カザン出身でイリヤ・レーピンの弟子だったニコライ・フェシンは1923年、アメリカに移り住んだため、アメリカの画家と考えられている。しかし、ソ連でも、またロシアでも彼の作品は高く評価され、莫大なコレクションがタタルスタン美術館に保管されている。カリフォルニアで生涯を終えたフェシンの最後の意思に従い、1975年、彼の遺灰は生まれ故郷のカザンに埋葬しなおされた。
2010年、フェシンの「小さなカウボーイ」は、イギリスのオークションハウス、マクドゥーガルズで、ロシア芸術品としてはもっとも高額な値で落札された。名もないロシアの収集家が1080万ドル(およそ15億9000万円)を払ってこの絵を手にした。
ナタリヤ・ゴンチャロワ「スペイン女」、1914年
個人コレクションロシアのもっとも有名な女流画家の一人で「アヴァンギャルドのアマゾネス」だったゴンチャロワは、キュビズム、レイヨニスム、プリミティヴィスムなどさまざまなスタイルに熱中し、数々の画家グループ、展覧会に参加、出品した。自らの創作では、イコン(聖像画)やロシアの民族的モチーフをテーマにした。夫である画家のミハイル・ラリオノフとともに、長年にわたりフランスに住み、ディアギレフの「セゾン・リュス(ロシアン・シーズン)」の舞台装飾や衣装を手がけた。
2007年、ゴンチャロワの「リンゴ摘み」はロンドンのクリスティーズで490万ポンド(およそ14億7400万円)で落札され、女流画家の作品として高額記録を打ち立てた。そして翌年、ゴンチャロワの作品「花」が550万ポンド(およそ16億600万円)で落札され、自らの記録を更新した。さらに2010年、ロンドンで、抽象画「スペイン女」も1000万ドル(14億7400万円)で競り落とされている。
「聖母の御業」、1933年
Christie'sニコライ・リョーリフは、もっとも謎めいた、もっとも独特なロシアの画家の一人である。何よりも、ヒマラヤの風景画、また宗教、とりわけ聖書の内容の再解釈で知られる。多作だったリョーリフの絵画はオークションでも度々出品され、ロシア芸術の愛好家から数十万ポンド、または数百万ドルの値がつけられている。
「シャンバラ」シリーズの「偉大で聖なるタングラ」はクリスティーズで142万ドル(およそ2億945万円)で、また「老子」は190万ドル(およそ2億8020万円)で、「平和の煙」は250万ドル(およそ3億6900万円)でそれぞれ落札された。
オークションハウス「ボナムズ」の記録的な落札金額となったのは、「聖母の御業」。2013年に1200万ドル(およそ17億7000万円)で落札された。
「マリヤ・ツェトリナの肖像画」、1910年
Christie's写実主義で、19世紀末から20世紀初頭にかけて移動派画家として活躍したセロフは、ロシアのアヴァンギャルド画家と異なり、オークションにかけられることはあまりない。しかも、その作品ははるかに安く売られている(イワン・アイヴァゾフスキー、アルヒープ・クインジ、イワン・シーシキンは最高でも300万ドル強くらいである)。
2014年に、文字通り偶然ロンドンのクリスティーズに出品されたのがワレンチン・セロフの「マリヤ・ツェトリナの肖像画」。作品は、イスラエル、ラマト・ガンにあるロシア美術館に、オークションに委ねられた(マリヤ自身がこの絵を当館に遺贈した)。作品は927万ポンド(およそ21億4060万円)で落札され、ロンドンで売却されたロシア美術品の当時の最高記録を樹立した。
「赤いスカーフをした男の肖像画」、1921年
Sotheby'sスーチンは、フランスの画家とされ、「パリ派」の巨匠と言われるが、ロシア帝国(現在のベラルーシ、ミンスク州)のユダヤ人家庭に生まれた。20歳のときに、絵画を学ぶため、パリに移り住んだ。そこで多くの有名な画家と知り合い、とりわけアメデオ・モディリアーニと親交を深めた。スーチンが描いたモディリアーニの肖像画はよく知られている。
「赤いスカーフをした男の肖像画」は2007年、サザビーズで172万ドル(およそ2億5400万円)、その前年、「牛肉」がクリスティーズで152万ドル(およそ2億2450万円)で、落札された。2010年には、ベラルーシ銀行が、「高架橋のあるシャルトルの広大な牧草地」(40万ドル=およそ5900万円)、「エヴァ」(180万ドル=およそ2億6570万円で、ベラルーシでもっとも高額作品となった)、「本を持って眠るマドレーヌ・カステン」(45万ドル=およそ6640万円)を含むスーチンの3枚の作品を購入した。
「赤い帽子を被ったショッコ」、1910年
Sotheby'sヤヴレンスキーはロシア初の印象派画家と考えられている。ヤヴレンスキーは、第一次世界大戦前に移り住み、ドイツで、印象派というスタイルと出会った。そして、そこでカンディンスキーの芸術家集団「青騎士」のメンバーとなった。
ヤヴレンスキーは、2000年代にロシア美術館で大規模な展覧会が開かれるまで、ロシア国内ではそれほど知られていなかった。ヤヴレンスキーに対する関心が高まったことについて、批評家らは、「赤い帽子を被ったショッコ」が2003年にサザビーズで830万ドル(およそ12億2400万円)、2008年には1860万ドル(およそ27億4320万円)で落札されたことによると指摘している。2006年に、作品「茶色の目」がクリスティーズで550万ドル(およそ8億1067万円)で売却された。
「大いなるサッカー選手」、1952年
Christie's本名はニコライ・スタリ・フォン・ゴルシテイン。ロシア軍の将軍でドイツのルーツを持つ伯爵の息子として生まれた。革命後、一家は5歳のニコライを連れて、ソヴィエト・ロシアから亡命した。その後、両親がまもなくして死亡したため、ニコライはベルギーのある一家に養子として迎えられた。
ブリュッセルの王立アカデミーで絵画を学び、後にはフランス、イタリア、スペインに住んだ。同時代人の中では、ロシアの移民であるハイム・スーチンとワシリー・カンディンスキーから多大な影響を受けた。スタールは、タシスム、そしてキュビズムに呼応するものとなった抽象的印象派を代表する画家とされている。
2011年、スタールの「横たわる裸婦」がパリのアートクリアルオークションで700万ユーロ(およそ13億8600万円)で、2018年には「花」がクリスティーズで830万ユーロ(およそ13億3030万円)でそれぞれ落札された。2019年には、クリスティーズで、巨大な抽象画「大いなるサッカー選手」に2200万ドル(32億4400万円)という値がつけられ、裸体を描いた作品の記録を破った。
「恋人たち」、1928年
個人コレクション生前、本当の貧しさというものを知っていたシャガールの死からわずか5年後の1990年、「誕生日」がサザビーズ・オークションで1485万ドル(およそ21億8970万円)で落札された。作品を競り落としたのは、すでにシャガールの作品を30点ほど収集していた日本の企業家、青木拡憲であった。
サザビーズでは、「大サーカス」が2度、出品、落札されている。落札金額は、1度目の2007年には1200万ドル(およそ17億6949万円)、そして2度目の2017年には1600万ドル(およそ23億5928万円)にのぼった。また同じ年、「3本の蝋燭」が1450万ドル(およそ21億3810万円)、また「恋人たち」が2845万ドル(およそ41億9509万円)でそれぞれ落札された。
「白い線」、1913年
個人コレクションオリジナリティ溢れる作風が特徴的な抽象画の先駆者カンディンスキーは、世界でもっとも有名なロシアの画家の一人である。1990年、サザビーズでは、作品「フーガ」が収集家エルンスト・バイラーによって3820万ドル(およそ56億3278万円)で売却された。2017年には、サザビーズで、「虹のムルナウ」が(しかも22分という記録的な時間で!)2670万ドル(およそ39億3700万円)で、また「白い線」が4200万ドル(およそ61億9310万円)で落札され、最高額の記録を作った。
「シュプレマティスム・コンポジション」、1916年
Private collection Brett Gorvyマレーヴィチは真の記録保持者である。彼の作品の多くが、最高額絵画のリストに何度も含められている。2015年にはサザビーズで、「神秘的なシュプレマティスム」が3800万ドル(およそ56億329万円)で、また「シュプレマティスム、18番目の構成」が3410万ドル(およそ50億2821万円)で落札された。
現在までで全時代を通じてもっとも高額なロシアの絵画は、マレーヴィチの「シュプレマティスム・コンポジション」。2008年にサザビーズで6000万ドル(およそ88億4730万円)で落札された。そして2018年には自身の持つ記録を更新した。作品はニューヨークのクリスティーズで、ある人物が8580万ドル(およそ126億5164万円)で購入した。
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