羽生選手vsプルシェンコ選手

Reuters
 エフゲニー・プルシェンコは、21世紀の最初の10年間、世界のフィギュアスケートの主役だった。現在は、そのスケールにおいて絶対に劣らない、日本の羽生結弦の時代である。この優れた偉大なる2選手をロシアNOWが比較してみる。

 羽生とプルシェンコはまったく異なるタイプの選手だ。前者は「ジャンプ・マシン」と認識され、大会での鉄のような精神力とどんなに危ういジャンプでも決めてしまう技能を持つ選手。後者は堅固な性格、音楽を肉体と滑りで表現できる力を持つ、繊細な詩人肌の選手。この時、2人の「行程」には共通点が多数ある。それは相違点よりも多いようだ。

 

世界デビュー

羽生

 ジュニアの世界選手権にデビューしたのは2009年、14歳の時と、かなり早い。結果は12位で、センセーショナルというわけではなかった。だが次のシーズンでは、日本選手権、クロアチアとポーランドのグランプリ(GP)シリーズ、GPファイナル、世界選手権と、出場したジュニアの5大会で見事な演技を見せた。シニア・デビューは2010/11シーズン。ジュラヴリョンカ(鶴ちゃんという意味で、ロシアのファンが親しみをこめて羽生をこう呼んだ)はすぐにトップにのぼることはできず、2010年NHK杯で4位、2010年ロシア・カップで7位にとどまった。だが2011年の四大陸選手権ですぐに銀メダルを獲得し、「日本で新たなスターが生まれた」と専門家に認識させた。

プルシェンコ

 世界ジュニア選手権にデビューしたのは1996年で、13歳になったばかりであった。兵ぞろいのこの大会で6位になり、翌年にはライバルにいかなるチャンスを与えることもなく、同じ大会で優勝した。このシーズン、シニアの大会でも力試しをし、ロシア・カップで4位、フィンランディア杯で7位についた。

 

初めての大勝利

羽生

 大活躍したのはソチ冬季五輪直前の2013年12月。福岡のGPファイナルの氷上で、優勝候補だったカナダのパトリック・チャンをまったく寄せ付けず、信じられない奇跡を起こした。

プルシェンコ

 リヨンで2000年1月に開催されたGPファイナルで大健闘した。この時、ショート・プログラム、フリー・スケーティング、ファイナルで1位を獲得。3度の世界チャンピオンであるカナダのエルビス・ストイコはファイナルで打ち負かされた。

 

フリーの高難度ジャンプ

羽生

 2015/16GPファイナルでは、文字通り、すべて成功させた。最初に4回転サルコウ、次に4回転トウループ。続いてトリプルフリップ、後半にはトウループの4回転・3回転のコンビネーション、トリプルアクセルとダブルトウループのコンビネーション、「トリプルアクセル・シングルループ・トリプルサルコウ」のコンビネーション、トリプルループ、そして最後にかなり難しいトリプルルッツ。すべてのジャンプの質が文句なしだった。どれも「+2」~「+3」であった。

プルシェンコ

 2001年ヨーロッパ選手権(旧採点法)では、誇張なしに、完璧な滑りを見せた。最初に得意の「4回転トウループ・トリプルトゥループ・ダブルループ」のコンビネーションをきれいに決め、次に4回転トウループを単独できれいに飛んだ。続いて「トリプルアクセル・トリプルトウループ」のコンビネーション、トリプルサルコウ、トリプルルッツ、トリプルフリップ。最後のトリプルループだけ、出だしにわずかな先端のつっかかりがあった。当時はジャンプのエレメントが現在の8つよりも少ない、7つまでに制限されていた。ジャッジは技術に6点一つ(かなり珍しいケース)、芸術に6点二つをつけた。

 

ドラマ

羽生

 2014年中国杯。フリーの前の公式練習で、羽生はフルスピードで中国の閻涵と衝突。氷上に倒れたが、応急手当を受けた後、氷上にあがり、演技を行った。いくつものジャンプがうまくいかなかったが、それでも2位についた。このがんばりでGPファイナルへの出場のチャンスを守り、そのチャンスを見事に活用した。

プルシェンコ

 2005年世界選手権。国内選手権の主要なメダル候補であったが、この大会にはケガを抱えて参加した(ケガは公表されていなかった)。選考もショートも(それぞれ1位、2位)、痛みどめを打っての滑りであった。だがフリーで痛みが耐えられないほどに強まり、大会を棄権し、鼠径輪の緊急手術を受けた。術後10ヶ月でプルシェンコはトリノ冬季五輪に出場し、優勝した。

羽生プルシェンコが公式競技で対戦したのは一度だけである。それはソチ冬季五輪の団体戦。写真提供:Newscom/Vostock-Photo

象徴的なエレメント

プルシェンコ

 ビールマンスピン。当時の男子シングルの世代で、「女子の」回転をしていたのは、ほぼプルシェンコのみだった。ちなみにビールマンスピンとは名前のついているスイスのデニス・ビールマンが考案したエレメントではなく、はるか前の1955年にタマーラ・モスクヴィナが女子シングルで実施している。

羽生

 ビールマンスピン。本人の話によると、憧れのプルシェンコがこのエレメントを実施していたため、練習を始めたのだという。

 

直接対決

 プルシェンコ羽生が公式競技で対戦したのは一度だけである。それはソチ冬季五輪の団体戦。それもショートのみである(日本からフリーに出場したのは町田樹)。結果、羽生が勝利した。羽生は第1の評価でも(52.55対48.18)、第2の評価でも(45.43対43.21)勝っていた。

史上最高の二人

羽生結弦

 五輪金メダル(2014)。世界選手権金メダル(2014)。GPファイナル3度金メダル(2013、2014、2015)。日本史上最高の男子シングルの選手。

エフゲニー・プルシェンコ

 五輪2度金メダル(2006、2014)。世界選手権3度金メダル(2001、2003、2004)。ヨーロッパ選手権7度金メダル(2000、2001、2003、2005、2006、2010、2012)。GPファイナル4度金メダル(1999、2000、2002、2004)。ロシア・ソ連史上最高の男子シングルの選手。

 

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