ビフォー・アフター:モスクワの100年前と今

Uwe Brodrecht (CC BY-SA 2.0); mosfo.ru
 モスクワには今でもなお昔と変わらぬ場所がたくさんあり、19世紀の木造建築を目にすることさえできる。しかし街の様子はと言うと、元の姿が分からないほどすっかり変わってしまっている。

1. ヴォロビヨーヴィエ・ゴールィ(雀が丘) (1906) 

 現在、散歩するのに大人気となっているこの場所には、河岸通りにはカフェが並び、近くにはモスクワ大学もある。100年前、ここは田舎で岸には人もいなかった。

2. チースティエ・プルドゥイ (19世紀末から20世紀初頭)

 モスクワ中心部にあるこの池はかつて“汚池”と呼ばれ、非常に汚れていた。しかし18世紀にきれいに清掃され、それ以来、モスクワっ子たちの間でも散歩の名所となった。夏にはボート遊び、冬にはスケート遊びが楽しめる。

3. クレムリン。救世主ハリストス大聖堂から見た景色 (1871) 

 クレムリンの姿は変わらないが、その他の建物、そして橋はすっかり変わっている。また救世主ハリストス大聖堂も、写真に映っている建物はソビエト政府によって撤去され、1990年代になってようやく再建された。

4. クズネツキー・モスト通り (1885) 

 かつてここにはネグリンナヤ川に架かる石造のクズネツキー橋(モストはロシア語で橋の意)があったが、19世紀初頭に川は管の中に収める構造になったため、100年前も現在もここには橋はない。一方でかつても今も同じようにあるのは商店とレストランである。

5. ペトロフスキー並木道 (19世紀末から20世紀初頭) 

 実はモスクワではかつて2階建ての路面電車が走っていた。とはいえ、運行されていた時期はそう長くなかった。車両がレールから外れることが多く、危険なものとされたのである。

6. 赤の広場 (1895) 

 赤の広場の中はほとんどその姿を変えていない。変化したのはレーニン廟くらいである。

7. ワシリエフスキー坂 (1989) 

 ワシリエフスキー坂は赤の広場から延びていて、モスクワ河岸へと続いている。写真には聖ワシリー寺院が映っていないが、寺院はこのすぐ右側に立っている。

8. クレムリョフスキー河岸 (1915

 クレムリンのそばに路面電車はもう走っていない。その代わりに自動車が走っている・・・と言うより、渋滞の中で動けずにいる。

9. トヴェルスカヤ通り (19世紀末) 

 1930年代から1940年代にかけて、スターリンは「モスクワ再建計画」を取りまとめた。この計画には大規模な住宅建築、橋の建設、地下鉄の建設などが盛り込まれていた。この他、モスクワのメインストリートであるとヴェルスカヤ通り(ソ連時代はゴーリキー通りと呼ばれていた)を大幅に拡張する必要があった。そこで多くの建物が撤去され、いくつかの建物は文字通り、少し移動させられた。(スターリンがどのようにして建物を移築したかについてはこちらから詳しくどうぞ )。

10. スタールィ・アルバート (20世紀初頭) 

 1908年、アルバート通りには路面電車が走るようになった。それまでの30年ほどは馬がレールに沿って車両を引いていた。現在この通りは完全に歩行者天国となっている。かつては活気があり、多くの芸術家が暮らしていたが、現在は劇場や芸術家の家博物館、記念碑などが溢れる屋外博物館となっている。

11. カメルゲルスキー横丁と“芸術公衆劇場”(現チェーホフ記念モスクワ芸術座) (1902

 有名な演出家スタニスラフスキーがチェーホフの戯曲を上演した劇場は、今も変わらぬ人気を誇り、モスクワ中のエリートたちを集めている。通りは歩行者天国になり、多くのレストランや夏にはオープンカフェが並び、1年中美しいイルミネーションと装飾が楽しめるおしゃれな場所となっている。

12. フルンゼンスカヤ河岸通り (1912

 スターリンのモスクワ再建計画でこの河岸通りは豪華なものになり、高級住宅と国防省の建物が建てられた。救世主ハリストス大聖堂が遠くに見える。

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