2016年4月7日、ナゴルノ・カラバフ=
カロ・サアキヤン撮影/ロシア通信ナゴルノ・カラバフで数日間続いた軍事衝突により、約60人が命を失った。紛争の「熱相」が終結した1994年以降で最も深刻な情勢の悪化である。
ソ連時代はアゼルバイジャンの一部であったが、主な住民がアルメニア民族であった領域の管理をめぐる「熱相」すなわちナゴルノ・カラバフ戦争は、2年続いた。この時に死亡した人は1万5000人以上。アルメニアが保護する未承認のナゴルノ・カラバフ共和国も建国されている。
この紛争は、専門家によると、完全に凍結されていなかったのだという。「誰も殺されない、銃撃戦もない月はなかった」と、政治情勢センターのセルゲイ・ミヘエフ所長は話す。だがここ1年で紛争は激化していた。
仲介グループの一員として20年前の停戦で独自の役割を果たしたロシアは現在、アゼルバイジャン、アルメニアの双方との関係を確立しようとしている。アルメニアはロシアと同盟関係にある。そのため、ロシアにとって最も難しいのは、この紛争でどちらを支持するかを決めることなのだと、専門家は話す。ロシアは今のところ、両国と対話しようとしている。「タス通信」によると、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領は、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相と会談した際、4月5日にロシアの調停を介してナゴルノ・カラバフの休戦について合意した、と話した。
I.ゼーニン撮影/ロシア通信
モルダビア共和国(現モルドバ共和国)東部のウクライナ共和国と接する領域で起きたことは、ソ連崩壊にともなうモルダビアの独立に対する反応であった。モルダビアの工業的に発展した東部のロシア語系住民を筆頭とする国民の一部は、民族主義的な国家が建国されると考え、反対した。政府は東部(沿ドニエストル)の勢力を力で封じ込めようとし、1992年に数ヶ月間、武力衝突が起こった。これにより、数百人が死亡した。ロシアの平和維持部隊がこの地に派遣され、紛争は収まった。部隊は現在でも駐留している。
専門家によると、沿ドニエストルの緊張は最近高まっているが、武力衝突には発展しないという。沿ドニエストルの状況の悪化は、ウクライナ情勢を背景に起きている。沿ドニエストルは親ロシア的なムードによって、ロシアとウクライナの関係危機の影響を受けているのである。ウクライナは昨年9月末、この地域の交通封鎖を行おうとした。CIS諸国研究所のウラジーミル・エフセエフ氏によると、沿ドニエストルの経済問題はウクライナ側からも、モルドバ側からも、もたらされているという。ロシア外務省は、モルドバ政府が沿ドニエストルのロシアの平和維持部隊を独自の市民団と入れ換えて追い出そうとしていると指摘。これによって沿ドニエストルの情勢の緊張が高まるとのでは、と懸念している。
セルゲイ・ティトーフ撮影/ロシア通信
アブハジア紛争と南オセチア紛争は、多くの点で沿ドニエストルをほうふつとさせる。ソ連末期にグルジア政府が独立路線をとったことに対し、アブハジアは自分たちの主権を宣言した。南オセチアでも主権が宣言された。ここはそれよりも前から、グルジア共和国内の自治共和国の地位を求めていた。
どちらのケースでも、対立は武力衝突に発展。アブハジアの紛争は、より長く続き、被害も大きかった。死者数は1万4000~1万6000人。南オセチアでは、衝突によって1000人強が死亡した。どちらの紛争も、ロシアの平和維持部隊の派遣によって終結した。南オセチアでは、グルジア軍が2008年8月に南オセチアの首都ツヒンバリに侵攻し、攻撃したのが最後。ロシア側の駐留部隊もこの時応戦した。この5日間の衝突の結果として、ロシアは南オセチアとアブハジアの独立を承認し、ロシア軍の駐留を認めた。
2015年、ロシアとアブハジアの「同盟と戦略的パートナーシップに関する条約」が発効。ロシアと南オセチアの「協力と統合に関する協定」も発効した。アブハジア、南オセチア、グルジアの対話の場は現在、国連、欧州連合(EU)、欧州安全保障協力機構(OSCE)の管理のもと、スイス・ジュネーブで行われている、安全保障および安定に関する議論に限られている。
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