「霊廟に並ぶくらいの行列」というソ連の表現にはどんな意味があるのか?

Ustinov/Sputnik
 ロシア人は今でもソ連時代に生まれたフレーズを用いる。しかし、歴史的、文化的な背景を知らない外国人にはよく分からないものもあるだろう。

 「トレチャコフ美術館の展覧会には行かないことにしたわ。だって、霊廟に並ぶほどの行列なんだもの」。この表現、実はロシアではよく聞かれるものだが、外国人にはなんのことか分からないかもしれない。そこにどのような論理があるのか、行列と霊廟にはどのような関係があるのか、そして霊廟になぜ行列があるのか?このような疑問が湧いても不思議ではない。では順に説明することにしよう。

レーニン廟に並ぶ行列

 まず、おそらく、この霊廟が何を指すのか気になるに違いない。ロシア人にとって霊廟といえば、レーニン廟である。ロシア革命の指導者、ウラジーミル・レーニンは1924年に死去したが、ボリシェヴィキはレーニンを埋葬せず、遺体を保存処理し、特別な霊廟を建て、そこで安置することにした。レーニンはソヴィエト神殿の神であり、国民に崇拝される人物であったことから、この霊廟が建てられるとすぐに労働者や農民が群をなして、保存された遺体を一目見ようと行列を作った。

 その行列は果てしなく続いたが、しかし今でもレーニン廟訪問は一つの伝統となった。開拓者、技師、兵士、そして外国の代表団が列につき、また数多くの観光客のためのツアーがアレンジされた。夏の暑い日も、冬の凍てつく日も、人々はレーニンを見ようと行列を作った。

 レーニンにたどり着くのには数時間かかることもあった(実際にレーニンを見られる時間は1分もない。中で立ち止まり、じっくり見ることは許されない)。つまり、「霊廟の前の行列のよう」という表現は、数時間待たなければならない長い行列、終わりがないように思われるほどの行列という意味である。

 実際、ソ連の人々は行列に並ぶことには慣れていた。霊廟に並び、食料品店に並び、そして何か珍しいものが売られている店に並んだ。なかなか手に入らない靴やソファを買うために一晩並ぶということすらあった。

ビールを買うために並ぶ行列

 新型コロナウイルスの感染拡大以前は、ロシアでも行列はまだまだ一般的なものであった。劇場、動物園、展覧会(とくにトレチャコフ美術館)、ブックフェア、どこでも行列につかなければならなかった。ロシア人は行列を見ると、すぐに、そこには並ぶだけの価値がある何かがあると考える。そして実際、何か素晴らしいものに導かれることになるのである。

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