1,700万平方キロメートルの領土を持つ世界最大の国を表現するのに、これに勝る言葉はない。「プロストール」という言葉は自由で、何ものにも邪魔されない空間を意味する。数百年かけて領土を拡大する中でロシア人には土地に対する特別な考え方がある。ロシア人は大きな距離に慣れ、ロシアの景色になくてはならないもの、また自国の力を間接的に証明するものと認識してきた。「ロシア人の心が広々とした大地を愛している」という慣用表現やロシアの大地の果てしない遠景を謳った数千の歌や詩がそのことを裏付けている。
一方、この言葉にはもう一つ、制限や障壁が一切ないという意味がある。ここでは土地における自由だけではなく、自由そのものを指している。ロシアのドライブレコーダーの映像を見たことがあるだろうか?いわゆる「典型的なロシアの運転」なのだが、これもある意味では、プロストールと言える。
しかし、そのプロストールにいながら、我々は鉄筋コンクリートでできたパネル住宅に住んでいる。とても狭くて、天井が低く、どれも似たり寄ったりで、防音がきわめて弱いのが特徴だ。
パネル住宅の大量建設がソ連中で始まったのは20世紀後半。住宅問題を早期に解決するのが目的であった。それは禁欲的で、最大限に簡素で、重要なのは安価な住宅は、数百万の国民に住宅を保障することができた。その結果、国民の半数がこの同じ間取りの狭い住居に引っ越すことになった。そしてこのパネル住宅は、ウラルやモスクワやハバロフスクに住むすべてのロシア人を結びつけるものになった。というのも、どこの都市でもまったく同じ住宅が建設されたからである。時代とともに、侘しいパネル住宅はソ連崩壊後のうつ病と同じ意味を持つようになった。ロシアを舞台にした人気のシミュレーションゲームには必ずパネル住宅が登場するのにもうなづける。
翻訳不能な言葉で、「感情的な苦しみ」、「特別な憂い」、あるいは「ロシアの悲しみ」とも表現できそうだが、このいずれも、完全にこの言葉を意味を伝えることはできない。作家のウラジーミル・ナボコフは、この「トスカー」についてこう書いている。「英語のどの名詞もこの言葉のすべてのニュアンスを伝えることはできない。それは、もっとも深く、苦しいレベルにある、理由を説明することのできない強烈な心の苦しみ。それぞれの具体的な場合において、それは誰かまたは何かを恋しく思う気持ちであり、ノスタルジーであり、愛の苦しみである。もっとも低い程度での憂い、寂しさである」。
このトスカーという言葉の語源は、スラヴ祖語の「tъska」から来ている。古代東スラヴ語で、「窮屈さ、悲しみ、悲哀、心配」を意味する。チェコ語にも同じくスラヴ祖語の同じ語根から派生した言葉tesknýがあるが、「怖がりの、臆病な」を意味する(ロシア語のトスカーとはなんの関係もない)。
そこで、この言葉の意味について考えるとき、ロシア人はトスカーはロシア人のアイデンティティの一部であるとの結論に達する。これは民族の複雑な歴史的背景と厳しい天候条件にかかわる独特の感情なのである。人々の間では、このトスカーは緑色をしているとされ、この感情の最大表現として「緑色のトスカー」という言葉がある。
この動詞は「ブラーゴ」(幸福)と「ダーチ」(与える)の2つの語根から成る言葉で、キリスト教のもっとも重要な概念を表している。「ブラゴイ・ダール(幸福の恵み)」あるいは「ブラゴダーチ」は、人に貢献によらない神からの贈り物、神の慈悲のようなものである。しかし、このことを心に留めている人は少なく、現在、この言葉は別の意味で使われている。
ブラゴダーチはロシアの「トスカー」の対極にあるものである。つまり、満足、完全な心の平穏、あるいは人にそのような平穏をもたらす自然である。この言葉は、「この上ない喜び」を指す言葉に限りなく近いが、そこにはロシア的なニュアンスが含まれている。たとえば、ロシアの広々とした大地を見たとき、あるいはバーニャ(ロシア式サウナ)でリラックスしているときにブラゴダーチを感じるが、1日働いて疲れた後や良い買い物ができたときの気分を言い表す言葉ではない。ロシアの大地や文化との深い繋がりが増幅されるようなスピリチュアルな感覚を指すのである。
ロシアでは、バーブシカという言葉は自分の祖母だけでなく、すべての高齢の女性に対して使われる言葉である。
ただし、バーブシカという言葉の概念はそれよりももっと広い。その言葉には一定の行動パターンが含まれている。おかげでロシアのバーブシカたちは、随分と前から、ミームに登場し、世界的に知られる存在となっている。そこに現れるバーブシカたちは、この言葉を聞いたときに普通想像される、魅力的で愛らしい老女とはまったくかけ離れた存在である。ロシアでバーブシカと言えば、スカートをはいた予測不能なハリケーン。できるだけ怒らせず、言い争いを避ける相手であり、指一本で、40歳のヒゲを生やした男性をも恥ずかしそうに謝らせることができる女性なのである。なぜ、こんなことができるのか誰も説明できないが、ロシアのバーブシカは皆から一目置かれ、そして皆に愛されている。
これはやわらかい生地で作る、古くからあるパンケーキに似たロシアの食べ物である。ブリンは異教の時代から、竃で焼かれていたが、元々は故人を偲ぶ儀式のための料理であった。それが、後に「マースレニツァ」(冬を送り春を迎える異教の祝日)につきものの料理となり、故人との繋がりはすっかりなくなって、その丸い形から、太陽のシンボルとなった。
ふわふわのロシアのブリンは大人気となり、1年を通して、マースレニツァ以外の日にも食べるようになった。そして大衆文化の一部となり、世紀を経て・・・、ロシアでもっとも一般的な婉曲的な罵り言葉となった。もし誰かが、イライラした調子、あるいは悔しそうに「ブリン!」と叫んでいるのを見たら、それは食べ物のことを指しているのではない。言語学者によれば、これは1960年代にロシア語に現れた間投詞であるが、ロシアの話し言葉に深く浸透し、今ではこの言葉がないなど想像できないほどである。
プラウダは英語で言うところの「truth」であるが、ロシア語のプラウダと英語のtruthはまったく別の概念である。ロシア文化において、プラウダは真実と、共通した正義や高い道徳的基準に合致したものという2つの意味を兼ね備えた言葉である。
しかも、このプラウダをロシア人は客観的な現実とを同列に見なすことはない。人々の間には、「人それぞれのプラウダがある」という表現があり、真実とは主観的なものであり、まったく同じ人というのがないように、まったく同じ真実というものはないという意味合いをより良い形で言い表している。
ロシア人にとって、プラウダはときに法よりも重要である。2000年に公開された代表的な映画の一つであるアレクセイ・バラバノフ監督の「ブラザー2」で、主人公の魅力的なロシアの青年ダニラ・バグロフは、アメリカの正義のために戦う(もちろん不法なやり方で)のだが、そのバグロフがロシア映画のセリフを引用してこう言う。「アメリカ人よ、どこに力があるのか教えてくれ。俺は力は真実にあると思うんだ」と。ちなみに、ソ連時代の主要なプロパガンダ紙も「プラウダ」という名称であった。
ロシア人は運命というものを信じている。そこでこの言葉は、人生の同義語として使われることが多い。概して、定められた人生の道という考えは、規則に従い、自分を制限されることを好まないロシア人の性質にピタリと合い、そしてついに万能なごまかしの言葉となった。ロシア人は、何か決断を下したくないとき、あるいは今後の影響を認めたくないとき、リスクを正しく評価したくないとき、必ずこの「スジバー」という言葉を引き合いに出す。「運命には逆らえない」という表現は、責任逃れによく使われるフレーズである。根幹にあるのは、よく知られているロシア人の運命主義的な考えである。すでに神によってすべてが定められているのなら、なぜ何か手段を講じる必要があるのか?と。
ロシアと聞いたとき、誰もがほぼ同じものを連想する。寒い冬、クマ、ウォトカ、耳あて付きの帽子、美しい女性、そしてカラシニコフ銃(あるいはカラーシ)である。有名なカラシニコフ銃AK–47は今でも、世界中で知られるもっともロシア的なシンボルの一つである。いくつかの国の国旗には、カラシニコフ銃が自由と独立のための戦いのシンボルとしてデザインされている。しかし、カラシニコフはどちらかというと外国向けのシンボルである。とはいえ、カラーシは正真正銘のロシアのほぼ国民的財産とも言えるものである。
これはロシア文学、ロシア文化における哲学の根本である。宗教の概念において、魂はドゥシャー(心)に似た不滅の存在のことを指す。
しかし、この2つの言葉の違いは、ドゥーフは内なる精神的な力であり、一定の世界観である点である。「謎めいたロシア精神」という表現は、ロシア人の民族的アイデンティティのすべてを込めた「ロシアの心」なのである。
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