誰もがこんな恐ろしい夢を見る。どうしてもどこか行くべきところがあるのに、今いる場所から動くことができない。開いているべきドアは閉まっている。そして通路があるはずの場所には柵がある。まるで罠にかかったように。そしてその結果、フライト、母親の誕生日、面接といった大切なものに間に合わなくなり、朝起きると冷や汗をかいている・・・。幸い、これらはすべて夢である。いや、あるいは夢ではないのかもしれない。もしあなたがいるのがロシアなら、これが現実である可能性はゼロではない。
ロシア人にとって、柵や境界線、検問所、あるいは開かないドアへの愛は、ひまわりの種をかじること、あるいはスポーツウェアを着ることに対する愛と同じくらい深い。しかしやはり柵への愛はもっと強いように感じられる。塀は数えられないほどある。病院、学校、住宅地の中の芝生、店、公園、古い教会、新しい教会、ありとあらゆる私有地・・・塀はあらゆるところに作られている。しかしこうした場所に作られる柵には意味があったとしても、長い溝、堤防、沼地に作られる柵の意味を見出すのはかなり難しいことである。ときには高さの異なるいくつかの柵が並んで立っていることもあるが、こうした柵もアリなのである。
たとえばこんな風に。
あるいはこんな風に。
そして死んだ後も。
しかしロシアの柵には一つの特徴がある。それは、柵には必ず抜け穴があるということだ。ロシアの柵は頼りなく、また実際にそれが何かから防護しているということは稀である。では、これらの柵は一体なんのために必要なのだろうか?
ソ連時代の夢の遺物
だからといって、誰もが皆、他人の柵を乗り越えるというわけではないが、ロシア人は、その柵を超える必要があれば、いかなる柵も人を押しとどめることはできないということを知っている。たとえば、アメリカにあるような私有物への崇敬の念というものは、ロシアにはない。しかしわたしたちは、何かで囲んでいないものは他の人に使われるということを知っている。「塀の向こうの人々。ロシアの私有空間、私有権、私有物」という著書の作者であるジャーナリストのマクシム・トルドリュボフが書いているように、「ロシア人は柵が好きなのである。なぜならそれは“最終的に実現されなかったプライベートなものについての夢の遺物”だからである」。
ソ連では、集団というものが、個人よりも優先された。そしてその時代の記憶は遺伝子レベルで、それ以降、数世代にわたる人々の中に残っているのである。たとえばモスクワでは、大部分の人が、まったくの赤の他人が共同のシャワーやトイレ、キッチンを使うという集合住宅に住んでいた。プライベート、それはソ連の人々のもう一つの夢だったのである。
そしてソ連邦解体後の1990年代になってようやく、ロシアには「私有する」土地の周りに柵や遮断器が作られるようになった。2000年代の初旬になると、あらゆるものに柵が作られた。住宅が建てられる予定のまだ何もない土地にも、家が建つまでの間、柵が作られたほどである。ロシア全国に一体いくつの柵があるのかは分からないが、その数を数えようとした(部分的ではあっても)人がいる。ある都市計画の専門家の試算によれば、その数は地球の赤道を50回以上周回できるくらいの量だという。しかもそれはロシアのダーチャ(サマーハウス)を囲っているものだけで、である。つまりその他のものを含めればどれほど多いか理解してもらえるだろう。
経済学者のアレクサンドル・アウザンは、社会的資産の新たな測定法を考えだした。そう、それは柵で測るというもので、柵の高さと、人々の信頼のレベルは反比例するのだとした。つまり、 信頼が低ければ低いほど、柵は高くなるというわけだ。
家の土地の周りに柵を作る父親の手伝いをしたとき、わたしはまだ子供だった。その柵はグレーの格好悪いものだったが、それはトタンでできた透けない塀で、中が見えない柵はその通りで初めて作られたものだった。時代は2000年代のはじめで、柵ブーム真っ盛りのとき。両親の話から、その柵は、わたしたちが庭で何をしているのか、見られないようにするためだった(隣人に嫉妬されないよう)。ではわたしたちの庭では何が行われていたのか?実際には何も特別なことはなかった。わたしは犬を散歩し、母は洗濯物を干していただけである。その柵は、人を入ってこないようにすることはできなかった(たとえばわたしは数秒で乗り越えられた)が、わたしたちのプライバシーを守ってくれたのである。
しかし結局、わたしたちは強盗に入られた。わたしたちは実際のところ裕福ではなかったが、隣人と強盗は我が家にはお金があると考えた。なぜなら柵をしてあったからだ。何もなければ隠すこともないはずだというわけだ。おそらくわたしの両親は、高い柵は、大きな自動車や高級なカバンと同じように、ある種の成功を示すものだと考えたのだ。しかし、実際にはそれは鉄クズにすぎず、それはわたしたちを周囲から引き離し、人々にいわゆる「嫉妬心」を呼び覚まし、そして母親のピアスを失わせた。それ以降、わたしたちは窓に格子をつけることとなった。
隠された欲求
柵で区切るという考えは、社会を内向的で閉鎖的で神経質なものにする。わたしたちは未だに柵があれば安心して眠ることができると信じているが、実はそうではない。柵を作ることによって、より強固な柵や塀、境界線を作ろうという気持ちを生むのである。ロシアに来たことがある人なら、ここには警備員がいかに多いかに気がつくだろう。文房具店、レストラン、オフィスの各階・・・、警備員はあちらこちらにいる(そして監視カメラも廃止されたりはしない)。またロシアは国内の警察の数でも上位に入っており(中国、アメリカと並んで)、その数は実に746,000人に上る。
しかしながら、柵、塀などの遮蔽物は人々に心理的な安心をもたらすものとなっている。ロシア人を開けた空間に座らせると、新たなトラウマを負うことになるだろう(おそらく、ロシア人がロフトやスタジオといった住居スタイルになかなか慣れないのはそのためだろう)。
いわゆるオープンスペースともいえるロシア・ビヨンドのオフィスでさえも、小さな“柵”が立てられている。デスクとデスクの間にパーテーションがあり、部屋の真ん中にもパーテーションがある。
それでは、部屋がたくさんある家の中で、自分が守られていると感じるためには一体いくつドアが必要なのだろうか。ロシア国立研究大学経済高等学院で政治学を教えるセルゲイ・メドヴェジェフ教授は、「自分の家にたどり着くまでに、人は平均して5つのアルミ製のドアを通り抜けなければならない。玄関で3つ、自分の階の廊下に入るドア、そして5つ目が自分の家に入るドアである。ロシアにはそれほどの社会的危険性はないのにである。ここはヨハネスブルグでもなければ、コロンビアでもないのだから」と指摘している。さらにロシア人は、部屋に鉄製のドアをつけることは最高の投資だと信じている。
ロシアが、広い空間を自由に散歩するよりも、狭い通路をすり抜けるのが好きだという愚か者、あるいはマゾヒストの国だとは思わない。内心では、柵の迷路などない方がよいことは解っている。しかし自分たちを何らかのシステムに押し込め、空間を規定し、いくつかのセクションに区切り、通路にどこかの男を配置して、管理させたいという昔からの願いに抵抗することはできないのである。しかしあらゆる遺物と同じように、こうした考えにもいつか終わりがくるのかもしれない。