「ミグ25」の6つのおもしろい事実

写真提供:AereiMilitari.org / flickr.com

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 50年前に初飛行した「MiG-25」は、長きにわたり、戦闘機の手本となってきた。世界10ヶ国の空軍に使用されながらも、敵国との直接的な交戦は行われていないこの迎撃戦闘機の、おもしろい事実を特集する。

1. ヴァルキリー戦を想定

 MiG-25(NATOのコードネームはフォックスバット)は当初、アメリカの防空突破と核攻撃の能力を備えた超音速爆撃機「B-58」と、その後継の脅威への対抗を目的とするはずだった。

 当時ソ連にあった迎撃戦闘機では、速度や高度性能の面で効果的な対抗が無理だったし、巡航速度マッハ2.8の高高度偵察機「ロッキードSR-71」に対しても、上空で何もできなかった。すでに導入済みだったMiG-21とSu-15は、戦略爆撃機「XB-70ヴァルキリー」に対してお手上げ状態だった。設計士は結果的に、MiG-25の時速を3000キロメートル、上昇限度を2万3000メートルまであげることに成功。ヴァルキリーの性能特性と同水準に仕上げた。ただXB-70のシリーズが製造されなかったため、この2機の対決は起こらなかった。

 

2. 半自動で標的に誘導

 MiG-25の機体のデザインは、それまで世界の戦闘機には存在しなかった。くさび形インテークのある平らな側面空気取り入れ口、双尾翼、薄い台形の低アスペクト比翼が装備されていた。エンジン2基は胴体尾部付近についている。この配置によって、当時としては記録的な速度まで加速することができ、このクラスの飛行機では最先端の操縦性を実現できた。

 また機内の無線電子機器が、半自動でMiG-25を標的に誘導できるようになった。予期されていた接近速度に、通常の人間の反射神経が間に合わなかったため、これは不可欠だった。

 

3. 熱き闘い

 速度がマッハ2.5を超えると、航空機の温度が摂氏300~400度まで上昇するため、MiG-25の機体に一般的な材料を使用することは不可能だった。アメリカが採用したチタンの案もあったが、ロシアの設計士は鋼鉄を重視して最終的に構造の80%にこれを使い、残りをチタンと耐熱アルミ合金にした。

機体には5キロメートルの溶接線と140万点の溶接点があった。製造の質については、年間作業量の溶接線全長450キロメートルに対し、極めて少量の燃料滴が2ヶ所発見された程度だった。新しい材料の思わぬ効果としてあげられるのが修理のしやすさ。駐機場で溶接をすることが可能だった。

 

4. アメリカ議会で緊急公聴会

 MiG-25の開発と試験飛行は極秘に行われていた。世界に発表されたのは1967年7月9日。モスクワのドモジェドヴォ空港で、空軍の日に際して儀礼飛行が行われた時。4機が観客席の上を低空飛行し、時速3000キロメートルであることがアナウンスされた。

西側諸国にとってこれは大きな、そして悪いニュースであった。アメリカの連邦議会では緊急公聴会が開かれ、その結果、新しいクラスの戦闘機「F-14」と「F-15」の開発に拍車がかかった。F-14とF-15はMiG-25と同様、垂直尾翼が2枚あったが、速度と上昇限度では少し及ばなかった。

 

5. 亡命したくなった

 ソ連軍のヴィクトル・ベレンコ上級中尉が1976年9月6日、極東の軍用空港からMiG-25Pで飛び立ち、そのまま北海道に着陸。政治亡命を求めた。アメリカの専門家はMiG-25Pを解体、研究した。1ヶ月半後にソ連外務省の要求にしたがい、解体された姿のまま、ソ連に返却された。

 この亡命劇はソ連にとって大きな打撃となったが、そのおかげでMiG-25は改善され、戦闘効率があげられた。電子機器の秘密がバレてしまったため、製造済みの機体に装備されていた電子機器をすべて交換。最新式の標的発見および追尾システムが搭載され、MiG-25PDと名付けられた。

 

6. 29の世界記録

 MiG-25には29の世界記録がある。いまだに破られていない特別な記録が、ジェットエンジンでの飛行高度。1977年8月21日、ソ連のテスト・パイロットであるアレクサンドル・フェドトフは、地上3万7650メートルまで上昇した。

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