ここ10年、日本ではいくつものロシア映画が日本で広く公開されている。モスクワの空港で飼い主を待ち続けた忠犬パルマの物語「ハチとパルマの物語」、ディザスター映画「フライト・クルー」、戦争アクション「T–34 レジェンド・オヴ・ウォー」などである。
しかし、鉄のカーテンがあったソ連時代にも、日本の人々はソ連映画を観ることができた。日本では、「戦争と平和」や「モスクワは涙を信じない」などといった大ヒット作や「ソラリス」、「アンドレイ・ルブリョフ」、「不思議惑星キン・ザ・ザ」などの作家映画などが上映されてきた。20世紀に日本で公開されたソ連映画の面白いポスターを集めた。
1.「母」、1926年
20世紀初頭のありふれた労働者の生活の困難を描いたマクシム・ゴーリキーの同名の小説を映画化したもの。革命の理想に貫かれた作品は外国の評論家から高い評価を受け、今もなお、「戦艦ポチョムキン」と並んで、もっとも重要なソ連映画の一つとされている。
2.「石の花」、1946年
ロシアのおとぎ話の映画化したことで知られるソ連の映画監督アレクサンドル・プトゥシコの傑作の一つ。パヴェル・バジェノフが書いたウラルのおとぎ話を基にした「石の花」は、ソ連初のカラー長編映画。
3.「誓いの休暇」、1959年
グリゴーリー・チュフライ監督のこの映画は、大祖国戦争を背景にしながら、戦争ではないテーマを描いた作品。1人の善良な青年兵士アリョーシャは、短い休暇をとり、戦場から故郷の村に帰ってくる。家に帰るまでの道中、アリョーシャは戦争で傷ついた様々な人に出会うが、偶然知り合った女の子に恋をする。「誓いの休暇」はカンヌ映画祭で特別審査員賞、英国アカデミー賞を受賞したほか、アカデミー賞の最優秀シナリオ賞にもノミネートされた。
日本では1973年2月25日にテレビで放映され、井上真樹夫がアリョーシャの声を演じた。
4.「アラジンと魔法のランプ」、1966年
「千一夜物語」に含まれるアラブのおとぎ話をモチーフにしたファンタジー映画「アラジンと魔法のランプ」。撮影はクリミアで行われた。バグダッドの舞台セットはすべてヘルソネス岬で作られ、海辺に巨大な街が出来上がった。王女役は15歳のグルジア(ジョージア)の女優ドド・チョゴヴァゼが演じた。
5.「アンドレイ・ルブリョフ」、1966年
イコン(聖像)画家のアンドレイ・ルブリョフの生涯を描いたアンドレイ・タルコフスキー監督の重量感みなぎる壮大な作品で、世界の映画界に衝撃を与えた。ソ連映画で、中世ルーシの精神的、宗教的な一面が叙事詩的に描かれたのはこれが初めてとなっている。
日本では1974年12月7日に、短縮版(182分)が上映された(完全版は205分)。
6.「戦争と平和」、1967年
レフ・トルストイの同名の小説を下敷きにしたこの超大作は、ソ連映画史上、もっとも多額の予算をかけて作られた映画の一つ。壮大な戦闘シーンや斬新なパノラマ撮影などで知られる。
「戦争と平和」はアカデミー賞、「ゴールデン・グローブス」賞で、最優秀外国語映画賞を受賞した。
日本では、第一部(「戦争と平和」の1〜2巻)が1966年7月23日に、そして第二部(「戦争と平和」の3〜4巻)は翌1967年11月23日に公開された。第一部、第二部合わせた日本での興行収益は4億6,300万円にのぼった。
1966年の初公開に合わせて、監督でピエール・ベズーホフ役を演じたセルゲイ・ボンダルチューク、ナターシャ・ロストワ役を演じたリュドミーラ・サヴェリエワ、アンドレイ・ボルコンスキー役を演じたヴャチェスラフ・チーホノフが来日した。このときサヴェリエワは贈られた振袖姿でメディアの前に姿を見せた。
7.「惑星ソラリス」、1972年
スタニスワフ・レムの小説「ソラリスの陽のもとに」を原作としたアンドレイ・タルコフスキー監督のこの映画は、史上最高のSF映画のリストに必ず入っている名作。
未来都市のシーンを東京の首都高速道路で撮影された。当初、タルコフスキーはこのシーンを大阪の万博会場(1970年)で撮影する計画であったが、撮影の許可がなかなか降りず、監督が来日したときには万博は終了していた。1977年4月29日に封切られた。
8. 「モスクワは涙を信じない」、1979年
もう一つのアカデミー賞最優秀外国語作品賞受賞作品。
夢を叶えるために地方都市からモスクワにやってきた3人の女性たちの生き様を描いたこの作品は、ソ連だけでなく、外国の観客にも反響を呼んだ。ソ連では9,000万人が映画を鑑賞した。日本では1982年を1月29日に公開された。
アメリカのロナルド・レーガン元大統領は、ミハイル・ゴルバチョフ書記長が初めて会う前に、「謎めいたロシアの心」を読み解こうと、この映画を8回以上観たと言われている。
9. 不思議惑星キン・ザ・ザ、1986年
手作り感溢れる衣装と惑星プリュクのユニークな雰囲気、シンプルなストーリーの中に隠された哲学的な意味などから、低予算で制作されたディストピア映画はソ連のみならず、外国でもカルト的作品と位置付けられている。
この映画の中で使われている架空のチャトル語の言葉がロシア語に取り入れられるようになったのは非常に興味深い。
日本では1991年1月12日に初上映されたが、2016年にはデジタル・リマスター版にて公開された。