3.11、ロシア人救助隊の示した誠

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 東日本大震災からちょうど5年となる3月11日、モスクワの日本大使公邸で、震災直後、宮城県で捜索活動に参加したロシア非常事態省の職員たちを主賓に招き、感謝の式典が催された。

 ロシア人救助隊の第一班は震災翌日の12日、早くも日本に派遣された。極東地方捜索・救助隊の隊員、25名だ。間もなくモスクワ(「ツェントロスパス」=中央救助隊)、シベリアからも隊員が増派され、さらに特別危機作戦センター「リーデル」の専門家らも現地入り。合計で、ロシアからは161人の救助隊員が駆けつけ、捜索活動に参加した。

 上月豊久・駐ロシア日本大使は次の言葉で式典を開いた。「それぞれの国民にはその日付を皆が記憶する出来事があります。日本人にとって、それは2011年3月11日、東日本大震災の日になりました。本日は、東日本大震災の際、迅速かつ温かいご支援を頂いたことに、心から感謝したいと思い、お集まり頂きました」

 

わが心、氷にあらず

 捜索活動は3月23日まで続けられた。ロシア人チームはがれきの下から112人の遺体を引き出した。「ツェントロスパス」隊員のアレクサンドル・ドブロフ氏は、経験上、がれきの下から生還できる望みがそう大きくないということは分かっていた、と語った。

 「地震なら、倒壊した家屋の下に生存者が見つかる見込みも非常に大きい。しかし津波となると、見込みは非常に小さい。そのことは、2004年、東南アジアにおける津波の後の捜索活動で思い知らされた。それを今回再び、残念ながら、確認することとなった。しかしそれでも支援を続け、がれきの下から遺体を引き出した」

 ロシア非常事態省の救助隊員は全世界の緊急事態で救助活動を行っており、豊富な経験をもつ。2004年に東南アジアを襲ったスマトラ島沖地震、2008年5月の中国・四川大地震、2010年のハイチ地震でも救援を行った。いずれの災害でも、ロシアの救助隊は発生直後、いの一番に支援に駆けつけている。しかし非常事態省職員といえども、「氷の心」を保っていられるものではない、とドブロフ氏。

 「宮城県での活動を開始した時点で、我々には、津波を含め、膨大な経験があった。しかし、あの光景、テレビで誰もが見たであろうが、車が建物や樹木の上に乗り上げている、あの光景は、もちろん、我々に強烈な印象を与えた。それでも我々は、感情に負けず、作業を行わなければならなかった。そして我々は、作業を行った」

 特別危機作戦センター「リーデル」本部長を務めたアレクサンドル・シェフチェンコ大佐もやはり、任務は粛々と遂行するものの、冷淡でなどいられるものではない、と語る。「我々は皆、心を痛めていた。痛みは蓄積していく。しかし我々は、努めて職業的であろうとした。だから、感情は排除する。しかし仕事の後には、当然、すべての悲しむ人と、痛みをともにするのだ」

 

救助の教訓

 非常事態省職員たちは、日本で初めて、作業中の放射能汚染という問題に直面した。

 アレクサンドル・ドブロフ氏は語る。「それまで放射能という問題に直面したことは特になく、そのことが我々には多大な問題となった。この点、我々には教訓であった。今は放射能の問題を引き起こすような非常事態への備えがより高まっている」

 アレクサンドル・シェフチェンコ氏によれば、当時無人機がなかったことも、大いなる教訓となった。「この時、無人機があれば非常に現場の作業が捗る、ということが分かった。今は無人機は我が省のトレンドの一つとなっており、あらゆる部隊に装備され始めている」

 

日本人外交官の回想

 モスクワの日本大使公邸で、ロシア非常事態省の職員たちを主賓に招き、感謝の式典が催された

 式典では、当時ロシア非常事態省職員たちとの連携に当たった日本人外交官たちが、口々に、つらい日々を振り返り、ロシアの救助隊員への温かな感謝の言葉を述べ、ぜひとも宮城県を訪れ、自然美を堪能し、美食を楽しみ、復興の進捗状況を見るよう呼びかけた。

 通訳として間近にロシアの救助隊員の仕事ぶりに接した外務省欧州局ロシア課職員の城野啓介氏は、当時の具体的なエピソードを紹介した折、感涙に言葉を詰まらせた。「5mもある塔のようながれきの山の上」に乗用車が打ち上げられ、その車内には母親と娘の遺体があった。重機がなく、自衛隊は手が付けられないでいた。

 「あるロシア人隊員が進み出、がれきの塔を登り、窓を素手で割り、まずは母親の遺体を引き出しました。水死ですので、重く運びにくい遺体であることを考えれば、普通は投げ下ろしたい欲求に駆られるものだと思います。しかし、この隊員は、優しく遺体を抱え、塔を慎重に下り、遺体をそっと地面に横たえました。そして、更にもう一度塔を上り、今度は娘の遺体を同様に優しく抱きかかえて下ろしました」

 ロシアの救助隊員たちは、逆に、震災直後の大変なときに日本人が示した忍耐力がいかに自分たちを感動させたかを語った。「日本の人たちに降りかかったあれほどの悲しみの中で、人々は、この国を再建しなければならない、途方もない道のりであるが、するべきことをしなければならない、と理解していた。そして、彼らがその仕事をなしとげるさまを、我々は目撃したのだ」

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