ロシア人と打ち解けるために知っておきたいヴィソツキーの曲5選

ヴラジーミル・ヴィソツキー、1979年

ヴラジーミル・ヴィソツキー、1979年

TASS
 セクシーさの象徴で、ソビエトのカート・コバーン。その星は煌々と輝き、儚く消えた。ヴラジーミル・ヴィソツキーはあらゆる意味で独特で、よもやその声を聞き間違える人はいないだろう。彼の声は聴く者の魂を焦がす。

 1938年という激動の時代にモスクワの貧しい家庭に生まれたヴラジーミル・ヴィソツキーは、大変才能溢れるシンガーソングライターとなり、役者としても名を馳せた。スクリーンで特に光ったのは、テレビドラマ『集合場所は変えられない』での警部役、『二人の同志が勤めていた』での白軍将校役、『小さな悲劇』でのドン・フアン役が挙げられる。舞台で演じた最も有名な役は、1960年代から1970年代にかけてモスクワの前衛的な舞台であったタガンカ劇場でのハムレットだ。

 ヴィソツキーは何をするにも、舞台で演じる時も、歌う時も、また単に生活する時も、ナドルィヴを実践した。これは個人の全感覚、全感情、全力を内包するとても強い緊張状態と定義される語だ。彼は人気の絶頂期に、42歳の若さで亡くなった。残念ながら彼には暗い面もあった。その人生は酒と薬に汚された。もし生きていれば彼はこの1月25日に80歳を迎えていた。

 彼の人生はあたかもハリウッドの映画スターのようだった。いつも高級車に乗り、洒落た革製のジャケットを羽織り、そしてもちろん最も美しい女性を連れていた。彼の最後の妻はフランス人女優のマリナ・ヴラディだった。外国人女性との結婚はソビエトのすべての男性が羨むものだった。

 ヴィソツキーは600近くの曲を書き、ギターで弾き語りをした。以下で紹介するいくつかの曲は、いずれも現在も人気があり、神秘的なロシア人の心を確かに映し出しているものである。

 

1. 山々への別れ 

「どんな山よりも素晴らしいのは、

まだ登ったことのない山だけだ!」

 このフレーズは現在ではロシアの格言である。これは映画『垂直』(1967年)の作中歌だ。この映画でヴィソツキーは主要な役の一つを演じ、数曲を演奏した。

 彼はこう言う。人々は山を後にする度に自分の心をそこに置いていくのだ。そしていつも山を下るさい、何もなすすべがないことを悲しむ。なにしろ「神々でさえ地上に降りたのだから。」

 この曲はロシア人の登山家やバックパッカーにとってはある種の賛歌だ。というわけで、今度登山することがあれば、ぜひギターを持参し、キャンプファイアーを囲みながらこの曲を歌おう。

 

2. 俺は嫌いだ  

「俺は嫌いだ。知らない奴が俺の手紙を

肩越しに覗き見るのが。」

 これはいわばヴラジーミル・ヴィソツキーに対するインタビューであり、この曲“俺は嫌いだ”(1969年)を通して、彼は記者たちに自分の人生の信条を説明しようとした。 

 概して、彼は強く誠実な人物でさえ耐えられないような物事が嫌いだ。噂や自信過剰、誰かに背中を撃たれること、誰かに魂の中に踏み入られること。彼は「無実の人が打たれるとき」に怒りを覚え、臆病にふるまう自分を忌々しく思う。

 

3. 気まぐれな馬たち 

「だが俺の馬たちはどうも気まぐれで、

俺は生き切ることも歌い切ることもできやしない。」

 この曲は古代ロシアの旋律を模倣したもので、ジプシーの古いロマンスのモチーフも織り込まれている。この曲はヴィソツキーが歌う際の技巧であるナドルィヴの好例だ。これは死期を悟った男の叙情詩で、男はこう叫ぶ。「もう少し遅く、馬たちよ、もう少し遅く。」彼はもうしばらく生きたいのだ。「せめて少しだけでも淵に立っていよう。」

 映画『白夜』においてミハイル・バルィシニコフがヴィソツキーのこの曲に合わせて踊るエピソードもご覧頂きたい。

 

 

4. 朝の体操  

「もし自分の家にいるのなら、

床に伏せて一、二、三、

正しい動作を実践しましょう!」

  苦痛に満ちた重々しい曲を書く一方、ヴィソツキーは“なぜ野蛮人はクック船長を食べたか”や“《明らかだが信じられない》への手紙”など陽気なものも書いた。“朝の体操”(1968年)はおそらく彼の愉快な曲の中で特に有名なものだ。

 

5. 叙情曲 

「たとえ掘っ立て小屋の楽園でも甘んじろ、

もし御殿と宮殿が誰かに占領されたのなら!」

 深い思考と感情を持つ人物であったヴィソツキーはロマンチックな曲も書いた。作者が妻のマリナに捧げたこの曲を聴けば、涙を流さずにはいられないだろう。叙情的な英雄が女性に、魔法の森からであろうと母なる自然に止められようとお前を連れ出そう、と歌う。

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