ロシアのツァーリがすがった奇妙な医術

レオニード・ガイダイ/モスフィルム、1973年
 ヨーロッパがルネッサンス時代を迎え、とりわけ科学や医学の分野で発展を見ていた頃、ロシアのツァーリは依然として呪術医や魔術師が用いる古代の医術にしがみついていた。それはなぜだろう。

 ロシアのツァーリは真の敬虔な正教徒だった。したがって彼らにとっては、プロテスタントやカトリックがもたらす医学は眉唾物だった。本当に重篤な場合でも、ツァーリはまず国内の医師に助けを求めた。ロシアのツァーリたちが利用した奇天烈な医術を見てみよう。

瀉血――猛禽を使って

 静脈切開または瀉血は、最も一般的な外科治療法の一つで、古代から19世紀末まで、実に2千年以上にわたって実践されてきた。高血圧に対処する方法が他にない中、瀉血は患者を一時的に落ち着かせて気分を楽にする方法として普及していた。

 瀉血を行ったツァーリとして最初の記録があるのは、ロマノフ朝初代の君主、ミハイル・フョードロヴィチ(1629-1645)だ。彼の息子アレクセイ(1629-1676)に関する記録も残されているが、鷹狩に熱中していた彼は、奇想天外な方法で瀉血を行っていた。つまり、腕に鷹を乗せ、嘴で血管を開かせたのだ。

 アレクセイは貴族も一緒に瀉血することを要求した。ドイツ人旅行家のアウグスティン・マイアーベルクによれば、ある時貴族のロジオン・ストレシネフが高齢で体が弱いことを理由に瀉血を拒絶しようとすると、アレクセイは彼の顔を平手で打ち、背中を蹴って、こう叫んだという。「下らん奴隷め、君主を蔑ろにするか。貴様の血は朕の血より上等なのか!」 ストレシネフは従わざるを得なかった。

宝石――イワン雷帝の情熱

イングランド使節ジェローム・ホーセイを宝物部屋に招くイヴァン4世

 モスクワ大公のイワン雷帝(1530-1584)は、宝石の治癒効果を信じていた。雷帝のパナギア(首から下げるイコン付きメダル)には、「治癒効果のある」真珠やサファイアがあしらわれていた。モスクワへ派遣された英国の外交官ジェロム・ホーシーは、イワン雷帝が自分の宝石を見せびらかしてその効能を語っていた時の様子を書き留めている。

 「彼は赤珊瑚とトルコ石を腕に付けていた。哀れな男は石の色の変化を病気の影響だと指摘していた。その病気というのは、彼の血を毒しており、いずれ死に至らしめるのだという。[雷帝が言うには]『ダイアモンドは怒りと贅沢を抑える。ルビーは心臓、脳、活力、記憶力に特に良く効く。エメラルドは虹の性質を持っている。この貴石は不浄にとって敵だ。サファイアは大きな喜びを秘めている。心の勇気、歓喜を保ち、増幅する。これらはすべて神からの素晴らしい賜物であり、自然の神秘である。神はこれらを人が恵みと善の友として、また悪の敵として熟慮して利用するために賜るのだ。』」

酒――ロシア最初のウォッカは薬局で売られていた

1リトル、0,5リトル、0,25リトルのウォッカボトル

 アルコール度数の高い蒸留酒は、もともと薬の一種としてロシアに登場した。14世紀から15世紀頃、ある種のウォッカがヨーロッパの商人によってモスクワ諸公に紹介された。「ウォッカ」という言葉がロシア語に現れたのは16世紀初めで、アルコール度数の高いハーブのチンキを意味していた。おそらく同じ時期に、ツァーリの召使がヨーロッパのワインを蒸留して少量の酒を作り始めた。この「ウォッカ」はモスクワの赤の広場の薬屋で売られたが、非常に高価だったため、最も裕福なモスクワ市民にしか買えなかった。

 ワインもまた薬として使われていた。身体を温め、発汗を促すためだ。ミハイル・フョードロヴィチが死の床に伏した時、主治医は温めたラインワイン(白ワイン)で「彼の肝臓の洗浄」を試みた。だがツァーリは結局没した。

ユニコーンの角――鳩で「鑑定」

ユニコーン、版画

 中世には、ユニコーンが人跡未踏の地で草を食んでいると信じられていた。初期のロシアのツァーリにとって、ユニコーンは神聖で霊的な力の象徴だった。ユニコーンはイワン雷帝の印璽にも用いられていた。ユニコーンとその角の神秘的な力に関する伝説は16世紀以前からロシアに広まっており、イワン雷帝は「ユニコーンの角」(実際のところイッカクの牙だろう)でできた王笏を持っていた。

 「ユニコーンの角」(およびそれを挽いた粉)は万能の解毒剤と信じられていた。1654年、ツァーリのアレクセイはドイツのリューベックから角を取り寄せた。翌年、ツァーリは11000ルーブルで3本の角を買った。ユニコーンの角は当時金の50倍(!)の価値があった。

 角はどのようにして鑑定されたのだろうか。ケンブリッジ大学の研究者、クレア・グリフィン博士によれば、モスクワのツァーリの宮廷では鳩が毒見に使われていた。1羽目はヒ素を、2羽目はヒ素と角の粉末を、3羽目は角の粉末の後にヒ素を食べさせられた。初めは3羽とも生きているが、実験を繰り返して3羽目だけが生き残れば、角が「本物であること」が証明される。だが1669年、ツァーリの医師らが独自の調査を行い、その上で角の使用をやめた。彼らはこれが「海のユニコーン」、すなわちイッカクの牙であることを突き止めたのだ。18世紀には、時代遅れの薬に対する信仰は徐々に消えていった。

ヒ素

ヒ素

 イワン雷帝は古代ロシアの貴族と戦っていた。リューリク家の公たちや貴族たちは、彼を廃位しようと画策していたのだ。イワンは積極的に毒を使った。1570年、彼はドイツ人物理学者のエリゼウス・ボメリウスを招き、敵を殺すための毒を調合させた。また、自分自身が毒殺されることを恐れたイワンは、当時最も入手しやすい定番の毒だったヒ素を毎日少しずつ摂取し、毒を盛られても耐えられるよう耐性をつけようとした。

 16世紀から17世紀のモスクワのツァーリたちは、自分の食べるすべての料理を召使に毒見させるというルールを持っていた。医師がツァーリのために薬を調剤した場合、医師は常にそれをツァーリの摂取量の数倍飲まなければならなかった。君主の毒殺を難しくするための対策だ。だが、1965年にイワンの遺体に対して行われた化学調査で判明したことには、ツァーリの死因は水銀中毒だった。

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