五輪メダルを売ったソ連の選手たち

オリガ・コルブト、1980年モスクワ・オリンピック=

オリガ・コルブト、1980年モスクワ・オリンピック=

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 オリンピックのメダルは、スポーツ界で最もステータスの高い賞。それを手放すということは信じがたい。だが時に、メダルは商品に変わる。その共通の理由は金銭的な困難。

ニコライ・クルグロフ、息子をプロのアスリートに

 ニコライ・クルグロフ、オリンピックの金メダリストと世界チャンピオン=ユーリイ・ソモフ/ロシア通信

 1976年インスブルック冬季五輪の2種類しかないバイアスロン競技のどちらでも、ソ連が金メダルを獲得した。ニコライ・クルグロフは男子20キロ個人、男子リレーで金メダルを手にした。

ニコライ・クルグロフ、1976年オリンピックのバイアスロン金メダリスト=ユーリイ・ソモフ/ロシア通信ニコライ・クルグロフ、1976年オリンピックのバイアスロン金メダリスト=ユーリイ・ソモフ/ロシア通信

 クルグロフは引退後、息子を教えることに多くの時間を費やした。ニコライ・クルグロフ・ジュニアは2歳でノルディックスキーの練習を始め、みるみる上達していった。家族には練習と道具をそろえるのに十分な資金がなかったため、クルグロフ・ジュニアの将来は不透明であった。息子が選手として活躍し、少しでもお金を持てるようにと、父親は自分の五輪メダルを5000ドル(現行レートで約55万5000円)で売った(収集家によれば、五輪メダルの価格はこれ以上)。

 クルグロフ・ジュニアは、2006年トリノ冬季五輪の男子バイアスロン・リレーで銀メダルを獲得した。これで得た資金の使い道は決まっていた。父親のメダルを5万ドル(現行レートで約555万円)で購入し、取り戻した。「自分の今があるのは父のおかげ。家族の記念品を取り戻さねばならなかった」とクルグロフ・ジュニアは話した。

 

エヴゲニー・グリシン、生活のために

エヴゲニー・グリシン、1956年と1960年オピンピックの男子スピードスケートの金メダリスト(500mと1500m)=ヨシフ・ブドネーヴィチ/ロシア通信エヴゲニー・グリシン、1956年と1960年オピンピックの男子スピードスケートの金メダリスト(500mと1500m)=ヨシフ・ブドネーヴィチ/ロシア通信

 エヴゲニー・グリシンはソ連のスピードスケートの選手で、1956年コルティナダンペッツォ冬季五輪、1960年スコーバレー冬季五輪ではオリンピックで4個の金メダルを獲得した。7つの世界記録を出し、レジェンドになった。そして、有名なコーチになった。

だが厳しい現実から、アルコール依存症になってしまう。この時、五輪メダルを売った。後に本人はこう話している。「生きるために五輪メダルを売った。これをずっと恥じている」。グリシンは2005年7月9日、血栓により死去した。

 

ヴィクトル・シュヴァロフ、1990年代の混乱で

ヴィクトル・シュヴァロフ(中央)、1956年オリンピックのホッケー金メダリスト=A. ソロモノフ/ロシア通信ヴィクトル・シュヴァロフ(中央)、1956年オリンピックのホッケー金メダリスト=A. ソロモノフ/ロシア通信

 ヴィクトル・シュヴァロフはソ連のアイスホッケーの選手で、世界大会と五輪で金メダルを獲得した。1954年コルティナダンペッツォ冬季五輪に出場した伝説的なソ連代表の中で、現在、唯一存命の選手。ソ連崩壊後の1990年代の混乱期、年が上の世代は新しい状況になかなか順応できず、わずかな年金で生活しながら、金銭的な問題に直面していた。

 シュヴァロフは最も困難な時に、1954年コルティナダンペッツォ冬季五輪の金メダルを売った。メダルは極めて安い価格で購入された。2014年、ウラジーミル・プーチン大統領は、メダルをシュヴァロフに返却した。

 2014年5月27日、世界選手権で優勝したロシアのアイスホッケー男子代表の祝賀式典で、プーチン大統領はこうあいさつした。「残念ながら、1990年代の困難の時期、シュヴァロフ氏は五輪メダルを失った。多くの問題と困難があってこうなった。メダルは、あなた方の一部が現在も活動しているアメリカに渡っていた。我々はメダルを見つけ、スポンサーの支援を受けて買い取った。今、シュヴァロフ氏に返したい」。式典に同席していたシュヴァロフに、メダルを渡した。

 

イワン・ボグダン、アパートを維持するために

イワン・ボグダン、アーカイブビデオ

 イワン・ボグダンはソ連のレスリングの選手。1960年ローマ夏季五輪のグレコローマン・スタイルで金メダルを獲得した。ボグダンは1990年代初め、家族のアパートを維持するために、唯一の金メダルを売った。当時、ボグダンの娘は離婚の協議中で、その夫が法律にしたがい、アパートの所有権を主張していた。ボグダンは財産の問題を解決するため、メダルを3500ドル(現行レートで約38万8500円)で売ることを決めた。また、1980年モスクワ夏季五輪の際に自身が聖火リレーで運んだトーチも売った。

 合計4000ドル(現行レートで約44万4000円)を受け取った。ボグダンは売ったことを後悔していないという。

 「結局は博物館に寄贈するか、ただ家に置き続けることになっただろう。取り戻すチャンスがあったとしても、それはしない。今日、五輪の金メダリストは尊敬されていない」と、ウクライナの新聞「事実と解説」のインタビューで話した。

 

オリガ・コルブト、金銭問題を解決するために

オリガ・コルブト、1972年と1976年オリンピックの女子体操金メダリスト=APオリガ・コルブト、1972年と1976年オリンピックの女子体操金メダリスト=AP

 オリガ・コルブトはソ連の体操選手。五輪で4個の金メダルと2個の銀メダルを獲得している。2017年初め、これらのメダルと他の記念品を売った。1972年ミュンヘン夏季五輪の金メダル2個と銀メダル1個を含む32品を売り、総額33万3500ドル(約3701万8500円)を手にした。

 これは飢えから脱出するために行ったと報道されたが、本人は強く否定している。コルブトは現在、アメリカのアリゾナ州スコッツデールに暮らしている。

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