「いったい、思い切り橇をぶっ飛ばすのが好きでないロシア人などあるだろうか?酩酊し、どんちゃん騒ぎをやらかし、二言目には、『えいくそ、どうにでもなりやがれ』と吐き捨てるロシア魂、そんなロシア魂がどうしてそれを好かずにいられよう?」
ニコライ・ゴーゴリ『死せる魂』
「ユーモアとは民族を飾るもの。どんなに野蛮で暗黒な時期にも、毒のある苦い、率直でありながらひねりの効いた、ロシアのユーモアがあった。我々がこんな冗談を飛ばせる間は、我々は依然として偉大な民族なのだと信じたい」
セルゲイ・ドヴラートフ『孤独な人びとの行進』
「我々ロシア人は、ゴテゴテと飾り立てた教育制度を持っていない。我々は、整理番号を付けられることもないし、あれやこれやの社会制度の擁護者や宣伝屋にしたてられることもない。我々はただ、自然に成長するにまかされる――まるで塀際のイラクサのように。だから我々の中には偽善家はほとんどいないが、嘘つきやうわべだけの信心家や空言家はわんさかいる。我々は、何かの社会制度を信じるふりをする、偽善家である必要などさらさらない。というのも、信じるに足るような制度など我々は知らないし、実際、そんな制度は、どれ一つとして、我々を守ってくれはしないからだ。我々はだから、まったく自由気ままに存在している。つまり、何の意味もなく空虚に、嘘をつき、空言を弄しつつ、勝手気ままに、いかなる制度も基盤も持たずに生きているわけだ」
ミハイル・サルティコフ=シチェドリン『ゴロヴリョフ家の人々』
「ロシア人がその精神においてどれほど自由であるか、どれほどその意志が強靭であるかは、恐ろしいほどだ!ロシア人がしばしば強いられたほど、母国の土壌から乖離し、自らの信念に従って身を捩らせたことは、他のいかなる民族のいかなる時代にもかつてなかった!」
フョードル・ドストエフスキー「ロシア文学について:序文」
「ロシア人の特徴はというと、その最も切実な要求が満たされないとなるや、いろんな曲芸なんかに有り金ぜんぶはたいしてしまいがちな点だ」
アントン・チェーホフ『サハリン島』
「静かな夏の夜、無言の森の中で、自由奔放なロシアの歌声を耳にするのは、もの悲しくもあれば愉快でもある。そこには、望みなき無限の憂愁もあれば、不屈の力もある。また運命の刻印、鉄のごとき宿命もあるのだ。これこそは、わが民族の主要な特徴の一つであり、ロシアの生活の不可解に思われる多くのことがらを説明し得る。夏の夜、無言の森に伸びやかに響く歌声には、まだまだ多くのものが聴きとれる!」
アレクセイ・K・トルストイ『白銀公爵』
「ロシア国民の前には至難な課題が控えている。その極まりなき大地に形を与え、組織することだ。ロシアの大地の極まりなさ、境界と限界の欠如は、ロシアの魂にも見出される。ロシア的魂の姿は、ロシアの大地のそれに対応している。同じ無境界、不定形、無限への憧れ、広大無辺さ」
ニコライ・ベルジャーエフ『ロシア共産主義の歴史と意味』
「私は自分の身の回りのことがらについて、感嘆しているなどとはとうてい言えない…だが、正直言って、何をもってしても、祖国を他国と取り換えようなどとは思わない。また、神が与えたもうた父祖の歴史を他と取り換えようとも思わぬ」
アレクサンドル・プーシキン「ピョートル・チァーダーエフへの手紙――1836年10月19日」
「わが祖国の運命に関する疑惑にさいなまれ、重苦しい思索に沈むとき、おまえひとりが私の支えであり、拠り所である。おお、偉大な力強い、真実で自由なロシア語よ!…このような言葉が偉大な民族に与えられたのではなかったとは信じられない!」
イワン・トゥルゲーネフ、散文詩『ロシア語』
「そいつは、我々のロシア的無関心ってやつですよ。我々の権利が我々に課す義務が、どうもピンとこない。で、その義務を否定しにかかるってわけです」
レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』(アンナの恋人、ヴロンスキーの言葉)
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