ロシアのツァーリは本当に「ユニコーンの角」を治療に用いたのか?

Slava Gayun
 16世紀に生きたイワン雷帝(4世)は、ユニコーン(一角獣)の角で作られた王笏と杖を持っていた。少なくとも、ツァーリと側近たちはそう考えていた。

 「王笏をここへ持ってきてくれ。それは、ユニコーンの角から作られていて、見事なダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルドその他、極めて高価な宝石があしらわれている。王笏は、デイヴィット・ゴアから買ったもので、価格は7万マルクだった。ゴアはそれを、アウグスブルクの素封家から手に入れた」。イギリスの外交官ジェローム・ホーセイは、雷帝の言葉を記している。

 16世紀にユニコーンは、王権の象徴とされるようになった。『聖書』と『詩篇』では、ユニコーンの角が信仰による救いを象徴しているからだ。そのため、ユニコーンは、多くの国王の印章や建物や教会の装飾に描かれたし、王たちは、その角の治癒力を信じていた。

 フランスの傭兵ジャック・マルジュレの伝えるところによると、偽ドミトリー1世の宝物庫には、「完全に」無傷のユニコーンの角が2本、やはりこの素材で作られたツァーリの杖、そして角の半分が保管されていた。「それは、医療目的で日々使われていた」

イッカクの角

 ロマノフ朝のアレクセイ・ミハイロヴィチ(1629~1676年)の杖も、ユニコーンの角で作られたと考えられていた。また、このツァーリの薬箱にも、砕かれた「ユニコーンの骨」があった。この粉末を飲み物に溶かすと病気が治ると信じられていた。たとえば、出血を止めるのに役立つ、と。

アレクセイ・ミハイロヴィチ

 さて、「ユニコーンの角」の正体は?古代には、象牙あるいはセイウチの象牙から作られた。つまり、それらの牙をまっすぐにし、ねじれた「角」に加工した。12~13世紀には、イッカクの角がユニコーンのそれとして流通し始める。スカンジナビアの漁師によってグリーンランドの海岸から供給されたものだった。だが、17世紀になると、その嘘が広く知れ渡った。

イッカク

 1655年と1657年に外国人がモスクワの宮廷に「ユニコーンの角」を売ろうと申し出たが断られたことが知られている。モスクワではすでに、これがイッカクの牙だと承知していた。同じことがヨーロッパでも起きた。イングランドのチャールズ1世が所有していた1本の角の価格は、1630年には8千ポンドだったが、1649年には600ポンドに下落した。

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