1950年代~70年代のソ連のヒット曲とMV:今でもポピュラーな理由を聴いて確かめよう

S.Gerasimov/TASS
 今ではソ連時代の文化は遠く隔たってしまったように思えるかもしれないが、その音楽の多くは依然として世界中の現代のリスナーにアピールし、共感を呼んでいる。

 いわゆる「社会主義リアリズム」が、ソ連でお墨付きの、主要な芸術様式だった。これは、造形美術、視覚芸術から音楽にいたるまで簡単に拡張できた。それにもとづき、ソ連のほとんどの歌謡曲は、シンプルで、誰でも気軽に聞け、親しみやすいように作られた。だから、この激動の2020年を送るにあたり、ソ連の1960年代~1970年代のいくつかの甘くてユートピア風な曲をチェックしたくなる人もいるかもしれない。

 音楽は、ソ連のイデオロギーと価値観を人々の間に広めるうえで、同国の主要なツールの一つだった。一方、ソ連の音楽には、20世紀のそれぞれの時期における国民の気分のさまざまな変化が映し出されている。1920年代の革命歌風の音楽は市民に、立ち上がって新しい国を建設する義務を想起させた。

 1930年代の愛国的な歌は、独裁者ヨシフ・スターリンの新体制を強化し、称賛した。それから、言うまでもなく、第二次世界大戦の苦悩と喪失感に満ちた1940年代の軍歌が登場。これらの歌は人々に、祖国のために敵に立ち向かえ、と呼びかけてもいる。その後、ニキータ・フルシチョフの短い自由化の期間、つまり1950年代後半のいわゆる「雪解け」の間に、ソビエト音楽はずっとロマンティックで個人的で非政治的なテーマに移行した。

 今日、我々がソビエト音楽として考えているものは概して、さまざまな影響がかなり奇妙に組み合わさっている。つまり、民謡、軍隊行進曲、さらには欧米のポップミュージックの混交だ(ソ連は西側の軽音楽には断固反対だったが)。 

エカテリーナ・セミョンキナ&リュドミラ・ズイキナ「金色の光があふれる」(1957)

 この曲は、1950年代のソ連の大ヒット曲で、ヒロイックで豪壮華麗なスタイルから離れつつあるソビエト音楽の新しい波を告げるものだった。歌詞は、スターリンが死んだ1953年に書かれている。「私は妻のある男に恋している」というフレーズが特徴で、スターリン時代後期としてはかなり衝撃的だった。

 そのため、この曲はようやく1957年に、スタニスラフ・ロストツキー監督の映画『それはペンコヴォで起きた』に初めて登場した。映画も歌も人気を博し、文化の焦点を、英雄的な市民たちの共同の行為と成果から、日常の人々の個人的なドラマと感情に移すのに一役買った。

 ビデオで歌詞と翻訳を見ることができる。 

リュドミラ・ズイキナ「ヴォルガは流れる」(1963)

 「ヴォルガは流れる」は、1963年にロシアの民謡歌手リュドミラ・ズイキナが歌った。これは、この歌手の代表曲となり、彼女は生涯にわたって「ミス・ヴォルガ」と呼ばれた。

 リリース以来、この曲はとくにロシアの地方の人々に愛されてきた。オーソドックスな主題とゆったりしたメロディアスな歌声は、19世紀ロシアのいたるところの農村で、家族の集まりやお祝いで聞かれた歌に似ていた。

歌詞と翻訳 

マヤ・クリスタリンスカヤ「優しさ」(1965)

 映画監督のタチアナ・リオズノワは、この素晴らしく優しくて、同時にドラマティックな曲「優しさ 」を、彼女のエポックメーキングな映画『プリュシハ通りの三本のポプラ』(1967)で不朽のものにした。

 この動画は、あらゆるソ連映画の中で最も美しくエモーショナルな場面の一つだ。ヒロインのアンナ・グリゴリエヴナはタクシーに乗っており、その運転手は、自分の好きな曲は「優しさ」という題名だ、と彼女に言う。アンナは、自分の好きな曲の名前を思い出そうとしながら、その一節を歌い始める。おもしろいのは、アンナは、題名を知らずに、タクシーの運転手が思っていたまさにその歌を口ずさんでいる。彼女の歌声は、この短いがユニークな愛の物語のクライマックスとして、マヤ・クリスタリンスカヤの素晴らしい歌に移っていく。

歌詞と翻訳 

エレーナ・カムブロワ「星の王子さま」(1968)

 わずか10~20年前には、ソ連国民は、工業の発達や社会主義的な夢を歌っていたのに、今や新時代の歌手は、おとぎ話やもっと個人的な夢にシフトしている。エレーナ・カムブロワの「星の王子さま」はその好例だろう。この歌は明らかに、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの同名の中編に触発されている。政治的または社会的なテーマからははるかに遠いこの歌は、未来への希望に満ちている。それは、個人の未来であり、驚きと幸せに満ちている。 

歌詞と翻訳 

ムスリム・マゴマエフ&ラリーサ・モンドルス「鳥の会話」(1966年)

 アゼルバイジャン出身のソ連を代表するバリトン、ムスリム・マゴマエフが、ラリーサ・モンドルスといっしょに、このロマンティックな歌を歌っている。この歌は、エルヴィス、さらにはフィル・スペクターのプロデュースした曲など、アメリカのゴージャスな人気曲の影響を強く受けている。だから、1960年代の米国の音楽がお好きなら、この曲とビデオは、その完璧なロシア版となるだろう。ソリストの美声、大オーケストラの伴奏、そしてもちろん降りしきる雪と毛皮のコートが特徴だ。

歌詞 

エドゥアルド・ヒーリ「冬」(1970)

 エドゥアルド・ヒーリは、ソ連・ロシアの人気バリトン。21世紀の欧米では、主にMr. Trololo Mr Trololoとして知られているが、その長いキャリアの間に、多くのヒットを飛ばしている。

 「冬」は、民話にインスパイアされており、古いロシアの定期市を連想させる。そのビデオは1960年代の米国のテレビを思わせるが、ずっと控えめでおとなしい。

歌詞と翻訳 

アイーダ・ヴェディシチェワ「森の鹿」(1971年)

 アイーダ・ヴェディシチェワはこの歌を、子供向けの映画『あ、あれはナースチャだ』で歌っている。

 この映画は、ある少女の物語。彼女は、自分の身の回りについて何かあり得ない架空の物語を創り出さずにはいられない。歌のヒロインは森の鹿に、自分をおとぎ話と夢の遠い世界に連れて行って、と頼む。

 1980年にヴェディシチェワは、文字通り遠い世界、米国に亡命した。音楽とテレビの業界は、彼女の「祖国への裏切り」を非難するため、彼女のすべての音源と映像を消去しようとした。そして、代わりに他のミュージシャンにそれらをぜんぶカバーするように仕向けた。

 にもかかわらず、1971年のヴェディシチェワの歌が、ロシア人の記憶に最も鮮明に残り続けた。

歌詞と翻訳

コラ・ベリドゥイ「君をツンドラに連れて行こう」(1977) 

 コラ・ベリドゥイの「君をツンドラに連れて行こう」は、間違いなく1970年代最高のヒット曲の一つで、アエロフロート航空の広告でもあった。この歌は、ソ連の多文化の共存、ソ連の多種多様な文化と民族の融和を主張している。

 歌の中で歌手は、最愛の人に語りかけ、彼女をツンドラに連れて行き、北方のあらゆる贈り物を与えると約束する。先住民族のネネツ人であるベリドゥイが歌ったこの曲は、ロシア北部のこの少数民族とその文化への関心を高め、同時にソ連の大きさと無限の可能性を再認識させた。

歌詞と翻訳 

アンナ・ゲルマン「庭の花咲く時」(1977)

 すでにお気づきかもしれないが、ソ連のMVのほとんどは、主にアーティストの顔と歌に焦点を当てていて、かなり穏やかで静的だ。この曲は、とてもドラマティックで魅力的で、しかもバランスがよくとれている。この曲は、悲劇的な運命に見舞われたポーランド人歌手、アンナ・ゲルマンが歌う。ソ連中でたいへん愛され、ほぼすべての歌唱の後で、スタンディングオベーションを受けた。

歌詞と翻訳  

ヨシフ・カブゾン「瞬間」(1973)

 ミハイル・タリヴェリディエフ作曲の「瞬間」は、大ヒットしたスパイ映画『春の十七の瞬間』(1973年)のサウンドトラックに初登場した。

 この全12回のテレビ映画は、第二次世界大戦終結間際の1945年早春におけるソ連スパイを描く。彼は、ある使命を帯びてナチス・ドイツに潜入していた。

 新しい回がテレビで放映されるたびに、誰も見逃したくなかったので、通りは空っぽになったという証言がある。この超有名な連ドラは毎回、ヨシフ・カブゾンの歌う「瞬間」で始まり、そして終わる。彼の歌は、1973年のいわばライトモティーフになった。

歌詞と翻訳 

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