オピニオン:時代遅れの祝日、聖バレンタインデーなど忘れてしまおう

Anton Romanov
 2月14日に誰もいないマンションの一室で、初めて会った男性とワインを飲むのも悪くない。しかしバレンタインデーの夜を一人で過ごしたくないからという理由だけでそうするのはいかがなものか?

 バレンタインデーが終わった後の女性のネット掲示板を覗いてみたことはあるだろうか?そこでは、「涙が出るほど腹が立つ!」という言葉で熱い議論が始まり、人生にはそれほど多くのお祝いはなく、わたしはこの日に向けて一生懸命準備をしたのに、彼はすっかり忘れていたというような告白が続く。するとその会話に匿名の人物が入ってきて、「何かプレゼントしなければいけないという義務感にイライラする」と独自の見解を述べる。しかしその後この匿名の人物の意見は否定され、会話は再び「正しい」方向へと戻された後、「わたしの場合はもっとひどかった」というタイトルへと移行していく。全体として、バレンタインデーの後味というのはこういう感じである。一方、男性の掲示板ではどのような議論がなされているのかわたしは読んだことはないが、なんとなく、このことについては何も議論されていないのではないかという気がする。

 しかも大半のロシア人は、キリスト教の聖職者である聖ウァレンティヌス(バレンタイン)が一体誰なのかさえ知らない。しかし皆さんもそう驚かないかもしれない。おそらく皆さんもよく知らないであろう。しかしこれは重要でなことではない。その代わり、わたしたちは、恋人たちの日をテーマが異星人の侵入よりもうまく描かれたアメリカの映画をたくさん観てきた。ロシアでわたしたちも、花やハート型のチョコレートやテディベアのついたマグカップやアクセサリーを、いつもの3倍の値段で買う。何も知らないこの祝日のより良き伝統にしたがって、やるべきすべてのことをしているのである。これはロシア式とでも言えるだろう。

 

必要なことと押し付けられる 

 2年前、「ヤンデクス」の分析家たちは、バレンタインデーを前に、ロシア人は何にいくらお金を使うかという調査を発表した。それによれば、男性の方が女性より多くのお金を使う。男性の出費の平均は54ドル(およそ6,000円)、女性は33ドル(3,600円)である。プレゼントするものとして多いのは、携帯電話、高級ボールペン、マグカップ、Tシャツ、コスメ、紅茶、そしてピクニックセットである。一方、出費の金額はイギリス人やアメリカ人(1つのプレゼントに平均120ドル=およそ13,000円使う)に比べて、はるかに少ない。しかしロシア人は彼らより貧しいのだから、許されることであろう。重要なのは儀式そのものなのである。プレゼントされたものがゴミみたいなものだったとしても(たとえば空気を通さない包み紙に入った萎れたバラの花や詩が印刷されたメッセージカードやクマのぬいぐるみなど)、それは儀式上必要なゴミなのである。皆がプレゼントに期待しているわけだが、その期待が祝日を台無しにする。なぜなら期待と現実は一致せず、皆そのことを知っているからである。そしてほとんどの場合、バレンタイン後に起きるのは、わたしが最初に書いたような失望である。

 しかしもっとも同情すべきは恋人がいない人たちである。彼らに対し、バレンタインデーは容赦ない。とくに女性にとっては。そして30歳以上である場合は。ロシアでは、孤独な女性は孤独な男性よりも恥ずべきものとされている。もちろん、中国のように、結婚していない女性が社会や国家から「売れ残り」(27歳からそう呼ばれる)と弾劾されるわけではない。しかしロシアにも独自の軽蔑的な呼び名はもちろんある。もっとも普通の日にこのことを指摘するのは母親か、毎月の食事会で顔を合わせる親戚だけである。しかしバレンタインデーにこのことを思い出すのは、ほかでもないあなた自身であり、このことに心を痛めることになる。1年間、なんとか一人で過ごすまいと努力してきたのならなおさらだ。そこであなたは「ブリジット・ジョーンズの日記」を観ながらお酒を飲んだり、ソーシャルネットワークでバラの花びらの写真を見て、投稿は見ず、ラジオもつけず(だいたいラジオではニュースと天気予報の間に恋の告白が行われる)、周りも見ず、この日に一人で映画やレストランには行かないようにするのである。

ブリジット・ジョーンズの日記

 2月15日にはすべてが終わり、あなたは再び、自尊心に満ちた一人の人間に戻る。完全になるために誰をも必要としないあなたに戻るのである。ここで疑問となるのが、この祝日がそれほどのプレッシャーを感じるに値するのかということ。この日は最初からひとりぼっちの心を少しサポートするものであり、単純な無名の誉め言葉がほんの少しの勇気を与えるものでなければならなかった。しかしすべては変わってしまった。ロシアのバレンタインデーは、付き合ったばかりのカップル、結婚して長いカップルの日であり、そして母の日とこどもの日を融合したような日になった(母親と子どもたちもプレゼントを贈り合い、互いへの愛を口にする)。つまり、これは幸せで、愛し愛されている人々の日なのである。誰も愛せない人は参加できないというわけだ。

 慰められる言葉は一つ、こうしたバレンタインデーの伝統は人気を失いつつあるということ。

 

小さな子どもたちのための祝日 

 2019年、「ロシアの住民の半分はバレンタインデーに反対している」というニュースが 流れた。デートアプリ「マンバ」が世論調査を行った結果、41%の男性と女性がこれに代わるロシアの祝日、「家庭と愛と貞操の日」の方が好きだと答えた。この祝日はロシア正教の聖人ピョートルとフェヴロニアの記念の日にちなんで7月8日に祝われている。この祝日の成り立ちは次のようなものである。ピョートル公がハンセン氏病にかかったのだが、そのとき養蜂家の娘だけが彼の病を治すことができた。そこで彼は彼女と結婚した。しかしすぐにではなく、ハンセン氏病が再び彼を襲ったときにであった。この出来事があったのは12世紀から13世紀にかけてのことだが、現在のロシアの愛する人の日は彼らの愛にちなんでいる。

聖人ピョートルとフェブロニア

 7月8日のお祝いは、ロシアでは、2月14日よりも論理に適ったものだ。ロシアの聖人たちの日だという点だけを見てもそうだ。バレンタインデーに反対する人たちの意見でもっとも多いのが、「これはロシアの祝日ではない。それなのになぜわたしたちはサルのように他人の祝日を真似なければならないのか」というもの。そして毎年2月14日になると、ロシア正教会の代表がこの悪しき習慣をやめるべきだと訴える。今、ロシアの伝統的な価値観を取り戻そうという現在の方針はいくらか効果があるようだ。2016年に「メディアロギヤ」が行った分析によれば、メディアによるバレンタインデーの宣伝のピークは2012年で、以来5年間でその日に対する関心は大きく低下した。ではロシア人は7月8日を祝うようになったのかと考えられるが、実はそうでもない。ロシア人にとって馴染みの深い7月8日を覚えている人はそういないのである。その理由は明らかで、この日をテーマにした映画はないし、この日、お店をハートマークで飾り立てる習慣もないし、誰かにお祝いのメッセージを伝えようとラジオ局に電話をかける人もいないからである。つまり、わたしたちが大嫌いだと思っている「ツマラナイもの」がないと、祝日にはならないというわけだ。諸刃の剣である。

 興味深いのは、2月14日への関心が薄れているということがロシアの何かを物語っているということ。ロシアにおける聖バレンタインデーは価値を失い、わたしの予想では、それが再び盛り上がることはないだろう。なぜなら一人になりたくない、あるいはプレゼントをもらえないのは嫌だという意味しかない祝日など必要ないからだ。これほど多くの人に、年に1度でも、何か損をしたと思わせるような祝日は要らない。この祝日に対する見方を変えるか、必要ないものとしてやめるかのどちらかである。 

 わたしにとっての最高のバレンタインデーは、3年生のときに経験した。学校で7つのカードをもらい、家に持ち帰ったのだが、それが誰からもらったものかも分からなくてなった。そのバレンタインデーは予想外のことで、ドキドキして、とても嬉しかった。では最悪のバレンタインデーはいつかというと、あまりに多すぎて、詳細は記憶から消し去ってしまったほどである。若くて、多くの期待を持たないというのは幸せなことだ。大人は、デートアプリをダウンロードし、何度かスワイプしてその日の夜のパートナーを見つける。しかし、がらんとしたマンションの一室で、初めて会う男性とワイングラスを片手に、一緒にいるのはバレンタインデーの夜に寂しい気持ちにならないためだと互いに告白するなんて悲しい。しかし実はわたしもその立場にいたことがある。でもそれは一番地球上でもっとも素敵な場所ではない。

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