ウラン・ウデからの手紙…おっと、それってどこだっけ:外国人が見たブリヤート共和国の姿

Kira Lisitskaya, Alava, Arkady Zarubin/ wikipedia.org
 この記事の筆者は、ブリヤート共和国への旅を振り返っている。ここはたぶん、ロシアで最も特徴的な地域で、仏教の伝統、モンゴルの遺産、そして世界最大のレーニンの頭像がある。

 高台にあるリンポチェ・バグシャ寺院では、仏教の祈りの深いつぶやきが流れていた。結跏趺坐した金色の仏陀の温かい眼差しのもとで、深紅色の衣をまとった8人の僧侶が、部屋の中央にある低い机に座っており、その喉からは優美な歌声があふれ出ていた。

リンポチェ・バグシャ寺院にて

 鐘が鳴った。最後の祈りの間に、会衆は僧侶の近くの椅子上で押し合いながら、食べ物の包みを手に取り、時計回りに自分たちの前で振った。最後にもう一度鐘が鳴った。

 そうして、百人ほどのロシア人は、帽子とコートを着て外に出た。6台の路線バスが待っていた。 運転手は 20 ルーブル(約30円)を受け取ってから、丘を下ってソビエト広場に向かった。こうして、東シベリアのブリヤート共和国の首府ウラン・ウデで、日曜日の夜が始まった。 

仏教遺産の保存

 ブリヤート共和国は、バイカル湖南岸とモンゴル・ロシア国境の間のなだらかな丘陵地帯にある。ドイツとほぼ同じ広さの領域をもつが、人口は100万人足らずだ。その半分は、ウラン・ウデに住んでいる。この都市は、シベリア横断鉄道の中継地であり、共和国の首府である。

 ブリヤート人は、モンゴル系の遊牧民で、国境の向こうの「親戚」、モンゴル人に近い言語と文化をもっている。何世紀にもわたって、モンゴルのハンがバイカル周辺の土地を治めていた。

 しかし、ここ数世代は、ロシアの勢力圏に入っている。まず1923年に、ブリヤート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国となり、今はロシア連邦の国民となって、その国家的アイデンティティを何度か変えてきた。

 バスが出発するとき、何人かは、僧侶に自分の食物を祝福してもらうために待っている。また、より多くの祈りをささげるためにとどまる者もいる。彼らはまず手のひらで頭上に触れながら、仏に向かって立ち、次に絨毯上でひれ伏す。

 寺院の敷地の外に出ると、高台からのザバイカル地域(バイカル湖の東の地域)の眺めは息をのむようだ。山の風が、鮮やかな色の祈りの旗の列を通り抜ける。鋳鉄製のマニ車(摩尼車)は、シベリアの寒さの中で指にぶつかり、板には仏教のマントラがロシア語で記され、忍耐と努力を促している。別の建物には、寺院の博物館があり、その壁には 1991 年にダライ・ラマ14世がブリヤートを訪れたときの写真が飾られている。

ロシアとソビエトの雰囲気

 ウラン・ウデの高台を下ると、やっぱりロシアにいるなあ、という感じが強まる。バルタヒノワ通りのショッピングモール「ギャラクシー」に、タンノイのスピーカーの音声が人々を案内していた。その音は、筆者が先週、ロシア北部のアルハンゲリスクのモールの外で聞いたのと同じだった。

 クイビシェフ通りは、シベリア風の古い木造家屋が集中しており、ほとんどが大胆な青と緑でカラフルに塗り替えられ、白い窓枠が付いている。それらは、帝政時代から残存したものだ。帝政時代にウラン・ウデ(当時はヴェルフネウジンスクという名の小集落)は、中国への途次のロシアの交易所だった。

 街の中央にあるソビエト広場には、ウラン・ウデに一風変わったイメージを添えるランドマークがある。世界最大のレーニンの頭像で、シベリア横断鉄道のブリヤートの名刺になっている。

 この高さ8㍍の頭像はロシア国外でも知られている。北朝鮮の最高指導者だった金正日(彼は、極東のハバロフスク近郊で生まれた〈異説もある〉)は、2011年に亡くなったが、その直前にウラン・ウデを特別に訪れ、レーニンに敬意を表している。

 しかし、このイリイチ(レーニンの父称)は常にそんなに人気があったわけではない。この頭像は、レーニンの生誕100周年を記念して、1971年に制作を委嘱され、さらにカナダにも運ばれた(そこで展示会が行われ、ソ連代表団が参加していた)。42 トンのレーニンが帰国したとき、ウラン・ウデは、ソ連中央政府が像の引き受けを説得できたソ連唯一の街だった。 

文化の混交

 リンポチェ・バグシャ寺院内の空気が祈りによって、いわば音の小波をたてるとすれば、オディギトリア大聖堂では、礼拝中の音の波は人を落ち着かせる。司祭の深い発声の一つ一つに続いて、会衆による陶酔させるような高音の合唱が響く。それを聞くと、心臓の鼓動がゆったりしていき、ついにその場に凍りつくような気がする。

 大聖堂は、コサックの商人からの寄進で18 世紀に建てられた。ウラン・ウデを流れるウダ川とセレンゲ川の合流点の近くに聳えている。ソ連時代には、オディギトリア大聖堂は、反宗教博物館に改装されたが、現在は礼拝が再開されており、1日2回行われる。

 ウラン・ウデの他の地区では、ブリヤートの文化が混交している。「共産主義通り」のカフェ「ヘセグ」では、ステレオでロシアとモンゴルのバラードが交互に流れている。そして、ブリヤート人の家族が、ボーヴォ(コンデンスミルクに漬けた小さくて硬いドーナツ)とブリンチキ(小さなパンケーキ)の、遅い朝食をとっている。

  モンゴルの手工芸品を販売している土産物屋があり、シベリアの強い薬用茶「サガン・ダイリャ」のティーパックも売っている。

 レーニン通りには、2 匹の魚が尻尾を絡み合わせて円を形作るモニュメントがある。これは仏教の縁起の良いシンボルであり、自由と幸福を表している。このモニュメントの魚は、バイカル湖に棲むサケ科の白魚「オームリ」の形をしている。

 ウラン・ウデから北へ車で30分のところ、ヴェルフニャヤ・ベレゾフカ地区に、バイカル民俗博物館がある。これは荒野の一角に建てられた複数のモデル村を含んでいる。

 それぞれの村は、バイカル周辺の広大な地域に住む各民族の様式で建てられている。ブリヤート人、エヴェンキ人、ソヨト人、コサック、古儀式派(分離派)などだ。

バイカル民俗博物館の入り口

 村へ行くには、野生動物保護区を通過しなければならない。そこでは、シベリアトラ(アムールトラ)、オオカミの群れ、野生のアカギツネ、フタコブラクダが大きな囲いの中を歩き回っている。

 厳寒の夜、夜明け前に6時間かけてモスクワに帰らねばならない。今、私は、リンポチェ・バグシャ寺院の方向に徒歩で戻りつつある。住宅街の上に掲げられているソ連時代のスローガンを最後に一瞥して、旅を終えることになる。そこには大きな赤い文字で、「ウラン・ウデ――我がブリヤート共和国の星!」と書かれている。

*ジョナサン・カムピオンは、サイト「jonathancampion.com」でロシアについて書いている。彼がいちばん最近ブリヤート共和国を旅したのは2018のことだ。

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