1221年に築かれたニジニー・ノヴゴロド(モスクワの400キロメートル東)はロシアで特に人口が多く(120万人)、観光客がよく訪れる街の一つだ。古代のクレムリン、数世紀前に建てられた建物と心地の良い舗装道路(エカテリーナ大帝が1767年に街を訪れた際に採用された標準的な街並み)、ヴォルガ川の絶景が、現地の住人や旅行客の心を温める。ところで、多くの人がこの街をロシア北西部にあるヴェリーキー・ノヴゴロド(859年創建)と混同する。ロシア語で「ノヴゴロド」は「新しい街」を意味するが、幸いこの名を持つ都市はロシアに2つだけだ。つまり「下の新しい街」(ニジニー・ノヴゴロド)と「偉大な新しい街」(ヴェリーキー・ノヴゴロド)だけである。GAZ自動車を生産する国内最古かつ最大の自動車工場の一つが今なおニジニー(ロシア人はよく「ノヴゴロド」を省略する)にある。この街が「ロシアのデトロイト」として知られるのはそのためだ。ソビエト時代はこの街出身のソ連の主要な作家マクシム・ゴーリキーに因んで「ゴーリキー」と呼ばれていた。
鋼鉄と金属の歴史が目立つが、ニジニー・ノヴゴロドは何とも詩的な「夕暮れの都」の異名を持つ。この街の昔と今の写真を比べてみよう。
ニジニー・ノヴゴロドの石造りの要塞は16世紀にチャソヴァヤ丘(歩哨丘)に建てられた。これはドミトリエフスカヤ塔の前から見た砦の最も有名な姿だ。かつては塔の前に堀があり、水を湛えていた。18世紀末、堀は埋められ、塔は6㍍ほど地面に埋まってしまった。塔がロシア様式のファサードを得たのは19世紀末のことだ。
モスクワの赤の広場には1611年にポーランドの干渉に対する民衆蜂起を主導したミーニンとポジャルスキーの銅像があるが、なんと瓜二つの銅像がニジニー・ノヴゴロドにもある。義勇軍がここに集結したことが理由だ。街の商人クジマ・ミーニンは全市民に蜂起を呼び掛け、公ドミトリー・ポジャルスキーがその指導者に選ばれた。モスクワがポーランド人から解放された日(11月4日)はロシアでは2005年以降「民族統一の日」という祝日になっている。義勇軍が集結したニジニー・ノヴゴロドのスコバー広場は「民族統一広場」と改称され、2人の国民的英雄の像が建てられた。
560段あるチカロフの階段は、ロシア最長の階段の一つだ。この階段が作られた場所は「ヴォルガ坂」と呼ばれ、ヴォルガ川の絶景が見渡せるため地元住人の間でとても人気がある。飛行士のヴァレリー・チカロフに因んで名付けられたこの階段は、ニジニー・ノヴゴロド旧市街にある土手の上下を結んでいる。モスクワ大学やワルシャワの文化科学宮殿などスターリン帝国様式の建物を設計したことで知られるレフ・ルードネフも建設に参加した。
驚くべきことに、19世紀末にはニジニー・ノヴゴロドの中心部にクレムリンのそばを通る2両のケーブルカーが運行していた。文字通り水力で動いていた。車内にタンクがあり、上の駅でタンクを水で満たし、下の駅で水を抜く。上のケーブルカーが下れば、下のケーブルカーはその牽引力で上っていく。2両が同時に動くわけだ。ケーブルカーは1920年代に路面電車が開通したことで廃線となった。現在は遺構しか残っていないが、市の当局はすでにこの種の交通機関を復活させることを公約している。なおニジニー・ノヴゴロドには今でも運行しているロープウェイがあり、ヴォルガ川を挟んだ対岸の街ボルとこの街を結んでいる。
ニジニー・ノヴゴロドの目抜き通りは数世紀の間に何度も変貌を遂げてきた。1917年の革命の前、ここは貴族が好んで暮らす地区だった。通り沿いには今でも石造の豪邸や劇場、教会が立ち並ぶ。ひときわ美しいのは新ロシア様式で建てられた国立銀行の建物だ。1913年にロマノフ王朝300年祭を記念して開業した。20世紀初め、この通りにロシア最初の路面電車の一つが開通した。しかし1980年代には歩行者専用となった。
もう一つの古い通り、ロジデストヴェンスカヤ通りには歴史ある路面電車が今でも走っている。しかし今では観光用で、夏季しか運行していない。この通りは革命前の情緒を今にとどめている。ストロガノフ邸やゴリツィン邸、至聖生神女降誕教会、モスクワとサンクトペテルブルク以外で最初に登場したショッピングセンター「ブリノフスキー・パサーシュ」など、ほとんど帝政期のままの姿を保つ建物を目にすることができる。
ニジニー・ノヴゴロドはロシアで地下鉄を持つ7都市の一つだ。ニジニー・ノヴゴロド地下鉄は1985年に開業した。ソビエト時代、人口100万人以上の街にしか地下鉄は作られなかった。路線は2つだけで、一日11万5000人の通勤客が利用しているが、地上の交通機関より利用客は少ない。近い将来、オカ川の対岸に新駅を建設する計画がある。
グレブノイ運河の土手に立つ新構成主義様式の審判塔は、1988年に第2回全ソ青年ボート競技大会のために建てられた。経年劣化が激しかったが、都市創建800周年に合わせて最近修復された。もちろんカフェと休憩所も加わった。なかなか素敵でしょう?
ニジニー・ノヴゴロドのGAZ(ゴーリキー自動車工場)はロシアで最初にできた自動車工場の一つだ。初期のトラックや乗用車はフォードの車をライセンス生産していた。1920年代から1930年代、米国の専門家がやって来て工場と労働者向けの「社会主義の街」の建設を手伝った。戦後、自動車の「ヴォルガ」と「チャイカ」はソ連の自動車の中で最も高価で、庶民の夢だった。現在も工場は操業しているが、生産品目は主にトラックとミニバスになっている。
ニジニー・ノヴゴロドを代表する大聖堂は街随一の絶景スポット、ヴォルガ川とオカ川が交わる砂嘴に立っている。国中から定期市に集まった商人が教区信徒だったため、かつては「市場教会」と呼ばれた。また教会は夏にしか開いていなかった。ソビエト時代、イコノスタシスは家庭の暖房用の薪にされた。建物自体を解体して灯台とレーニン像を建てる計画さえあった。しかし大聖堂は保存され(1980年代にボランティアによって修復された)、2009年には街の主要な教会としての地位を取り戻した。
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