1960年代に当時レニングラード(現サンクトペテルブルク)のサドーヴァヤ通りにあるメトロポールレストランのシェフが考案したこのカツレツは、一般庶民のみならず、世界の大国のリーダーをもとりこにした。
メトロポールはソビエトのエリート政治家たちの間で非常に人気があり、レストランのシェフたちは共産党のパーティや国のレセプションでの料理人として招かれた。当時のソ連の指導者レオニード・ブレジネフ、アメリカのロナルド・レーガン元大統領、フランスのジャック・シラク元大統領も彼らの料理でもてなされた。
メトロポールはその場所に建てられた最初のレストランではなかった。18世紀、ここにはカフェ・ゴスチヌィ・ドヴォールがあり、また20世紀初頭にはラックスという名で知られた店があり、グリゴーリー・ラスプーチンがよく通ったと言われている。1917年の革命の後、レストランは労働者のためのありふれたカフェテリアになったが、そのカフェは後に国有化され、1931年にメトロポールとして再開された。
レストランとは別にここにはテイクアウトできるデリのコーナーがあった。デリではソ連の労働者や学生たちにリーズナブルな値段で食べ物が提供されており、人々はここでカツレツを買い、家や寮に持ち帰った。たとえば1970年代、カツレツの値段は22コペイカだった(1ルーブルは100コペイカで、当時の平均月収は150ルーブルであった)。
ここでそんなカツレツのレシピを教えてくれるのはサンクト・ペテルブルグのレストラン経営者の一人、レオニード・ガルバルさん。レオニードさんは、メトロポールは1950年代から半世紀以上にわたってシェフを務めたオレグ・バビコフの下で特に繁盛していたと回想する。ガルバルさんがソビエト料理を専門とする自分のレストランを開店したとき、彼はバビコフ氏の息子に有名な「メトロポールカツレツ」の料理法の指南を受けたという。
「もともと、カツレツの名前は“ノヴェルティ(カツレツ)”というものだったのが、“メトロポール”となり、それは愛称形で“メトロポールカ”とも呼ばれていました」とガルバルさんは話す。「この料理が生まれたのはとても実際的な理由からで、実は豚肉の残り物の有効利用したものなのです。もともとこの料理に使われる豚肉の部位は脂分が多くて、料理人は捨てていたのですが、バビコフ氏はこの脂身を鶏の肝と混ぜ合わせて詰め物として使う料理法を考案したというわけです」。
メトロポールは2010年にベルギー風ブラッセリーとしてリニューアルされた。店では現在この伝統的な一品が、ポートワインとクリームとクランベリーソースを加えた形で供されている。ここでご紹介するのはチキンキエフに似たオリジナルのレシピ。このレシピでは豚の脂身の代わりにバターを代用する。
材料:
作り方:
1.玉ねぎはみじん切りにしてバターまたはサラダ油で炒める。
2.別のフライパンで鶏のレバーをサラダ油またはバターで5–7分炒める。レバーから余分な水分が出てきたら、キッチンペーパーで拭き取る。
3.レバーに玉ねぎを加え、1–2分炒める。
4.レバーと玉ねぎをグラインダーでミンチにする。塩こしょう、バターを加える。
5.鶏の胸肉を適当な大きさに切り、叩いて薄くのばす。
6.ミンチにしたレバーを胸肉で包むようにして、カツレツの形に整える。
7.カツレツに小麦粉をまぶし、卵にくぐらせ、パン粉をつける。
8.サラダ油またはバターで揚げる。
プリヤートナヴァ・アペチータ!(どうぞ召し上がれ!)
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