1.オウム真理教
オウム真理教は、1984年に麻原彰晃により創設され、ハルマゲドンなどを教義に組み込んでいたカルト集団にしてテロ組織。13人の死者と数千人の負傷者を出した、東京の「地下鉄サリン事件」で、世界的に知られている。しかし、かつてオウム真理教がロシアに広く流布し、日本のそれに匹敵する規模であったことはさほど知られていないだろう。
ロシアは、悪名高いテロ攻撃、つまり「地下鉄サリン事件」の前に、日本のこのカルト教団の台頭を目撃していた。それは、1980年代末から1990年代初めにかけて、教団が日本および世界各地で合法的に行動していた時期だった。当時、オウム真理教は立派な教団に見えた。麻原が1992年にモスクワを訪問した際には、当時のユーリー・ルシコフ市長は麻原と握手までしている。
ロシア通信によると、教団は、ロシアに約1万人の信者、支持者を持ち、将来のテロ攻撃のためにロシアで武器を購入した。
オウム真理教が東京でテロ攻撃を行い、麻原と一連の幹部が逮捕され、死刑を宣告されると、ロシアの裁判所は、同国における教団の活動を禁止した。しかし、2016年にいたるまで、ロシアのテロ組織のリストに含まれていなかった。
ロシアにおけるオウム真理教の歴史についてもっと知りたい方は、ロシア・ビヨンドの特集記事をご覧ください。
2.エホバの証人
2017年の時点でロシアには、キリスト教系の宗教団体「エホバの証人」の信者が約16万人いた。この年、ロシアで「エホバの証人」の活動が禁止されたが、それは青天の霹靂だった。この団体には、残虐な行為を広めた歴史はなかったから。にもかかわらず、ロシア連邦最高裁判所は、これを過激主義団体であると判断し、ロシアでのすべての活動を禁じた。
「エホバの証人」には、大多数のキリスト教系の団体と異なる点がある。三位一体を信じず、「終わりの日」と、神とサタンとの最後の戦い(ハルマゲドン)が差し迫っていると考えている。また、厳格な規則に従って生活しており、例えば、兵役や輸血を禁止している。
にもかかわらず、この組織が本当に過激主義団体であるかどうかについては多くの人が疑問を抱いた。そうした人の中に、ロシアのプーチン大統領もいた。
「これ(過激主義団体のリストに含めたこと)は、まったくのナンセンス。この件は徹底的に検討する必要がある」。プーチン大統領は2018年12月にこう述べた。しかし、これまでのところ、「エホバの証人」に属するあらゆる団体はロシアで禁止されたままだ。
2017年のロシアにおける「エホバの証人」と活動禁止についても特集記事がある。気軽にクリックしてお読みください。
3.古代ロシア・古儀式派イングリング正教会(通称は「イングリング」)
何十万、何百万もの信者を擁する世界的に有名なカルト集団と並んで、ロシアの過激主義団体のリストには、ずっと変わり種の組織も入っている。その中には、「イングリング」がある。その正式名称には、「古代」、「正教」、「古儀式派」が含まれているが、実態はそのいずれにも該当しない。これは、ネオペイガニズム(Neo-Paganism 復興異教主義)のカルト集団で、1992年にオムスク市(モスクワ東方2700キロ)で、かつてはUFO研究家だったアレクサンドル・ヒネヴィチによって設立された。
彼が自分の「聖書」を書いた際に、以前の趣味から多くのことがらを取り入れたことは間違いない。それは題して『スラブ・アーリア人のヴェーダ』。宇宙から飛来して地球を支配するようになった神々というアイデアはもろにそれだ。また、古代スカンジナビアの「サガ」(例えば、オムスクが今位置している場所にかつて神の街アスガルドがあったと彼は信じていた)、スラブの伝説、そしてちょっと古めかしい人種差別などを組み合わせている。例えば、この団体は混血を禁止し、白人種が優越していると見なす。
そのため、ロシア当局」はこの団体を放置できず、2004年に、民族間の「憎悪を刺激する」かどで、禁止措置に踏み切った。2015年には、最高裁判所は『スラブ・アーリア人のヴェーダ』を過激主義文献のリストに加えた。だから、最近15年間ヒネヴィチは、宇宙の神よりも警察とより頻繁に交信してきたわけだ。
4.「崇高なる悪魔の結社」(Nobilis Ordo Diaboli)
この組織は、サランスク(モスクワ東方650キロ)の悪魔崇拝の小規模なカルト集団だった。創設者は、25歳のアレクサンドル・カザコフで、地元の大学で学んでいた。彼がサタンを礼拝し、女性会員を誘惑していた時をのぞいてだが。
組織には、30~50人の会員がおり、ありきたりな悪魔崇拝の儀式を行っていた。歌いながら、魂を売る血の儀式を行い、乱交するといった類だ。彼らは2009年まで、つまり警察が指導者を捕まえて20ヶ月間投獄するまでの間活動を続けた。これがサランスクで退治された「悪魔」の顛末だ。
5.ファイズラフマニスト運動
ロシアでは多数のイスラム運動が過激主義として禁止されているが、ファイズラフマニスト運動は、多種多様なイスラム過激主義のなかでも変わり種だ。
創設者のファイズラフマン・サッターロフは、かつてタタールスタン共和国の神学者だったのだが、1980年代に彼は自分がアッラーの使徒(ラスール)であると思い込み、伝統的なイスラム教を去り、自分が買った家でカルト教団を始めた。
何十年か経つと、27人の子供を含む64人の人々がファイズラフマニスト運動に参加していた。これは教祖ファイズラフマンの小さな「カリフ制国家」だった。メンバーたちは攻撃的な行動はとらなかったが、それでも、彼ら自身の生活が明らかに脅かされていた。
なぜなら、教祖はメンバーに対し、家を出ることも、いかなる医療、教育を受けることも禁じたからだ。そして子供たちは、サッターロフの著述と『コーラン』以外は何も読むことが許されなかった。
当局は、2012年にこのカルト教団の実態をつかみ、医療的援助を必要とした19人の子供たちを避難させ、それ以外の人々には教団を去らせた。4人が子供に対する残酷な行為で告発され、投獄された。 2013年、ロシア当局は、この組織を過激主義団体として禁止した。