音楽への情熱をグラミー賞に変えたロシア・ソ連の12人の音楽家

V. Kozlov, Grigory Sysoev, Sergey Subbotin, Ramil Sitdikov/Sputnik; Jack Mitchell/Getty Images; Dmileson (CC BY-SA 4.0)
 グラミー賞は音楽界で最も権威ある賞だ。ウラディーミル・ホロヴィッツやスティーヴィー・ワンダーは何度もグラミー賞を持ち帰った。限られた者しか手にできない栄光をつかんだロシア・ソ連の音楽家を振り返ってみよう。

1. スヴャトスラフ・リヒテル

 技術と感情表現の名手リヒテル(1915年〜1997年)は1961年、シカゴ交響楽団とともに演奏したヨハネス・ブラームスの『ピアノ協奏曲第2番』でソ連の音楽家として初めてグラミー賞を受賞した。

 彼のレパートリーはリヒャルト・ワーグナーからイーゴリ・ストラヴィンスキーまで広範かつ多様だった。リヒテルは1915年にウクライナのジトーミル(当時はロシア帝国領)に生まれた。音楽への愛はピアノ・オルガン奏者だった父から受け継いだものだった。リヒテルはオデッサ音楽院で1934年に最初の独奏を披露した。間もなく彼はモスクワ音楽院に入学し、有名ピアニストのゲンリフ・ネイガウスの下で学んだ。

 彼がモスクワでデビューしたのは1940年、音楽院の小ホールでのことだった。前途有望な彼はそこでセルゲイ・プロコフィエフの『ピアノソナタ6番』を、作曲者本人に次いで初めて演奏した。リヒテルは1945年に第3回全ソ連音楽家コンクールで優勝し、ソ連で広く認知されるようになった。1950年代、彼はソ連国内を回っただけでなく、外国での演奏も行った。

 1960年、リヒテルはロサンゼルス、ニューヨーク、シカゴの複数のコンサートで演奏した。並々ならぬ精力に満ちた彼は、しばしば「世紀のピアニスト」と呼ばれた。疲れ知らずのリヒテルは、他界する前年の1986年でさえ150回もコンサート出演していた。

2. ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

 ロストロポーヴィチは60年にわたるキャリアの中でいくつもの賞を取り、グラミー賞も5回受賞した。最初の受賞は1970年で、ブラームスの二重協奏曲が最優秀クラシック・パフォーマンス賞を獲得した。最後の受賞は2003年で、ブリテンのヴァイオリン協奏曲、ウォルトンのヴィオラ協奏曲が最優秀インストゥルメンタル・ソリスト・パフォーマンス賞を獲得した。

 ベンジャミン・ブリテンやドミトリー・ショスタコーヴィチ、セルゲイ・プロコフィエフ、アラム・ハチャトゥリアン、アルフレート・シュニトケがロストロポーヴィチの才能を認め、彼のために曲を書いたほどだった。彼は1927年にバクー(当時はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国)に生まれた。絵に描いたような音楽一家で、祖父と父はチェリスト、母はピアニストだった。ロストロポーヴィチはわずか4歳の時にピアノを始めたが、7歳でチェロに切り替えた。モスクワ音楽院で彼を指導した教師陣の中には、セルゲイ・プロコフィエフやドミトリー・ショスタコーヴィチもいた。

 ロストロポーヴィチは1945年にモスクワの第3回全ソ連音楽家コンクールで金賞を受賞し、チェリストとしての国際的な名声を手にした。1947年、プラハで開かれた世界青年学生祭典で第1位になり、1950年代には国外公演ツアーを始めた。妻で有名ソプラノ歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤのリサイタルでピアノ伴奏をすることもあった。1962年、多才な音楽家は指揮者としてデビューした。

 ロストロポーヴィチはワシントンD.C.のナショナル交響楽団で20年近く音楽監督を務めた。その後、ロンドン交響楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など、多くの世界的なオーケストラで指揮をした。

3. ウラジーミル・アシュケナージ

 火山の如き気性の音楽家アシュケナージは、グラミー賞を7回受賞しており、ロシア人として最多の受賞数を誇る。最初の受賞は1974年で、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第5番』の演奏が最優秀インストゥルメンタル・ソリスト・パフォーマンス賞を獲得した。その後は1979年、1982年、1986年、1988年、2000年、2010年に受賞している。

 アシュケナージは20世紀最高のピアニスト・指揮者の一人としての評価を確立した。彼もまた、才能あるピアニストだった父親から音楽への情熱を受け継いだのだった。ウラジーミル・アシュケナージは1937年にゴーリキー(現ニジニー・ノヴゴロド)で生まれ、6歳でピアノを始めた。彼が世界の舞台でデビューしたのは1955年、ワルシャワのショパン・コンクールでのことだった。アシュケナージは1962年の第2回チャイコフスキー・コンクールで第1位になった。以後、次々と国際的な賞を受賞し、着実に名声を高めていった。

 1963年、野心的な音楽家は西側に亡命し、1970年代にアイスランド国籍を取った。1970年代半ば、アシュケナージは指揮を始め、以後生涯情熱を捧げることになった。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン放送交響楽団、シドニー交響楽団など、世界有数のオーケストラとともに演奏した。

4. ダニール・トリフォノフ

 深い表現力と完璧な技術を持つ彼の感情的なピアノ演奏は力と希望を放っている。ダニール・トリフォノフはグラミー賞を最年少で受賞したロシア人だ。2018年に最優秀クラシック・インストゥルメンタル・ソリスト賞を受賞した。「疑いなく、これは現代で最も驚異的なピアニストだ」とフランツ・リストの『超絶技巧練習曲第4番』の演奏を披露したトリフォノフについてタイムズ紙は評している。

 トリフォノフは1991年にニジニー・ノヴゴロドに生まれ、5歳で音楽を始めた。彼はモスクワのグネーシン音楽大学に入り、その後クリーヴランド音楽院で学んだ。トリフォノフは2011年にチャイコフスキー・コンクールで賞を総なめにして旋風を巻き起こした。成功は間違いなかった。次々に賞を取り、2016年には「グラモフォン・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

 トリフォノフは欧米の主要なオーケストラとともに演奏している。ショパンやラフマニノフ、チャイコフスキーの雄弁な表現者は、ニューヨークを拠点にし、ピアノの曲も書き、レコーディングも精力的に行っている。

5. ミハイル・ゴルバチョフ

 賞と言えば、ミハイル・ゴルバチョフの右に出る者はいないだろう。1990年にノーベル平和賞を受賞した元ソ連指導者は、2004年にはグラミー賞の最優秀子供向けスポークン・ワード・アルバム賞も受賞している。

 ミハイル・ゴルバチョフとビル・クリントン、ソフィア・ローレンがセルゲイ・プロコフィエフの『ピーターと狼』とフランス人作曲家ジャン=パスカル・バンテュの『狼のたどる道』の語りを務めた。メイン・バージョンでは『ピーターと狼』のナレーションをソフィア・ローレンが英語で務め、『狼のたどる道』は第42代米国大統領がナレーションをした。

 そして、序章と間奏、終章は、ペレストロイカやグラスノスチで知られるミハイル・ゴルバチョフが声を当てた。彼はロシア語で、持ち前の独特のしゃがれ声で話している。

6. ユーリー・バシュメット

 多才で高潔な音楽家バシュメットは、初めは熟練のヴィオラ奏者として名声を手にした。ソリストとして、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やニューヨーク・フィルハーモニック、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など、世界の名だたるオーケストラと共演した。

 マエストロ・バシュメットは、1953年にロシア南部の街ロストフ・ナ・ドヌーに生まれ、1985年に指揮を始め、翌年には室内楽団「モスクワ・ソロイスツ」を結成した。1990年代初め、バシュメットはアンサンブルを再編成せざるを得なくなった。初期メンバーがフランスに永住することを決めたからだ。彼が新たに作ったアンサンブルのメンバーは、モスクワ音楽院の最も前途有望な卒業生らだった。

 スヴャトスラフ・リヒテルやムスティスラフ・ロストロポーヴィチなどの巨匠もアンサンブルと何度も共演している。2008年、彼のモスクワ・ソロイスツがロシアの室内アンサンブルとして初めて念願のグラミー賞を獲得した。

7. ギドン・クレーメル

 権威ある国際的な賞を取ることは、クレーメルには容易かった。2001年、ヴァイオリニストは『アフター・モーツァルト』のレコーディングで最優秀スモールアンサンブル・パフォーマンス賞を受賞した。彼には音楽が骨の髄までしみ込んでいた。クレーメルの父と祖父はプロのヴァイオリン奏者だった。まさに、この親にしてこの子あり、というわけだ。

 1947年にリガ(当時はラトビア・ソビエト社会主義共和国)に生まれたギドン・クレーメルは、幼少期に音楽を始めた。4歳で初めてヴァイオリンのレッスンを受けた。1969年、クレーメルはモスクワ音楽院を卒業した。音楽院ではダヴィッド・オイストラフの指導を受けた。1980年、彼は可能性を求めてソ連から西ドイツに亡命した。1997年、当時最高の音楽家の一人クレーメルは室内管弦楽団「クレメラータ・バルティカ」を結成した。

 彼のレパートリーはクラシックからアバンギャルド管弦楽まで多岐にわたる。クレーメルはミェチスワフ・ヴァインベルクなどロシアの作曲家らの作品を愛し続けている。

8. マクシム・ヴェンゲーロフ

 非凡な音楽家は、6度ノミネートされた後、2004年についに最初のグラミー賞を獲得した。1974年生まれのマクシムは、わずか5歳でソロ・ヴァイオリン奏者の道を歩み始めた。彼の母は孤児院コーラスの監督で、父はノヴォシビルスク・フィルハーモニー管弦楽団でオーボエ奏者として働いていた。

 マクシム・ヴェンゲーロフは10歳の時に初めてレコーディングを行った。成功の道は大変な努力と根気を必要とした。10歳にしてヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで、15歳にしてカール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクールで優勝した。以来、ヴェンゲーロフはクラシック音楽で最も需要のあるソロ奏者の一人として、期待に応え続けている。

 活動の幅を広げるため、ヴェンゲーロフは2008年に指揮を始めた。モントリオール交響楽団やトロント交響楽団など、世界屈指のオーケストラを指揮している。

9. ミハイル・プレトニョフ

 プレトニョフは世界で最も優れたピョートル・チャイコフスキーの表現者の一人と見なされているが、2005年にグラミー賞の最優秀室内楽パフォーマンス賞を受賞したのは、セルゲイ・プロコフィエフとモーリス・ラヴェルの作品の演奏だった。

 ミハイルは1957年にアルハンゲリスクの音楽一家に生まれた。母の背中を追い、モスクワ音楽院でピアノを勉強した。21歳でプレトニョフは権威あるチャイコフスキー・コンクールで第1位になったピアニストとして世界の舞台に躍り出た。世界各地で公演を行い、ピアニストとして主要なオーケストラと共演している。

 プレトニョフは1980年に指揮者としてデビューし、以来ロンドン交響楽団やバーミンガム市交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団など数多くの主導的なオーケストラで客演指揮者として活躍している。

10. エヴゲーニー・キーシン

 キーシンはピアノの神童だった。1971年にモスクワに生まれた彼は、2歳でピアノを習い始めた。エヴゲーニーは才能ある子供として6歳で音楽学校に入り、1984年には早くもモスクワ音楽院の大ホールでショパンのピアノ協奏曲を披露していた。 

 1980年代後半、キーシンはモスクワの名奏者ウラジーミル・スピヴャコフとともにヨーロッパを回った。1988年、ピアニストはヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と、2年後にはズービン・メータが指揮するニューヨーク・フィルハーモニックと共演した。ショスタコーヴィチ賞やヘルベルト・フォン・カラヤン音楽賞など、数々の賞を受賞している。

 キーシンは12回グラミー賞にノミネートされ、計2回受賞している(プロコフィエフの『ピアノ協奏曲第2番・第3番』とスクリャービン、メトネル、ストラヴィンスキーの作品の演奏)。今のところ順風満帆だ。

11. マリーナ・ドマシェンコ 

 ドマシェンコによるヴェルディの喜劇オペラ『ファルスタッフ』のレコーディングは、2006年にグラミー賞の最優秀オペラ・レコーディング賞を獲得した。ロシア人メゾ・ソプラノ・オペラ歌手は1979年にシベリアのケメロヴォで生まれた。幼少期にピアノを習い、後にピアニスト、オーケストラ指揮者としてケメロヴォ国立文化大学を卒業した。

 彼女が歌手となったのは、ムソルグスキー記念ウラル国立音楽院の声楽科に入った後だった。1997年にはカルロヴィ・ヴァリのアントニーン・ドヴォルザーク国際歌唱コンクールで、1999年にはイタリアの若手オペラ歌手のための国際コンクールで第1位となった。

 2002年にはドマシェンコはフィラデルフィア・オペラのディーヴァ賞を受賞した。

12. イルダール・アブドラザコフ

 ベッリーニの『ノルマ』のオロヴェーゾ、ロッシーニの『イタリアのトルコ人』のセリム、ヴェルディの『マクベス』のバンコーと『ドン・カルロ』のフィリッポ2世、ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』のボリス、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』のレポレッロ。

 イルダール・アブドラザコフは大変なカリスマ性を持つオペラ歌手で、彼の威風が舞台を活気づける。

 2010年、リッカルド・ムーティが指揮するシカゴ交響楽団の演奏に合わせてアブドラザコフが歌うヴェルディの『レクイエム』のレコーディングが2つのグラミー賞を獲得した。

 ロシア人バス歌手はバシコルトスタン共和国で生まれ育ち、ウファ国立芸術大学を卒業した。1997年、彼は国際グリンカ・コンクールで優勝し、有名なサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場にも招かれた。だが、彼の世界を股にかける歌手としてのキャリアが始まったのは、イタリアのマリア・カラス・テレビ・コンクールで優勝した時だった。

 25歳にしてアブドラザコフはスカラ座デビューを果たした。以来彼は、メトロポリタン・オペラ、パリ国立オペラ、ロイヤル・オペラ・ハウスなど、世界有数の舞台で活躍している。アブドラザコフは20年以上聴衆を魅了し続けている。

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