世界中のロシア人を結ぶもの:7つの文化的きずな

 愛国心、独立、団結…。ロシアの国家が主張するように、これらはロシアの「ブレース」(筋交い)であり、「精神的支柱」であり、社会を束ねる価値観だ。実際、ほぼすべての国の人々がこれらの価値観には同意するだろう。しかし、ロシア人だけに関係するこうした「きずな」はあるだろうか?

 「ブレース」とは夫婦の間の「精神的きずな」。少なくともそれが、ロシアの共産主義者アレクサンドラ・コロンタイが1923年に、その論文「翼のあるエロスを解放せよ!」で含意したことだ。

 このキャッチーな言葉は――その意味は実際には「支柱」に近いのだが――、かつてウラジーミル・プーチン大統領が再評価し、2012年の連邦会議(上院)での演説で用いている。

  「今日、ロシア社会には明らかに『精神的なブレース』が足りない…。すなわち、我々を常により勇敢に、より強くしてきたもの、我々が常に誇りとしてきたものが不足している」。大統領はこう述べた。

1.日付

 11日はともかく、223日、38日、59日…これらの日付は、大抵の外国人には無意味だろう。しかしロシアで生まれた人にとっては、これらのロシアの祝日は、文化尊重を体現する生きた知識となっている。仮にあるロシア人が外国に移住して、もう祝わなくなったとしよう。それでも、59日(戦勝記念日)にカーネーションと「聖ゲオルギーのリボン」(軍の勲章である聖ゲオルギー勲章のリボンのレプリカ)の写真をWhatsappで送るのはやめてくれ、と年配の親戚に言っても、あまり通じないだろう。

2.距離

 西シベリアのチュメニ州の人々は、「国内」の親戚を訪ねるのに飛行機を使う、とさらりと言う。まるでモスクワっ子がダーチャ(別荘)に行くのに郊外電車を使うといった調子で。これには、中央ロシアのほとんどの住民は驚くだろう。

 しかし、そのモスクワっ子の散歩さえ、大抵のヨーロッパ人には耐え難いほど長いようだ(かく言う私はふつう、帰宅時に3キロほど散歩する)。

 長距離に慣れていることは、太古の昔からロシアで最も重要な「ブレース」の一つだ。だから、速い乗り物へ偏愛は、作家ニコライ・ゴーゴリさえ指摘している。今日に至るまで、ロシア人の“お気に入りの”交通違反は、スピード違反なのだ

3.最後の土壇場まで物事を先送りし、しかも何とかやりおおせる

 「締め切り:昨日」。ロシアの求職サイトでは、こういったフレーズが、フリーランス・プロジェクトの説明や、場合によっては日々の求人にも見られる。アメリカ人やフランス人なら、まずい冗談だと思うだろうが、ロシア人はそれを、多くの仕事にありつけ、たくさんお金を稼げるチャンスの印として認識する。

 ロシア人は、最後の土壇場にぜんぶまとめてやる習慣が血肉になっているようだ。学生は、期限が切れる前の夜に論文を書き終える。会計士は、年度の最後の2日間に年次貸借対照表を作成する(なぜか?上司は、最後の最後にすべて変更しかねないからだ!)。

 2018 FIFAワールドカップがロシアで行われた際のことだが、最初のファンが入国してきたとき、いくつかのスタジアムはまだ工事の最後の仕上げをやっていた。肝心なのは終えることだ。締め切りは副次的な関心事にすぎない。

 ロシアでは誰もがこう考えている。締め切りに遅れたり、遅刻したりすることは、ロシアでは失礼だとはみなされない。その点、たとえばスイスとは違う。この国では、同僚をまったくリスペクトしていない兆候となるだろう。

4.ロシアの棚ぼた「アヴォーシ」

 しかしそれでも、事が台無しになったらどうしよう?うまく丸く収まるといいな…。こういうときにロシア人は「アヴォーシ」と言う。これは古のロシアから伝わる言葉で、ロシア最古の年代記である『原初年代記』にも出てくる。状況が悪くても、「ひょっとして棚ぼた式にうまくいくかな…」という曖昧な希望を表している。

 ロシアは、ツァーリが君臨する前は、いくつもの公国が群雄割拠していた。これらのツァーリや公たちはしばしば、前の法令を反古にして新しい法律を導入した。だから、突然、戦争になる可能性は常にあり、「人権」の概念など存在しなかった。明日どうなるか分からなかったので、ロシアの農民たちは、「ひょっとしたらうまくいくかな…」と当てにしながら何でもやるのに慣れていた。

 ロシア軍の威力も、しばしば「アヴォーシ」に基づいていた(例えば、18世紀の名将アレクサンドル・スヴォーロフの奇跡的なアルプス越え)。「アヴォーシ」は間違いなくロシアの「ブレース」の一つだ。成功と神秘への説明しがたい信念である。それは、ロシア人が遮二無二前進し、最終的には勝利をおさめる助けになる(まあ、勝たない場合もあるが)。

5.日常生活に残る異教時代の迷信

 縁起をかついで木をコツコツ叩いたり、肩越しに唾を吐いたりするのは、ロシア人だけではない。だが、長旅に出る前に座ったり、塩をこぼすのを恐れたり、ドアの敷居越しに握手したり物を手渡しするのを拒んだり、地面や床に寝ている人を跨がなかったり、梯子の下を歩かなかったり、家を出てから忘れ物に気がついても家に戻らなかったり…。これらはすべて、ロシア特有の迷信で、起源は異教時代にさかのぼり、キリスト教導入以降の千年以上の歳月を生き延びてきた

 キリスト教が導入された後も、ロシアの暦は異教起源の祭を保ってきた。スヴャトキ(冬至に起源)は、降誕祭と神現祭の間の12日間だ(神現祭〈主の洗礼祭〉は、イエス・キリストが洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けたことを記憶する日である)。夏至の豊穣祭は、イワン・クパーラと呼ばれ、洗礼者ヨハネと関係づけられた。復活大祭(イースター)は、スラブの新年(春に祝われた)に代わるものだ。

6.寒さと雪に慣れている

 私のシベリア人の友人たちは、いつもモスクワの仲間に悩まされていると文句を言っている。なぜ君はモスクワに来ても、冬に帽子をかぶるの?と、しつこく聞かれるらしい。彼らは、「もちろん、かぶるさ」と答える。「僕たちは、暖かい服装が大事だと身にしみているシベリアから来たんだからね」

 しかし、ここでは必ずしもシベリア出身である必要はない。エスキモーは雪を100通りに呼び分けるという話がある。ロシアではそんなことはないが、それでも長い冬や凍傷はロシア人にとってべつに驚くようなことではない。

 ロシアの農民史を専門とする有名な歴史家レフ・ミロフによると、ロシア人の国民性は、ロシアの気候によって形成された。その気候は、農民の生活を規定したからだという。すなわち、半年の間、ロシアの農民は馬のように働き、本格的な寒さが到来する前に、迅速に穀物を蒔き、収穫する(多分これは、我々が締め切り直前にぜんぶを片付けたがることと何か関係があるだろう)。

 そして、残りの半年間、彼らはストーブ(ペチカ)の上で寝そべり、ロシアの究極の価値観、つまり欧米では「ブルー」として知られる「ハンドラ」(ふさぎの虫)にやられないように、何かの物事や活動を考え出さねばならない。

7.「ハンドラ」(ふさぎの虫)

 この点で、我々ロシア人は比類がない。ロシア語の「ハンドラ」は、メランコリー、憂鬱だけを指すのではなく、それを肉体的な病気として感じる人も表す。

 ロンドンではしばしば何週間も雨が降る(イギリスの憂鬱もそれなりのものだし、ポルトガル語などの「サウダージ」もそうだ)。しかし、ロシアのハンドラは、「ロシア的な魂の本質的な部分であるという点で際立っている。

  いずれにせよ実際のところ、今日の欧米の社会では、少なくとも自分の問題についてブツブツ不平を言ったり泣き言を並べたりすることは、はしたないとみなされる。もしあなたが泣きごとを言えば、公の場では丁重に無視され、プライバシーの問題として放置されるだろう。

 しかしロシアでは、そういう人を無視することは、たとえば、職場では失礼であり、非人道的だとさえ思われるだろう。声を出して文句を言う人は、助けを求めて叫んでいる人であり、たとえそれが見知らぬ人であっても、助けが与えられる可能性が大だ。これがロシア的精神というものさ。

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