ボルガ風コクールキは、ライ麦粉で作った特別なパンで、古代ルーシがキリスト教を受容してから焼かれるようになったものだ。コクールキを焼くことは、パスハ(復活祭)と密接に結びついている。パスハを祝った後、家には食べきれなかった彩色卵が残ることが多かった。高価な食材を無駄にしないために、主婦たちは、ライ麦粉の生地で作った「皮」にゆで卵を包んでコクールキを焼いたのだった。こうすると、パンの中の卵は、一週間保存できた。加えて、ライ麦粉の特別な性質のおかげで、卵は硬くもならず、カビも生えなかった。まさにそれゆえに、コクールキは長旅の際の食料として伝統的に用いられていたのである。さらに、コクールキは、伝統的に、前菜としてスープに添えて出されてもいた。
コクールキはさらに、帝政ロシアのある歴史とも繋がっていると、ヴァレンチン・ピークリの著書『言葉と行動』の中では語られている。アンナ・イヴァノヴナの治世の時に、この女帝が玉座に就くと、長期にわたって軍人たちに俸給が支払われなくなった。夫と喧嘩になった大尉の妻ウリータ・デミヤーノヴナ・アプーフチナは、俸給を支払ってくれるよう、女帝に直訴しに行こうと決意した。その時には、借金がかなりの額――400ルーブルになっていたのだ。
女帝との謁見を手配してもらうために、ウリータ・デミヤーノヴナはまず、自分の遠縁にあたるアンナ・フョードロヴナ・ユシコーヴァのところへ出かけた。彼女はアンナ女帝のいちばんの寵臣だったのである。いろいろな贈り物の他に彼女は、恩人となる人をもてなそうと手作りのコクールキを持参した。ユシコーヴァは、もちろん、大尉夫人に対し、こんな素朴な食べ物はもう長いこと食べていないと感想を述べたが、このもてなしのおかげで、女帝との謁見を手配してくれることになったのだった。
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