ロシアの世界遺産 

スペースシャトルのレーダーで撮影したカムチャツカの噴火中のクリュチェフスカヤ火山=

スペースシャトルのレーダーで撮影したカムチャツカの噴火中のクリュチェフスカヤ火山=

Corbis/East News
 ロシアは歴史や文化だけでなく、広大な自然という点でも豊かな国。世界で最も深い湖、最も寒い街に加え、数多くの古代の街や建築物、自然そのものの活火山や釘の使われていない巨大な教会もある。国連教育科学文化機関(UNESCO)のに登録されているロシアの世界遺産には観光客が一度は訪れる名所から、一般にはあまり知られていない隠れた名所までいろいろ含まれている。

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)は文化的、歴史的、または自然として価値を有すると見なされる世界中の物件の特別なリストを維持している。

 最初の世界遺産登録は1978年。ロシアでは90年に初めて登録された。

 登録候補地を指名するには、その国は重要な文化的および自然遺産の目録を作成し、暫定リストに含めなければならない。

 国はこのリストから場所を指名ファイルに追加し、それが国際記念物遺跡会議によって審査され、そこでの推薦が世界遺産委員会に引き継がれるという仕組みだ。

 世界遺産委員会は年に1回会合を開き、候補地が世界の自然および文化的遺産に多大な貢献をしていることを確認する10項目の選定条件のうち、1つ以上を満たすことができるかに基づいて決定を下す。 

 ロシアには合計で26の世界遺産が存在し、これらは文化遺産と自然遺産の2つのカテゴリーに分類されている。文化遺産は16件、自然遺産は10件だ。

 

クレムリンは文化遺産

 90年にロシアで初めて登録された三つの場所はすべてが文化遺産である。すなわち、サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群、キジ島の木造教会、モスクワのクレムリンと赤の広場だ。

 自然遺産として初めて登録されたのは95年に登録を受けたコミ原生林。ウラル山脈近くに位置する約3万3000平方キロキロの原生林で、この種の林としてはヨーロッパで最も古い。 

ソロベツキー修道院=Lori/Legion Media

 ロシアの主要な自然と歴史的遺産が登録リストに含まれている。主なものではバイカル湖(96年登録)、カムチャツカ火山群(96年)、アルタイのゴールデン・マウンテン(98年)、ノブゴロドの文化財とその周辺地区(92年)、ソロベツキー諸島の文化と歴史遺産群(92年)、ウラジーミルとスーズダリの白い建造物群(92年)、カザン・クレムリンの歴史遺産群と建築物群(2000年)、ヤロスラブリ市街の歴史地区(05年)などが挙げられる。

 

カザン・クレムリン(2000年)

 1552年にイワン雷帝がタタール人に対して勝利したことを記念し、敵の城の廃墟の上に建設された。高くそびえたつ建物はハン・モスクとしても知られるスュユンビケ塔。この建築には謎が多い。わかっていることは、これが16世紀のカザンの女王にちなんで命名されたということ。女王は今日、タタール人の民族的英雄となっている。

 

デルベントの古代都市と要塞建築物群(2003年)

 コーカサス山脈とカスピ海が合流するダゲスタン共和国のデルベントは紀元前1世紀から重要な南北回廊となってきた。

 紀元前8世紀に創設されたという説もある。現代まで残る建築物の年数は5000年以上と考えられている。主なスポットは古代の壁、浴場、モスク、保存状態の良い要塞(ようさい)だ。

 多数の国をまたぐ大規模な科学的提携の初期の例として、ユネスコの委員会により認められた。

 

セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建造物群(1993年)

 モスクワの北東に約70キロに位置し、現在も活動中の修道院の第一級の例であることから登録された。

 この修道院群の主な教会であるウスペンスキー聖堂は、リューリク朝以外の出身で初のツァーリとなり、1605年の死により、ロシア中が混乱に陥る動乱時代の幕開けとなったボリス・ゴドゥノフが葬られた場所である。

 ここにはまた、アンドレイ・ルブリョフの最も著名なイコンで、正教会全体の信仰の旗頭的存在といえる「至聖三者」がある。

 

シュトルーベの測地弧(2005年)

 ノルウェーから黒海まで10カ国2800キロの土地に拡がる一連の三角網(測量に用いられる三角形の分割)である。

 このプロジェクトはドイツ出身の天文学者フリードリッヒ・ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・シュトルーヴェが開発したもの。ツァーリのアレクサンドル1世が費用の大部分を賄った。

 多数の国をまたぐ大規模な科学的提携の初期の例として、ユネスコの委員会により登録が認められた。1816年から1855年にかけて、258の一連の三角網が設置された。

 

アルタイ黄金山地

アルタイ山の馬=Corbis/East News

 ロシアで最も美しい場所の一つとして特筆されるアルタイ黄金山地がユネスコ世界遺産に登録されたのは1998年だった。アルタイは中央アジアから北へめざす旅の始まりの場所であり、オビ川経由の北極海との分水嶺を形づくっている。

 山岳タイガ、ステップ、湖沼流域、谷、山の草地など多くの風景をアルタイ産地で見つけることができる。ほぼ1500本の氷河が、異なる5回の氷河期を経て、その姿を現在に残す。

 アルタイがロシア帝国の一部となったのは18世紀半ば。だが人類は百万年前からここに暮らしていた。アルタイ共和国の首都ゴルノアルタイスク近くに旧石器時代の集落を残している。

 この領域ではロシア人とアルタイ人が混在して暮らしている。アルタイ人はテュルク系民族で伝統的に畜産、農業、狩猟を糧として暮らしてきた。

行き方

 ゴルノ・アルタイスクには小さな空港があり、モスクワ、ノボシビルスク、クラスノヤルスクの航空便が発着している。最初にノボシビルスクに向かい、バスやタクシーを利用して行く方法もある

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