クリミア後の沿ドニエストル

沿ドニエストル(ドニエストル川東岸)はソ連時代末期にモルドバからの分離を目指し、1990年に独立を宣言。=タス通信撮影

沿ドニエストル(ドニエストル川東岸)はソ連時代末期にモルドバからの分離を目指し、1990年に独立を宣言。=タス通信撮影

国際社会はクリミア編入の一件があってから、モルドバ共和国のロシア語地域である沿ドニエストル共和国を注視している。沿ドニエストル(ドニエストル川東岸)はソ連時代末期にモルドバからの分離を目指し、1990年に独立を宣言。1992年のモルドバとのトランスニストリア戦争の結果、事実上の独立を果たした。ウクライナの欧州広場とロシアへのクリミア編入が、どうモルドバに影響するのだろか。

モルドバ側から

 モルドバのニコラエ・ティモフティ大統領は、2012年に連立与党「欧州統合連盟」から立候補し、選出された。ティモフティ大統領は、沿ドニエストルからロシア連邦軍を追放し、「特別地域」としてモルドバに再編入することを目指している。野党の共産党と社会党は、沿ドニエストルの状況は難しいものと考えている。

 歴史学者、政治学者でもあるモルドバ議会のズラブ・トドゥア共産党議員は、こう考える。「西側諸国はモルドバをロシアとの対立に向かわせようと扇動を続けている。これによってモルドバとルーマニアでは(両国の)統一主義者が現れており、沿ドニエストルを献上して、ルーマニアへのモルドバの吸収合併を実現しようとしている。ただ、事態が急激に悪化した場合、ドニエストル川東岸の住人のほんの一部しかルーマニアに移らない。ほとんどの住人、特にモルドバの北部と南部の住人は、ロシアとの関税同盟、ユーラシア同盟への統合を望んでいる」

「コザク覚書」

2003年、ロシアの特別代表立ち会いのもと、「コザク覚書」が作成された。沿ドニエストルが連邦の一員としてモルドバに戻るという内容のもの。最終段階でモルドバのウラジーミル・ヴォロニン大統領(当時)は、西側からの圧力に屈し、仮調印された覚書への署名を拒んだ。

 沿ドニエストルで「クリミア」や「南オセチア」のシナリオを回避するチャンスは、2つしかないという。「一つ目は、モルドバ政府が軍事力を行使して領土問題を解決しようとしないこと。二つ目は、内政安定が続くこと」

 安定については、多くの人が懐疑的に見ている。モルドバ議会のイーゴリ・ドドン社会党議員はこう話す。「モルドバではあからさまで強硬なルーマニア化が進んでいる。ガガウズ自治区では対外方針の住民選挙が禁止されているし、モルドバ国内の全地域で住民投票が禁止されている。政府は譲歩なしの西側、欧州統合路線をとっているが、世論調査によれば、モルドバ国民の半数以上が関税同盟への加盟を望んでいる」

ロシア駐留軍

沿ドニエストルにはロシア連邦軍が駐留している。人数は作戦集団の兵士1500人と、仲裁人400人。現代のウクライナでは、この軍人が「脅威」と考えられている。

 「モルドバ政府は自ら罠にはまり、自ら行き詰まり、国を二分どころかいくつかに分割してしまうような挑発を行っている。この問題の勝利者は、モルドバという国の崩壊を見て喜ぶルーマニア政府。モルドバがルーマニア化政策と欧州統合を続けたら、そして、西側と東側が新たな冷戦に突入し、クリミア以外の地域の分離運動が起こったら、沿ドニエストルだけでなく、ガガウズもモルドバからの完全な分離を求めるだろう。これは国家の崩壊だ」とドドン社会党議員。

 モルダビア・ソビエト社会主義共和国時代の領土に戻すための唯一の策は、国の連邦化だという。「モルドバ政府がこの20年来の問題を、平和的かつ沿ドニエストル政府と合意できる形で解決するには、国の行政機構を根本的に変えるしかない。これを西側もすでに理解しているが、モルドバ政府は沿ドニエストルを国の一地域として取り戻すことに夢中になっている。このような非生産的な執着に導いているのがルーマニア政府。モルドバの連邦化とは、ルーマニア政府にとって、モルドバ合併および大ルーマニアの創設の希望が打ち砕かれることを意味する」

 

ロシア側から

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クリミアって何?

 ロシアはこの23年間、モルドバの領土の一体性に公式的な疑義を示したことはない。しかしながら、外交に配慮した慎重な姿勢とは裏腹に、専門家やロシア下院(国家会議)議員らは発言を行っている。

 新国家国際研究所のアレクセイ・マルトィノフ所長はこう話した。「沿ドニエストルは厳しく封鎖されようとしている。この状況においてロシアは、沿ドニエストルに暮らす20万人のロシア系市民の運命を無視することはできない」。

ロシアとの関係

 沿ドニエストルがロシア帝国の一部となったのは18世紀末。首都ティラスポリは、1792年にアレクサンドル・スヴォロフによって構築された。1917年のロシア革命まで、沿ドニエストルはヘルソン県、ポドリヤ県、ベッサラビア県にわかれていた。

住民構成

沿ドニエストル共和国の住民構成は、モルドバ人(31.9%)、ロシア人(30.3%)、ウクライナ人(28.8%)で、公用語はモルドバ語(キリル文字)、ロシア語、ウクライナ語。通貨は沿ドニエストル・ルーブル。

 「多くの人が今日、沿ドニエストルの『クリミア的シナリオ』について語っている。私はそうではなく、独自の『沿ドニエストル的シナリオ』を予期している。そしてモルドバ政府が第二のモルドバの国家『沿ドニエストル・モルドバ共和国』の承認手続きを始めなければ、かなり近い将来に、沿ドニエストルが85番目のロシア連邦構成主体になるかもしれない」とマルトィノフ所長。

 ロシアの構成主体になるか否かはさておき、沿ドニエストルの承認は、人口がその3倍も存在するクリミアの編入より、はるかに大きな技術的問題を生む。ロシアと沿ドニエストルは国境を接しておらず、沿ドニエストル共和国の首都であるティラスポリには民間空港がないことから、空の連絡が難しい。そして西側諸国とアメリカはヒステリーに陥るだろう。一方で、この狭い帯状の地域には、ロシア系住民20万人と、ロシアへの統合を望む住民30万人がいる。

 

元記事(露語)