ソ連でもっとも規模が大きかった葬儀

Bettmann/Getty Images
 ソ連時代、葬儀は非常に大規模な行事となることがあった。とりわけ、指導者が亡くなった際には、信じがたいほどの敬意が払われ、また有名人の葬儀には、別れを告げようと大勢の人々が行列を作った。

ウラジーミル・レーニン

 世界の社会主義の指導者であるレーニンは1924年1月21日に逝去した。遺体は、モスクワ郊外のゴールキからモスクワに運ばれ、同盟会館の円柱の間で葬儀が行われたが、その儀式は実に5日間(!)も続いた。様々な記録によれば、葬儀にはおよそ50万人が訪れた。

 レーニンの遺体を防腐処理するという決定は、レーニンが死亡する1年ほど前に下されていた。1924年1月24日、遺体が納められた棺は赤の広場で、最初は木造の霊廟に、のちに花崗岩の霊廟に置かれた。霊廟の前には、ソ連時代を通して、行列が作られた。

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フェリックス・ジェルジンスキー

 ジェルジンスキーは、現在、ソ連時代のもっともスキャンダラスな人物の一人である。何より、ジェルジンスキーは、ソ連の秘密警察の指導者で、反革命者に対する粛清を管理した内務人民委員部付属国家政治局(GPU)の初代長官として知られる。ジェルジンスキーは1926年7月20日に、心臓発作により急死した。葬儀には当局のすべての者が参列し、ジェルジンスキーが率いた機関の職員や熱狂的なボリシェヴィキの支持者らが大量に駆けつけた。遺体はクレムリンの壁墓所に葬られた。 

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ウラジーミル・マヤコフスキー

 主要な革命詩人、ウラジーミル・マヤコフスキーの死は国民に大きな衝撃を与えた。マヤコフスキーは1930年4月14日に36歳という若さで自ら命を絶った。葬儀に集まった人々の行列はモスクワ中に広がった。遺体はモスクワのノヴォデーヴィチ墓地に埋葬された。

セルゲイ・キーロフ

 1934年12月1日、レニングラード・ソヴィエト議長は、執務室に向かう廊下の途中で銃撃され、暗殺された。暗殺犯のニコラエフだけでなく、その家族、そして遠い親戚までもが銃殺された。また、党内の反対勢力などのさまざまな陰謀を企てた疑いで多くの人々が逮捕されるようになった。スターリンの忠実な戦友であったキーロフの暗殺は、ソ連における大粛清の直接の契機となったと考えられている。 

ヨシフ・スターリン

 1953年3月5日、国民の父、スターリンがこの世を去った。この日、学校は休校となり、多くの職場も休日となった。当時の人々の回想によれば、スターリンの粛清の犠牲者たちは、シャンパンを開け、収容所群島の囚人たちは、「万歳!」と声をあげたという。

 同盟会館の円柱の間で行われた葬儀は3日間にわたって昼夜の別なく続いた。3月9日の葬儀の日はモスクワ市民にとって真の悲劇の日となった。スターリンに別れを告げる人の数は、赤の広場だけでも、1万2,000人に達し、モスクワ各地から中心部に向かって数千人が押し寄せた。いくつかの通りは通行止めとなり、群衆は身動きできなくなり、およそ400人が圧死した(正確な死亡者数は未公表)。

 スターリンの遺体は、棺に入れられ、レーニンと並んで、廟に置かれたが、1960年代に個人崇拝を非難する運動が行われたことを受け、クレムリンの壁墓所に移された。

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ユーリー・ガガーリン 

 人類初の宇宙飛行士ガガーリンは、飛行を終え帰還したとき国民的英雄として迎えられたが、その人生の最期のときにも英雄として見送られた。ガガーリンは1968年3月27日、飛行機の訓練飛行中、墜落事故により死亡した。教官のウラジーミル・セリョーギンも共に死亡した。葬儀はソヴィエト軍中央会館で行われ、赤の広場ではお別れの集会が開かれた。ガガーリンとセリョーギンの遺体はクレムリンの壁墓所に葬られている。

セミョーン・ブジョーンヌィ 

 伝説的なソ連の軍事指導者。ロシア内戦で活躍し、また第二次世界大戦でも指揮官としての才能を発揮した。ソ連の最初の元帥の一人。

 1973年10月30日に執り行われたブジョーンヌイの葬儀は、テレビで中継された。91歳で死去したブジョーンヌィの遺体はクレムリンの壁近くの巨大墓地に葬られた。 

ウラジーミル・ヴィソツキー

 詩人で歌手で俳優のウラジーミル・ヴィソツキーは、1980年7月25日、42歳でこの世を去った。死因はアルコール依存症と麻薬中毒とされている。ヴィソツキーの死は数百万のファンたちにとっての大きな悲劇となった。

 葬儀は長年にわたって勤めたタガンカ劇場で行われた。別れを告げる人々の行列は数キロメートル続き、タガンカ広場には10万人以上のファンが詰めかけた。

レオニード・ブレジネフ

 16年にわたってソ連を指導したブレジネフは1982年11月10日に動脈瘤破裂により死亡、大きな敬意とともに葬られた。

 葬儀は、スターリン時代以降もっとも壮大なものとなった。多くの外国の指導者たちも葬儀に訪れた。ブレジネフもクレムリンの壁墓所に埋葬されている。

コンスタンチン・チェルネンコ

 チェルネンコは1年強、ソ連の書記長を務め、1985年3月10日に死亡した。しかし、指導者としての在任期間が短かったものの、葬儀は盛大なもので、イギリスの元首相マーガレット・サッチャーも参列した。

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