エフレーモフは、しばしば「ソビエト空想科学小説の父」と呼ばれる。嚆矢となった作品は、長編『アンドロメダ星雲』で、1957年に彼が文学界にもたらした宇宙時代の物語だ。
噂によると、『スター・ウォーズ』シリーズの中心人物の一人、ダース・ベイダーは、『アンドロメダ星雲』の登場人物、ダール・ヴェテルにちなんで名付けられたという。
古生物学の教授であるエフレーモフは、「タフォノミー(化石生成論)」と呼ばれる、科学の新分野を発展させ、この分野で、「スターリン賞」を受賞している。
しかし、彼の小説では、未来人たちは、ソ連の公式イデオロギーは口にせず、代わりにイギリスの幻想文学作家、デイヴィッド・リンゼイの作品を読んでいる。
1972年にエフレーモフが亡くなるとすぐに、ソ連の秘密警察「KGB」の捜査官は、エフレーモフ夫妻が英国のためにスパイ活動を行った容疑で、そのアパートを捜索している。
日本語訳:
『丑の刻』早川書房、1980年/ «Час Быка» (1968)
『アレクサンドロスの王冠(上・下)』創元推理文庫、1979年/ «Лезвие бритвы» (1963)
『恐竜の発見 - 風の道』(『世界ノンフィクション ヴェリタ 16』筑摩書房、1978年所収)/ «Дорога Ветров» (1958)
ストルガツキー兄弟は、ソビエトSF小説の最高峰として世界的に認められている。ボリス(天文学者・コンピュータ技術者)と、兄アルカジー(通訳・日本文学研究者)は、この分野で前人未到の境地に達した。一部のSF作家は、これに迫ってはいるが、及ぶ者はいない。
兄弟は、数々の傑作を残し、1960年代にソ連のSFブームの原動力となった。
デュオは、宇宙船、スーパーヒーロー、テクノロジーだけでなく、特定の社会的テーマに繰り返し取り組み、力と心理学、社会学とセクシュアリティ、人類学と哲学を、言ってみれば、形而上学的ウィットをもって探求した。
兄弟は、『そろそろ登れカタツムリ』が自分たちの最も重要な仕事だと考えた。彼らは、欧米で人気を博し、アメリカで博士論文とモノグラフの主題となり、ジョナサン・スウィフトやフランツ・カフカの作品と比較されている。
日本語訳:
『ストーカー』深見弾訳、ハヤカワ文庫、1983年/ «Пикник на обочине» (路傍のピクニック)(1972)
『そろそろ登れカタツムリ』深見弾訳、群像社、1991年/ «Улитка на склоне» (1965)
『月曜日は土曜日に始まる 若い科学者のための物語』深見弾訳、群像社、1989年/ «Понедельник начинается в субботу» (1965)
その他多数の邦訳がある。
アレクセイ・トルストイは、ロシアのSFジャンルの創始者の一人としばしばみなされる。『戦争と平和』の作者、レフ・トルストイの遠縁に当たる彼は、その作家活動の中でさまざまなジャンルを行き来したが、主にSFや歴史小説を書いている。1917年のボリシェヴィキ革命後、彼はいったんはヨーロッパに亡命した。
彼の傑作は、『ガーリンの死の光線』で、日本語でも読める。この作品は、SFジャンルの最高傑作の一つとして広く認識されているが、いろんな小説ジャンルの奇妙なカクテルだ。スリラー、ディストピア、SF、ドラマなどが混ざり合っている。筋は、レーザーのような「死の光線」を発明し、世界を支配しようとする男の話だ。
いく人かの文学研究者によれば、ガーリンは実は、ボリシェヴィキ革命の父、ウラジーミル・レーニンの一面を描いている。
「伯爵同志」とあだ名されたトルストイは、亡命先からソ連に戻った後で、1925年にこの作品を書いた。
日本語訳:
『技師ガーリン』広尾猛訳(『ソヴエト・ロシア探偵小説集』内外社、1930年所収)
ベリャーエフは、30歳のときに脊椎カリエスにかかり、6年間、首から下が全身不随となった。この体験のせいで、彼の人生における優先順位が変わり、文学への関心が高まった。
そして、ベリャーエフは、SFのパイオニアであるジュール・ヴェルヌとH.G.ウェルズの世界に没頭した(後に、ベリャーエフは、レニングラードでウェルズに会っている)。
療養のおかげか、彼が新たに見つけた情熱のおかげか、とにかく、時とともに病状はやわらいだ。
ナチス・ドイツがソ連に侵攻したとき、作家はプーシキン市からの避難を拒んだ。その後、ベリャーエフは、1942年に、レニングラード包囲戦の最中に餓死した。
「ロシアSFのジュール・ヴェルヌ」と呼ばれる、この先駆的な作家は、そのユニークな文学様式とあいまって、彼の死後に幅広い人気を得た。大成功を収めた彼の小説は、映画化もされている。
『ドウエル教授の首』がベリャーエフの最も有名な小説だろう。作者はそれを、自伝的な物語と呼んでいる。彼は読者に、「体のない頭が何を体験できるか」を伝えたかったという。不気味だが魅力的で、先駆的な作品世界だ。
日本語訳:
『ドウエル教授の首』田中隆訳、未知谷、2013年/ Голова профессора Доуэля (1926)
グリゴリー・アダモフ(本名アブラーム・ギブス)の小説は画期的で、もう何十年も前に書かれたが、今日でも有益ないくつかの教訓と知見を含んでいる。
アダモフは、職人の家庭に生まれ、15歳でボリシェヴィキ党に入った独学、苦学の人だ。政治に強い関心を示し、逮捕されて数年を刑務所で過ごした。刑務所から釈放されると、ペンネーム「グリゴリー・アダモフ」で、地元の新聞に寄稿し始める。彼がSF作品を書き始めたとき、彼はもう40代後半だった。
彼の最も有名な小説は、『地下の征服者』と『二つの海の謎』(邦訳は『海底五万マイル』)だが、今となってはいささかナイーブに思えるかもしれない。それでも、物語は快適なテンポで進み、筋は、いわば釣り針の餌のミミズみたいに、捻りが効いている。
『冬将軍の追放』(«Изгнание владыки»)は、北極圏における冒険と危険に満ちた叙事詩的な物語だ。80年以上前に書かれたとは信じがたい新鮮さがある。科学的データを一般常識の域に引き上げようとしてアダモフは、ロシアの北極圏を実際に訪れ、北極海の回流を人工的に加熱して北極圏を温暖化する可能性を探った。この小説は、彼の死後の1946年に出版されている。
日本語訳:
『海底五万マイル』工藤精一郎訳、講談社(少年少女世界科学名作全集)、1961年/ «Тайна двух океанов» (1938)
*この作品は、1930年代末の極東における日ソ関係の危うさを反映している。
ソ連のSF作家というと、キール・ブルイチョフは、真っ先に頭に浮かぶ名前の一つだ。しかし、彼の本名がイーゴリ・モジェイコだということを知っている人はほとんどいない。
彼はもともとビルマ中世史の専門家で、1965年にSF小説を書き始めたが、数多くのペンネームを用いた。その中には、スヴェン・トーマス・プルキネやマウン・セイン・ドジなど、エキゾチックなものもあった。
彼は、1982年まで本名を秘密にしていた。彼が勤めていた大学が、SFを真面目な学術研究の分野とはみなさず、解雇されるのでは、と恐れていたからだ。
未来少女、アリサ・セレズニョワのシリーズ中の一作(Alice: The Girl From Earth)は、英語で読める。このシリーズが、 ブルイチョフの最も有名な作品だ。一見普通に見えるが未来の少女、アリサ・セレズニョワをめぐる子供向けSFだ。
ソ連の子供たちは数世代にわたり、毛布の下に隠れて、懐中電灯で夜中に読みふけった。この超人気作は、一連のビデオゲームや漫画を生んでいる。
テレビのSF連ドラ『未来からの訪問者』(全5回)は、1980年代半ばに最も人気ある子供向け番組の一つとなった。
「ソ連SFの長老」と目されてきたアレクサンドル・カザンツェフは、「inoplanetyane」(「異星人」)という言葉をつくり出したとされている。
彼は、SF作品を書いていないときは、チェスの終盤の詰めの研究に没頭していた。ソ連のUFO研究の草分けでもあり、多数の作品を書いている。
彼の作品の多くは、フィクションでもノンフィクションでも、信憑性が疑わしい科学理論を扱っている(たとえば、彼は、火星には運河があると信じていた)。
英語で読めるものに、『ファエナの死』がある。これは、複数の海洋における核爆発で太陽系の第5惑星が死滅したという話だ。
この本の世界に入り込むには、多少気合を入れる必要がある。ファンタジーとフィクションが融合しており、その枠内で読者は、歴史的好奇心を発揮して「事実」を探索していくことになる。
日本語訳:
『宇宙から来た客―北極物語集』川岸 貞一郎訳、法政大学出版局、1960年
セルゲイ・スネゴフ(本名はセルゲイ・コゼリュク)は、「星空を見上げながら生まれた人」だっただろう。しかし、スネゴフの人生には色々な苦労があった。オデッサ化学・物理・数学大学を卒業した後、哲学の准教授に任命されるが、間もなく、彼の講義は反共的とみなされた。彼は粛清に遭い、ロシア北部の矯正収容所で20年間過ごした。
スネゴフは、当局から睨まれないように、SFのジャンルに手をそめることにした。彼の傑作は『神としての人々』だ。この作品の背後にある、隠れた意図は、「誰も反対しない」本を書くことだった。この作品は英語で読める。
『神としての人々』は、遠い未来に設定された、ソビエト的な宇宙ユートピアとして説明できる。今の読者は、ストーリー展開がやや「見え見え」だと思うかもしれないが、それでも、この三部作の設定はスリリングだ。
『神としての人々』
ガンソフスキーの父はポーランド人で、母はラトビア人。ボリシェヴィキ革命の直後の1918年に、つまり激動の時代の真っただ中に生まれた。彼の名「セーヴェル」は、ロシア語で「北」を意味する。
彼は若い頃、まさに運命に翻弄されている。彼の父は、行方不明となり、さらに、有名な歌手であった母は、スターリンの大粛清の時代に逮捕、処刑された。
セーヴェルは生計を立てるために、見習い水夫、船員、荷役労働者、電気機械工などの職を転々とした。こうした体験が、彼の冷静な眼をいよいよ鍛え、鋭くしたと思われる。独ソ戦(大祖国戦争)が勃発すると、彼は志願兵となった。
ガンソフスキーは1960年に、SFの処女作を発表した。彼は非常に多作で、イラスト画家としても有名だった。とくに、ストルガツキー兄弟の『そろそろ登れカタツムリ』初版のためのそれは、傑作として名高い。やがて、彼の作品は、劇、映画、アニメとなった。
『怒りの日』は、時代を超越したSF作品だ。強力で、説得力があり、H.G.ウェルズの不気味な『モロー博士の島』をSFファンに彷彿させるところさえあるかもしれない。
日本語訳:
『実験場』深見弾訳(『異邦からの眺め』ハヤカワ文庫、1981年所収)/ «Полигон» (1966)
『湾の主』(『世界SF全集 第33巻』早川書房、1971年所収)/ «Хозяин бухты» (1962)
オリガ・ラリオーノワは、ソビエト文学では変わり種だ。冶金技師であった彼女は、1965年のデビュー作『キリマンジャロの頂上から来た豹』で稀有な深みを示し、瞬く間に有名作家になった。彼女の代表的な短編は、未来的というより哲学的だ。
彼女の最高のファンタジーには常に、強烈で洗練された、しかも親しみやすいキャラクターが出てくる。1987年、彼女は、ロシアSFの最高の文学賞「アエリータ賞」を受賞。これを獲得した女性作家は、彼女を含めて二人だけだ。
英語で読める作品としては、『何も与えてくれぬ惑星』(Useless Planet 〈Планета, которая ничего не может дать〉)。この短編は、深い思索と知的挑戦があり、読者をインスパイアする。作者は、SFを通じて、哲学的、人道的な思想を探求している。
日本語訳:
『青い惑星』プログレス出版所、1981年(現代ソビエトSFシリーズ〈6〉)
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