今と昔:モスクワがまだ田舎だった頃はどんな風だったのか(写真特集)

Lev Borodulin/MAMM/Russia in Photo, Lodo27 (CC BY-SA 3.0)
 ヤギ、牛、丸太小屋に森・・・これらすべてが今では色とりどりの高層建築、素敵な公園や近代的な自動車専用道路に取って代わられた。

 モスクワは1日にして造られたのではない―この古都は新しく村や町を統合しながら今でも拡大し続けている。そして全部で220以上の周辺の集落がモスクワ地区を形成しているのだが、正確な数を言うのは難しい。モスクワ周辺地域の開発は、住宅問題(多くの人が共同アパートに住んでいた)や交通渋滞(モスクワ環状道路の建設が計画された)を解決するために1960年から活発になった。それによって、600万人が住んでいたモスクワは、大きさでおよそ2倍になり、新しく出来た住宅地は、近年までロシアのどの都市の住宅地に行っても観ることが出来る規格化されたパネルハウスでいっぱいになったのだ。

 1980年代までには公式の人口は800万人を超え、市の規模はモスクワ環状道路の外側にまで広がり、ブトヴォ、ジュレビノや他の地区も加わった。

 そして2012年には、1200万人強の人口になったモスクワは、さらにいくつかの地区を統合しカルーガ州との境界にまで広がりほぼ2.5倍の大きさになり、ヨーロッパ最大の都市になったのだ。今では住宅地域には高層建築、ショッピングモール、公園、公共施設などがある。ここでは7つの村を選んで、その村々の今と昔を見比べてみよう。 

1. コニコヴォ

 1960〜1986年の間、周辺のいくつかの村落が集まって新コニコヴォ地区がモスクワ市南西につくられた(地下鉄駅は、カルーシュスカヤ駅、ビリャエヴォ駅、コニコヴォ駅)。主要幹線はプロフソユーズナヤ通りである。近隣には工業地帯がなく、とても美しい地域で、多くの公園、丘、教会がある。コニコヴォ周辺を歩き回るのはとても楽しい!古い写真を見ると、建設中のパネルハウスとその周りで草を食んでいる牛の光景を見ることができる。

2. コジュホヴォ

 モスクワでもっとも古い村落のひとつで、15世紀から知られており、1923年以降モスクワ市に含まれた。コジュホヴォは市の南東部にあり、帝政ロシア時代から鉄道駅があったのだが、1970年代にコンクリート製の建物が占めるまでは、ここにも丸太小屋が残っていた。

3. トロパリョヴォ

 トロパリョヴォ地区はモスクワ市の南西に位置する、かつての村落の上につくられ1960年にモスクワ市に併合された。名前の由来は、最初の支配者であるボヤール(貴族)、イワン・トロパール(トロパールとは教会での祈りの意味)で、1393年にここに埋葬された。ソ連時代にはここには、すばらしい輸送拠点、学校、商店が備わった巨大なコルホーズ(集団農場)があった。最後の木造建物が1981年に解体された。2014年に地下鉄駅(ソコーリニチェスカヤ線のトロパリョヴォ駅)が開業した。 

4. チェルタノヴォ

 モスクワ市の南部にある以前のチェルタノヴォ村は1960年にモスクワの一部になった。コルホーズや他の農業用地の他に、ここにはグライダーの飛行技術を学べる飛行場があった。その後この村にはパネルハウスが建設されはじめ、チェルタノヴォ北部は、「ソヴィエトのパラダイス」として、1980年のモスクワ・オリンピックに訪れた客に理想的な町として紹介された。(より詳しく知りたい人はこちらから)。

5. チェルキゾヴォ

 モスクワ市東部の古い村チェルキゾヴォ=ポドモスコヴヌィエは20世紀初頭にモスクワ市の一部になった。しかし、1970年代までは庭の付いた木造家屋がある農村のままであった。今では、チェルキゾヴォはプレオブラジェンスコエ地区に含まれ、その名はいくつかの通りや地下鉄駅の名称として残っている。また、1690年に建てられた預言者エリヤ教会が今でも保存されている。

6. チェリョームシキ

 1956〜1959年頃、モスクワ市南西にあったチェリョームシキ村は、最初に開発された住宅地で、「フルシチョフカ」様式のアパートが建てられた。それがモスクワの一部になったのは1958年のことである。この実験的区域には、13棟の4階建てアパートと7棟の8階建てアパートが建てられた。このパイロット的なアパートはとても狭かったが、建物正面にはレンガで飾られ、中庭には噴水や、蔓棚があり、商店や食堂だけでなく映画館まで併設されていた。

7. クリャノヴォ

 モスクワで時間が止まっている場所はどこだろうか?それは、1960年以降モスクワに含まれたクリャノヴォ村(南東部)だ。クリャノヴォは鉄道によってモスクワ市と区切られており、そこに行くと、ソ連時代に旅をしたような気になる。この地域の住宅は今でも裏庭のある2階建てのものが多い。そして町の真ん中には巨大なレーニン像が置かれている。ここに住む人々はこの町の昔ながらの雰囲気をとても気に入っているようだ。

8. ヴィヒノ

 1960年、モスクワ市南東のヴィヒノ村はモスクワ市に加わった。ここにあった古い集落とレーニン集団農場は壊され、住民は木造小屋から出されて、近代的なパネルハウスに戻ってくることになった。今では、ヴィヒノはモスクワ最大の地区のひとつで22万人が暮らしている。

9. コムナルカ

 「ニュー・モスクワ」と呼ばれた主要地区のひとつであったここは、2012年にコムナルカ村となった。ソ連時代にはここには大きな国営農場があったが、ソ連崩壊とともに消え去った。今日、この地区のメイン・ストリートは、ここにあったソフホーズの最後のトップであったアレクサンドラ・モナホワから取られている。この地区はわずか数年のうちに建設され、およそ100軒の新しい住宅がつくられた。また2019年には地下鉄駅が開業した。

10. ヴァトゥチンキ

 ヴァトゥチンキはもうひとつの「ニュー・モスクワ」と呼ばれた地区で、2012年にモスクワ市に加わった。MKAD(モスクワ環状道路)までは17㌔ほどもある。2012年までは、ヴァトゥチンキはおよそ1万人が住んでいたが、今では約3万5千人が暮らしている。今でも人口は増え続けており、人々は新しく造られた住宅に移り住んでいる。 

おまけ

 これらの古い木造家屋の所有者は土地開発業者がやって来た時、家を売るのを拒否した。巨大なコンクリート製の建物に囲まれながらも残っている最後の村々を紹介しよう。 

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