ソ連映画に出演したことがある欧米の映画スター、トップ20

The Washington Post, Tommaso Boddi/Getty Images
 ソ連と欧米の間で政治的に対立していた厳しい時代にも、実はソ連映画は思っていたほど外国人スターから切り離されてはいなかった。そして、そのようなオファーに承諾したスターたちの顔ぶれはなかなか印象深い。

1. ピーター・フォーク

ピーター・フォーク(左側)

 刑事コロンボ役で世界的に知られる米国の俳優は、ソ連とイタリアの合作ドラマ「Attack and Retreat」に出演した。戦争ドラマで、ナチス・ドイツとともにソ連軍と戦うイタリア軍を描いたもの。ピーター・フォークは実在の兵士の回想に基づくある人物を演じている。ちなみに、ピーター・フォークはロシア人のルーツを持っている。父方の親戚が1890年代にロシアから亡命したのである。

 

2. ショーン・コネリー

「SOS北極・・・赤いテント」に出演したショーン・コネリー

 1960年代末、ショーン・コネリーは叙事詩的映画、「SOS北極・・・赤いテント」の撮影に招かれた。1928年に飛行船イタリア号で北極点への飛行を行った調査隊の遭難とその救出活動を実話に基づいて描いたもの。生き延びた者たちはおよそ1ヶ月、非人道的な状況で救助を待った。

 当時ソ連では、コネリーはまったく知られていなかった。ジェイムス・ボンドの映画はまだ上映されていなかった。ソ連のシンガーソングライター、ウラジーミル・ヴィソツキーは、当時を回想し、「彼はとてもイライラしていた。ソ連に行けば、皆が駆け寄ってくると思っていたのです。それほど彼は本当に有名だったから。しかし、ソ連ではその映画を誰も見たことがなかったのです」と語っている。 ショーン・コネリーは誰にも相手にされないのに退屈し、パーティを開いた。しかし、当時の人々の回想によれば、それもうまくいかなかったとのこと。招かれた客たちは、テーブルに置かれたアルコールを飲み干し、さっさと帰ってしまったのだとか。

 

3. クラウディア・カルディナーレ 

「SOS北極・・・赤いテント」でワレリヤの役を演じるクラウディア・カルディナーレ

 ルキノ・ヴィスコンティとフェデリコ・フェリーニのお気に入り女優だったクラウディア・カルディナーレは、北極を舞台にした「SOS北極・・・赤いテント」の唯一の女性役である看護婦ワレリヤ役を演じた。カルディナーレは、「今でもあの寒さは忘れられません。わたしがアフリカ出身だということで、皆がわたしを心配してくれましたが、わたしはまったく平気でした。撮影現場は素晴らしい雰囲気で、寒いのもあって、ウォトカはけっこう飲みました」と話していた

 北極のシーンは、モスクワ郊外、フィンランド湾岸、北極、フランツ・ヨシフ諸島で撮影された。

4. クリスチャン・ベール                      

11歳のクリスチャン・ベール 、「ミオよ、わたしのミオよ」

 1986年、ソ連のウラジーミル・グラマチコフ監督は、アストリッド・リンドグレーンのファンタジー小説「ミオよ、わたしのミオよ」を映画化した。主役と準主役は英語を話す俳優を見つける必要があった(スウェーデンのプロデューサーからの要求があった)。ロンドンのあらゆる演劇学校を見回ったあと、まだとても若かったニコラス・ピッカードとクリスチャン・ベールに白羽の矢が立った。準主役に選ばれた11歳のベールは、孤児ミオとペアを組む少年の役を演じた。

 2人の俳優にはかなり緊張する出来事があった。チェルノブイリ原発の原子炉が爆発し、 撮影が行われていたクリミアから避難しなくてはならなくなったのである。ベールは当時を回想し、「1ヶ月後に撮影は再開されたのですが、昼食のたびにお皿の放射線をガイガーカウンターで測定しなければならなくなりました」と語っている。のちにピッカードは大スターにはならなかったが、ベールはソ連での撮影の後すぐに、スティーブン・スピルバーグ監督の「太陽の帝国」で主要な役に抜擢された。

 

5. マルチェロ・マストロヤンニ

マルチェロ・マストロヤンニ

 フェデリコ・フェリーニが大好きなスターは、「犬を連れた奥さん」を含むチェーホフのいくつかの短編を集めて映画化した「黒い瞳」(1987)に出演した。マストロヤンニは結局、ロシア語のフレーズをいくつかすら覚えることはできず、「サバーチカ」(子犬)という言葉を、強い訛りでやっと言えるようになっただけであった。それでも、マストロヤンニはアカデミー賞の「最優秀男優賞」にノミネートされ、監督のニキータ・ミハルコフは「ゴールデン・グローブス」賞にノミネートされた。実は、マストロヤンニがソ連映画に出演したのはこれだけではない。それより前に、イタリア・ソビエト合作映画の「ひまわり」(1970)にも出演している。

 

6. ソフィア・ローレン

「ひまわり」に出演したソフィア・ローレン

 第二次世界大戦の最中、アフリカではなく、スターリングラード侵攻が行われていたソ連戦線に送れられたイタリア人兵士を主役にした映画「ひまわり」に出演したのがソフィア・ローレン。ソ連でソフィア・ローレンは大歓待され、テレビの記者たちが彼女の一挙手一投足を見守った。ソ連のスタッフらは、撮影期間を通して、ソフィア・ローレンのために専用のリムジン、最高ホテルのデラックスルームを用意したほか、都市間移動の際には特別便を飛ばした。

 

7. マルコム・マクダウェル 

マルコム・マクダウェル

 「カリギュラ」、「機械じかけのオレンジ」などで知られるスター俳優は、心理ドラマ「Assassin of the Tsar」(1991)に出演した。マクダウェルは、「創造における自由」のためにオファーを受けたと述べている。ハリウッドではすでにすべてが厳しく規制されていたが、ソ連の映画産業はまだ予算も時間も厳しい制限なく動いていたのである。8日間の撮影で、マクダウェルは200万ドルを手にしたが、数ヶ月間、モスクワの小さな賃貸マンションに住み、撮影現場への送り迎え用のミニバンとボルシチを作ってくれるお抱えのシェフ以外、特別な手配はなされなかった。

 

8. ミケーレ・プラチド

ミケーレ・プラチド

 ドラマ「La Piovra」で勇敢なカタニ委員役を演じたプラチドは、1991年、ウラジーミル・ボルトコ監督の戦争ドラマ「アフガン侵攻」の撮影に参加した。当時を振り返って、プラチドは「ボルトコ監督はとても長いこと、わたしからの返事を待ってくれた」と述べ、「最初は快諾しなかったのだが、その後、撮影クルー全員の署名が入った手紙が届いたのです。ロシア人は皆、カタニ委員がソ連の少将の役で生き続けることを願ったのです」と語っている。プラチドは武器の扱いが素晴らしく、撮影現場にいた本物の兵士たちに、アフガン戦争について色々と質問したが、撮影になぜ自分が必要なのかと驚き続けていたという。

 

9. アラン・ドロン

アラン・ドロン

 1943年、テヘランで開かれたヒトラーに対抗するための作戦会議ではスターリン、ルーズヴェルト、そしてチャーチルの暗殺が企てられていた。ソ連の諜報員はこの計画を阻止しなければならなかった。そんなストーリーを持つ映画「テヘラン43」で、アラン・ドロンはテロリストを追うフランスの刑事役を演じた。しかも、当初アラン・ドロンにはちょっとした端役しか用意されておらず、彼を立腹させた。そして「明日朝8時に、フランス語で20ページほどの良い役を用意してくれれば、出演してもいい」と条件を出したという。そこで脚本家は一晩で新しく刑事役のシナリオを作った。映画は世界中で大ヒットした。

 

10. ジェーン・フォンダ

ジェーン・フォンダ

 「エアロビクスの女王」で女優のジェーン・フォンダは、最初のソ連・アメリカ合作映画「青い鳥」(1978)に出演したことからソ連の観客にはよく知られていた。フォンダ自身は、「バーバレラ」の超エロティックなイメージがあるものの、ソ連では非常に愛される存在であった。その主な理由は、彼女が共産主義思想の支持者であったこと、ベトナム戦争に反対していたこと、また健康的な生活スタイルを普及していたことによるものであった。ソ連と非常にマッチしたのである。

 

11. エリザベス・テイラー                              

「青い鳥」に出演したエリザベス・テイラー

 彼女もまた「青い鳥」に出演し、何度となくソ連を訪れた。レンフィルムは、テイラーのために改修工事を行い、新しい外国製のトイレを設置した。撮影期間の9ヶ月間ずっとソ連で過ごし、いくつかのスキャンダルを巻き起こした。

 

12. オルネラ・ムーティ 

オルネラ・ムーティ

 イタリア映画のスター、オルネラ・ムーティは、1980年、グリゴリー・チュフライ監督の「人生は素晴らしい」に出演し、その後、チュフライ監督以外のソ連の監督の作品には出演しなかった(本人は、出演してみたかったと述べている)。ソ連で彼女がもっとも驚いたのは、「通訳」が彼女の動きを常にチェックしていること、また彼女が慣れている食料品やタバコは、一般のソ連の市民は入店が禁じられている特別な商店「べリョースカ」でしか売られていないことであった。 

 

13. アントニア・サンティリ

アントニア・サンティリ

 1970年代のセックスシンボル、アントニア・サンティリはソ連の映画界に彗星のごとく現れた。彼女はコメディ映画「ロシアにおけるイタリア人の信じられない冒険」でオリガ役を演じた。しかしこれが当時24歳だったスター女優の最後の映画作品となった。映画は彼女の人生を変えた。ある裕福なビジネスマンが彼女に結婚を申し込み、アントニアは映画界を引退し、モデルや男性雑誌の撮影などを行うようになった。

 

14. アニー・ジラルド 

アニー・ジラルド

 「セザール賞」を3度以上受賞しているアニー・ジラルドは、ソ連時代にハリウッド映画よりも頻繁にテレビで放映されていたフランス映画のほか、セルゲイ・ゲラシモフ監督の映画「ジャーナリスト」(1967)で演じたちょっとした自身の役でも記憶に残っている。少し後の1989年には、別のロシア人監督ワレリー・アハドフの映画「ルース」にも出演した。この作品の撮影は、南ウラル、マグニタゴルスクの劇場で行われたが、彼女は「そこでは孤独を感じない」とたびたび劇場を訪れていた。

 

15. ジェラール・ダルモン

ジェラール・ダルモン

 ユダヤ系アルジェリア人のジェラール・ダルモンはゲオルギー・ダネリヤ監督の「パスポート」に出演した。もともと、この役にはニコラス・ケイジが抜擢されていたが、2ヶ月におよぶ準備作業の後、ギャラが捻出できないことが分かった。ダルモンはこの作品で2役を演じている。母親のためにイスラエルへの亡命を拒むグルジア人のメラブ、そして妻にイスラエル行きを説得されるカフカス人の役である。ダルモンはグルジア人でもなく、カフカス出身でもないが、ダネリヤ監督は、フランス人のダルモンがどちらの役にも合うと判断した。

 

16. マリーナ・ヴラディ

マリーナ・ヴラディ

 フランス人で、ソ連で人気のシンガーソングライター、ウラジーミル・ヴィソツキーの最後の妻だったマリーナ・ヴラディは、ソ連映画にはそれほど出演していない。父親がロシアの移民だったマリーナは、ジュール・ヴェルヌの「グラント船長の子供たち」を下敷きにしたテレビドラマ「グラント船長を探して」、「おろしあ国粋夢譚」、「The Vampire」に出演したが、ソ連邦崩壊後、11年にわたってスクリーンから姿を消した。

 

17. フランコ・ネロ

「赤い鐘」に出演したフランコ・ネロ

 「続・荒野の用心棒」、「裏切りの荒野」など、ウェスタン映画の主人公として知られるフランコ・ネロは共産圏の映画に出演してもなんの問題もない数少ない欧米俳優の一人であった。ロシアでは、セルゲイ・ボンダルチューク監督の歴史的叙事詩「赤い鐘」、共産主義ジャーナリスト、ジョン・リードの著書を基にした「赤い鐘2」など、4つの作品に出演した。

 

18. ウルスラ・アンドレス  

ウルスラ・アンドレス

 初代ボンドガールとして知られるスイスの女優、ウルスラ・アンドレスは、フランコ・ネロとボンダルチューク監督の「赤い鐘」で共演した。第一部は1910年のメキシコ革命について描いたものだが、ウルスラはこの歴史映画に裸で登場し、作品にスパイスを加えている。

 

19. バルバラ・ブルィリスカ

「運命の皮肉、あるいはいい湯を」の主役を演じるバルバラ・ブルィリスカ

 ブルィリスカは故郷ポーランドではセックスシンボルであったが、ソ連ではまったく無名であった。しかし、1975年の「運命の皮肉、あるいはいい湯を」(エルダール・リャザノフ 監督のカルト的映画で、新年のシンボルとなった)に出演したあと、ソ連でスーパースターとなった。彼女が演じた、ギターを手にした巻き毛のナージャのイメージは、その後長年にわたり流行となった。 

 ブルィリスカはこの映画でソ連の国家賞を受賞したが、本人いわく、それでもポーランドではソ連の映画に出演したことは許されなかったという。ソ連とポーランドの関係が悪化していたことから、ブルィリスカは裏切り者扱いされ、以来、祖国ではオファーがほとんどこなくなった。

 

20. クリストファー・リー

クリストファー・リー

 アストリッド・リンドグレーンのファンタジー小説「ミオよ、わたしのミオよ」を映画化したソ連とスカンジナヴィアの合作映画に出演したもう1人の外国人俳優。のちに、「ロード・オヴ・ザ・リング」のサルマン役を演じたクリストファー・リーは、この作品ですでに、子どもを誘拐し、鳥に変えてしまうという悪役に挑戦していた。 

 あるインタビューで、クリストファー・リーは「この映画のことはよく覚えている。撮影の最中に、妻と結婚25周年を祝ったのでね。わたしたちは窓から赤の広場が見えるホテル『ナツィオナーリ』に滞在していたのだが、各階に『デジュールナヤ』と呼ばれる女性が座っていて、部屋から出る滞在客の鍵を預かってくれた。忘れられない思い出だ」と語っている

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