、ヴォーリニツァに属する成人男性の自由選挙で選ばれた。アタマンには、大きな権威があり、彼の助言と決定は重んじられた。しかし、彼の支配は、権威主義的ではなかった。しかも、ヴォーリニツァの成員たちはいつでも新アタマンを選ぶことができたし、彼自ら辞めることもできた。

5. 馬(コーニ)

ソ連の映画『静かなドン』、1957〜1958年

 馬のないコサックは、銃のない兵士のようなものだ。馬のないコサックは、まったく寄る辺ない存在に成り下がる。「コサックは腹ペコで、馬は満腹」。この民衆の諺は、コサックの暮らしのなかで馬が果たす役割を示してあまりある。要するに、馬のないコサックはコサックではない。

 コサックは幼い頃から乗馬を習う。忠実な馬を失うと、まるで近親者が亡くなったように悼む。コサックは、ロシアの正規軍の一翼を担い、騎兵隊に含まれていたが、歩兵連隊もあった。

6. シャーシカ(軍刀、サーベル)

『トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージェ・コサック』、イリヤ・レーピン画、1878〜1891年

 馬と同様に、コサックに欠かせないものに、シャーシカ(軍刀、サーベル)があった。その長い刀身は少し反っており、斬ることも突くことできる。コサックは、これを常に腰にぶら下げていた――寝るときは別にして。これは、たとえば、イリヤ・レーピンの絵画「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサックたち」からよくうかがうことができる。

 この絵の舞台は、17世紀の露土戦争だが、コサックたちはリラックスしているときでさえ、シャーシカを放さない。それは、画面のいたるところに見える。

 ちなみに、コサックたちは、この伝説的な手紙で、スルタン自身に強烈な呪詛と侮辱の言葉を投げつける。絵画では、彼らが、痛罵をひねり出しながら哄笑しているのが分かる(そういう罵言のなかで最も穏やかなのが「てめえは豚面だ」)。

 コサックは、シャーシカで、信じ難いような名人芸を駆使できた。たとえば、シャーシカを目にもとまらぬ速さで水車のように縦横に振り回す技は、彼らの曲乗りを彷彿させる。ただし、ここでは馬なしだが。百聞は一見に如かず。動画をご覧いただきたい

 

7. パパーハ(円筒形の毛皮帽)

 コサックの装いと髪型は伝統的なものだが、地域と時代によって異なった。剃った頭に前髪を残した者もいれば、口髭を長く伸ばした者もいれば、顎鬚を剃らない者もいる。しかしいずれも、パパーハ(円筒形の毛皮帽)をかぶっていた点は共通する。

 もともとこれは、カフカスと中央アジアに伝統的な男性の帽子だった。しかし、後にそれはコサック軍に「浸透」した。15世紀には、ロシア南部のドン・コサックは、チェルカスと呼ばれさえした。カフカスの民族、チェルケス人と混同されたわけだ。パパーハについて詳しくはこちら

 

8. ガズイリ(チェルケス服の胸に縫い付けた銃弾筒)

 これも、それなしではコサックであり得ないもの。一種の胸ポケット「ガズイリ」だ。カフカスの伝統衣装である裾長の上着「チェルケスカ」に縫い付けられていた。タバコでも入れているのかと思うかもしれない(ソ連のコメディ映画『コーカサスの女虜』に、そんなジョークがあった)。しかし、このポケットは、湿気を防いで火薬を保管できるように考案されていた。

 

9. シャロヴァルイ(膝上がだぶだぶのズボン)

コサックのアタマン、アレクサンドル・ドゥートフ

 多くのコサックにとって、膝上がだぶだぶのズボン「シャロヴァルイ」も、伝統的な衣装だった。大抵は、横の縫い目に幅広の飾り紐がついていた。しかし、コサック軍は、ストレートカットのズボンと乗馬用ズボンを併用し、やがてそれが赤軍の制服になる。

 赤軍の赤いシャロヴァルイは、赤軍の騎兵隊の褒章であり、とくに勇敢な行為に対して与えられた(ソ連映画『将校たち』には、この褒章をもらう鮮烈なエピソードが含まれている)。

 

10. コサック・ダンス

 コサック・ダンスは、ウクライナの民族舞踊「ホパーク」と多くの共通点があるが、どちらが先に登場したかについては、歴史家らの見解は分かれる。

 コサック・ダンスの主な要素は、しゃがんで順番に片足を前に突き出したり、高く跳躍して両足を水平に開いたりするもの。そのほか、勇敢なコサックの技量を示すさまざまなトリックや宙返りがある。後にこうした要素は、ソ連の水兵のダンス「ヤブロチコ」に採り入れられた。

 コサック・ダンスは、初めはゆっくりで――優美と言ってもいいくらいだ――、その後ペースが上がり、凄く威勢のいいダンスになる。1864年に作曲家アレクサンドル・ダルゴムイシスキーが、コサック・ダンスのテーマで書いた最初の交響幻想曲を聴いてみよう。

もっと読む:

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる