べレンコが亡命に使ったMiG-25P(同型機) =Press photo撮影
謎の動機
ヴィクトル・べレンコ(1947~)の亡命の動機はよく分からない。ソ連側の調査によると、べレンコのミグ25は、レーダーの補足を避けるために、50メートル以下の超低空でまっすぐ函館空港に飛んでいるので、離陸した当初から同空港を目指していたと考えられた。
また、べレンコは、大尉への昇進の遅れや生活条件などに不満であったらしい。米中央情報局(CIA)の協力者だったという噂も流れたが、ソ連の捜査当局はそのような証拠は発見できなかったとしている。函館への飛行は意図的なものだったが、「裏切りの意志」はなかった、というのがソ連捜査当局の結論だ。
事件の影響
日本のレーダーと航空機は、低空目標を補足できないという弱みをさらけ出し、これは早期警戒機E-2C(ホークアイ)の購入につながった。
事件は、米ソ双方の戦略にも大きな影響を及ぼした。
ミグ25(フォックスバット)は、実用化された戦闘機としてはいまだに世界最速で、イスラエルのレーダーでは、マッハ3・4が記録されていた。
米国はこの超高速戦闘機を恐れていたが、ベレンコ機の分解、調査の結果、機体には、チタニウムではなく、ニッケル鋼が多く使われており、長時間の高速飛行には耐えられないことがわかった(マッハ3では、機体は300度まで加熱される)。安全に飛行できるのはマッハ2・83までだった。
またミグ25が、迎撃に特化した、領空防衛を主な目的とする迎撃戦闘機であることもわかった。
迎撃戦闘機は、高速でいち早く目標に到達し、長距離ミサイルを発射するのが任務なので、格闘性能はあまり高くない。現在にいたるまで、超高速と高度な運動性能を兼ね備えるのは難しく、世界的に見ても、そのような機体は存在しない。
ソ連側もまた、事件後に、露見してしまった防空システムの見直しを強いられることになる。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。