『至聖三者』
トレチャコフ美術博物館アンドレイ・ルブリョフは、最も傑出したロシアのイコン画家だ。彼の伝説的な『至聖三者』(1411年)は、ロシア芸術の精神的なシンボルとみなされている。
しかしながら、彼の人生は謎のままなのだが、修道士であり、その人生を神とイコン画に捧げたことは知られている。その結果、彼はロシア正教会によって聖人と認められた。
『救世主』、1410年
トレチャコフ美術博物館ルブリョフは、モスクワのクレムリン内にあるブラゴヴェシチャンスキー聖堂のフラスコ画を手掛けたが、これは悲しいことにもう現存していない。
『天使首ミハイル』、1408年
トレチャコフ美術博物館ズヴェニゴロドとウラジーミルのウスペンスキー大聖堂は、いずれもルブリョフによって描かれており、どちらのフレスコ画も今日もなお展示されている。
『ポンペイ最期の日』
国立ロシア美術館同時代の人たちに「絵画の皇帝」と呼ばれたカール・ブリューロフは、 国際的に活躍したロシア初の画家とみなされている。壮大な『ポンペイ最期の日』(1830-1833年)は、イタリア滞在中に創作され、パリの展覧会でグランプリを獲得した。
『馬上の貴婦人』
トレチャコフ美術博物館このロシア・ロマン主義の父は、フランス人の両親を持ち、1822年までは非常にフランス的なシャルル・ブリュローという名前だった。彼の家族は、曾祖父の時代から始まって、長きにわたり有力な芸術家たちに支持されていた。
イヴァン・クルィロフの肖像
トレチャコフ美術博物館しかし、ほとんどすべての人は彼を肖像画家として知っていることだろう。『馬上の貴婦人』(1832年)は、トレチャコフ美術館の目玉のひとつとなっている。
『ボスポラス海峡とコンスタンティノープルの景色』
ウィリアム・ターナーを除けば、もちろん、誰も彼のように海を描くことはない。海の絵の巨匠、イヴァン・アイヴァゾフスキーは、世界で最も高い値のつくロシア画家のひとりだ。『ボスポラス海峡とコンスタンティノープルの景色』(1856年)は、2012年にサザビーズで500万ドル近くで売られた。
『第九の波涛』
国立ロシア美術館アイヴァゾフスキーは非常に多作であった。彼は6,000点を超える作品を創作している。『第九の波涛』(1850年)や『黒海』(1881年)、『月明かりのボスポラス海峡』(1894年)は、彼の最高峰である。
『月明かりのボスポラス海峡』
トレチャコフ美術博物館『ミヤマガラスの飛来』
トレチャコフ美術博物館写実主義の画家アレクセイ・サヴラーソフは、ロシア絵画における抒情的風景画のジャンルの創始者だ。彼の作品は、個性や親密さ、そして自然に満ちている。
モスクワのクレムリン、春(1873年)
トレチャコフ美術博物館彼は24歳でアカデミーの会員となり、同時代の人たちから高い評価を得ていたが、悲しいことに、67歳で貧民病院で亡くなっている。
サヴラーソフは、ロシアの風景画の中で最も有名な作品のひとつである、『ミヤマガラスの飛来』(1871年)を描いている。どの生徒も、この絵に関する作文を書いたことがある、ロシア人たちは子どもの頃からこの作品に親しんでいるのだ。
『松林の朝』
トレチャコフ美術博物館真の人間の画家だ。全ロシア世論調査センターによると、彼は、ロシアで最も良く知られている画家の首位を占めている。
子どもたちは、シーシキンのことは早くから学んでいる。というのも、『松林の朝』(1886年)は、有名なロシアのクッキーの包装に使われており、「ミーシカ・コソラープィ」(不器用なクマさん)と呼ばれている。
おそらく、最も偉大な写実主義の画家であるレーピンは、あらゆる多様さと複雑さをもって、ロシアの生活を描いた。彼の絵画の多くは、背景にある強力なイデオロギーに対立している。
『ヴォルガの船曳』
国立ロシア美術館彼の最も有名な傑作に、『ヴォルガの船曳』(1870-1873年)がある。これは、ヴォルガ川沿いに大きな船を移動させなければならない人々の過酷な労働を描いたものだ。レーピンはこの絵を、サンクトペテルブルグ芸術アカデミーの学生だった時に描いた。この絵画は、非常に大きな騒ぎを引き起こした。一部の批評家は、レーピンが、「低い生活層」の場面を「壮大にした」と主張して、世界で最も大きな芸術への冒涜だと、この絵を非難したのである。
『クルスク県(ロシア語版)の復活大祭の十字行』(1880年~1883年)
トレチャコフ美術博物館「思いがけなく」
トレチャコフ美術博物館『灰色狼に乗ったイヴァン王子』
トレチャコフ美術博物館『灰色狼に乗ったイヴァン王子』(1889年)、『勇士たち』(1898年)、『雪娘』(1899年)、『笑わない王女』(1926年)――これらは、ヴィクトル・ヴァスネツォフの素晴らしい作品のほんの一部だ。彼は、傑出した風俗画家であり、絵画の形式でロシアのおとぎ話を描き、「ロシア芸術の勇士」と呼ばれた。
嘆き悲しむアリョーヌシカ
トレチャコフ美術博物館ヴァスネツォフは、建築にも真剣な関心を持っていた。彼は、トレチャコフ美術館の正面のデザインも行っている。また、キエフのウラジーミル大聖堂のフレスコ画の創作にも取り組んだ。
トレチャコフ美術館の正面
コンスタンチン・ココシキン撮影/Global Look Press「倒された悪魔」
トレチャコフ美術博物館ヴルーベリは、ロシアのアール・ヌーヴォーの最も傑出した代表の1人であり、しばしば、自分の悪夢から得たイメージをキャンバスに描きつけた。ヴルーベリは、とりわけ、ミハイル・レールモントフの詩に登場するデーモンに関心を持っていた。実際、彼は、同時代の人たちから狂気に陥っているのだろうと思われるほどにデーモンに憑りつかれており、人生の最後には、デモーニズムに苦しんでいる。
白鳥の王女(1900年)
トレチャコフ美術博物館ヴルーベリはまた、壮大な絵画に関心を持ち、キエフの聖ウラジーミル大聖堂のフレスコ画の草案を作成した。彼はまた、装飾芸術にも熱心で、マヨルカ焼きやストーブ・タイル、陶製の花瓶も製作している。
キエフの聖ウラジーミル大聖堂のフレスコ画
Legion Media『倒されたデーモン』(1902年)、『白鳥の王女』(1900年)、『東方奇譚』(1886年)、『ペルシア絨毯と少女』(1886年)は、ヴルーベリの最もよく知られた絵画作品だ。
『桃を持った少女』
トレチャコフ美術博物館卓越したロシアの画家ヴァレンチン・セローフは、心理的な肖像画の巨匠として知られている。ロシアのエリートたちは、この画家に肖像画を描いてもらうことが名誉だとされていた。彼のアトリエの外には、絶えることなく列ができていたが、同時に、彼の絵のモデルとなる人々は、セローフのことを恐れてもいた。なぜなら、彼は人の欠点を非常に辛辣に描く才能があったからだ。
『陽光を浴びる少女』
トレチャコフ美術博物館一部の批評家たちは、彼を、ロシア印象派の代表と考えている。彼の最も象徴的な作品は、『桃を持った少女』(1887年)だ。
『エウロペの誘拐』
トレチャコフ美術博物館『陽光を浴びる少女』(1888年)、『夏』(1985年)、『エウロペの誘拐』(1910年)は、この画家の最も有名な作品である。
ボリス・クストーディエフは、明るく陽気なキャンバスに、ロシアの農村の日常生活を描き出した。彼は、有名な画家イリヤ・レーピンと共に学び、セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスを生みだした伝説的な「芸術世界」のメンバーだった。
彼の最も有名な作品として、『商人の妻』(1918年)や、『ボリシェヴィキ』(1920年)、『シャリアピンの肖像』(1922年)、『美女』(1915年)がある。
『美女』
トレチャコフ美術博物館『商人の妻』
トレチャコフ美術博物館『ボリシェヴィキ』
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