「スターリン航路」:ソ連のパイロットらはどのように初の北極横断飛行を成し遂げたか

 1930年代、伝説的な航空家ヴァレリー・チカロフに率いられたパイロット・チームが、北極をまたいで欧州と新大陸とを結ぶ最初の架け橋となった。

 

モスクワから極東まで記録的な飛行(スターリン航路)を行ったトゥポレフANT-25。

 1930年代初頭、ソ連は世界をリードする航空大国としての地位を証明しようとしていた。そこでソ連の指導部は、北極を横断してアメリカに至る超長距離飛行を実行することを思い付いた。計画実現のため特別な飛行機が開発されたが、その際航空機開発者のアンドレイ・トゥポレフがこの任務の陣頭指揮を執るよう命じられた。

1937年 6月 18 日にモスクワー北極ー米国という航路で飛行し、バンクーバーで到着したANT-25。

 トゥポレフANT-25は独特のデザインをしていた。翼長は33メートルで、当初はそれ以上長くなる可能性もあった。史上初めて、飛行機の翼が燃料タンクを兼ねることとなった。ANT-25は最大7トンもの燃料を運ぶことができた。アメリカに飛ぶため、飛行機は極度の低温に耐えるよう特別に最新化された。

妻オリガと息子イーゴリとのヴァレリー・チカロフ、モスクワー北極ーバンクーバーの飛行後。ベロルースキー駅での歓迎。1937 年7 月12-14日。

 1935年、北極を横断してサンフランシスコへ向かう挑戦は失敗に終わった。乗組員がバレンツ海上で燃料漏れを発見したのだ。彼らは基地に戻るよう命じられた。この失敗によって、北極横断飛行は不可能だという見方が強まった。しかし、1935年の飛行に参加した乗組員の2人は、この試みを成功させようと決意しており、「ロシアのリンドバーグ」と称されたソ連の著名なパイロット、ヴァレリー・チカロフ(写真はチカロフと妻、息子)に、重大な任務を引き受ける気がないか尋ねた。

チカロフに挨拶をしているスターリン。そばにはヴォロシーロフ、カガノーヴィチ、ベリャコフ。

  チカロフはソ連の指導者ヨシフ・スターリンと良好な関係にあり、これが奏功した。ソビエト政権は彼の新たな挑戦にゴーサインを出した。ただしある条件付きで。米国へ飛行する前に、乗組員らはまずソ連内で新記録の樹立に挑むよう命じられた。飛行は1936年に行われ、3人のパイロットそれぞれがソビエトの最高勲章を受賞した。彼らは「ソ連邦英雄」となったのだ。ANT-25は56時間飛行し、モスクワから9374キロメートル離れた極東の一地点に到達した。

モスクワー北極ーバンクーバ(ワシントン州、米国)という記録的な飛行を行ったソ連邦英雄、アレクサンドル・べリャコフ、ヴァレリー・チカロフ、ゲオルギー・バイドゥコフ。

 この長距離飛行に成功した後、ANT-25は1937年6月18日にアメリカ沿岸部に向けて離陸した。目的地はサンフランシスコだ。乗組員は同じで、機長はヴァレリー・チカロフ、副操縦士はゲオルギー・バイドゥコフ、航法士はアレクサンドル・べリャコフだった。この飛行時間は前回より長く、63時間25分にも及ぶ過酷なものだった。ソ連のマスコミは両飛行を「スターリン航路」と名付けた。

飛行中のANT-25。機長はヴァレリー・チカロフ、副操縦士はゲオルギー・バイドゥコフ、航法士はアレクサンドル・べリャコフ。

  8500キロメートルの長距離飛行の大部分において、飛行機は酷い天候、酷い視界不良の中、氷の上を飛んだ。乗組員はかなり基本的なナビゲーションシステムに頼らなければならなかった。コックピットの室温は氷点下となり、酸素も不十分だった。また飛行機は時折高度5000メートル以上まで上昇する必要があったが、そこではシステムの一部が作動しなくなるという困難にも直面した。パイロットらにとって神経をすり減らされる飛行であったことは想像に難くない。

モスクワー北極ーポートランド (米国)の超長距離飛行を記念に発行された切手。

 6月20日、彼らはサンフランシスコまで十分な燃料がないことに気付いた。そこで彼らはバンクーバー近くの軍事飛行場(ワシントン州)に着陸することを決めた。着陸はスムーズに成功した。ロシアのパイロットらは英雄のように歓待された。感銘を受けた記者らから、飛行機のエンジンはどこの国のものか(イギリス製かアメリカ製か、それともドイツ製か)尋ねられたチカロフは、自信を持ってこう答えた。「エンブレムを見てほしい。すべて我々が、ロシアが、ソビエトが作ったものだ。」 到着後、ソビエトの飛行士たちは、ジョージ・マーシャル将軍の家で時を過ごした。将軍はのちにアメリカ国務長官や国防長官を歴任した人物で、当時はバンクーバーに勤務していた。

フランクリン・D・ルーズベルト大統領に迎えられたゲオルギー・バイドゥコフ、ヴァレリー・チカロフ、在米国ソ連大使、アレクサンドル・べリャコフ(左から右)がホワイトハウスを去る。

 米国滞在中、彼らはサンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク、ワシントンD.C.を訪れた。ワシントンD.C.では、フランクリン・D・ルーズベルト大統領に迎えられた。予定では会談は15分だったが、大統領はパイロットらと2時間も話した。在米国ソ連大使(写真中、唯一明るいスーツを着ている人物)が彼らに同行していた。

モスクワの住民がモスクワー北極ー米国の飛行を行ったアレクサンドル・べリャコフ、ヴァレリー・チカロフ、ゲオルギー・バイドゥコフを歓迎している。

 ソ連に帰ると、彼らはスターリンから直接歓迎を受けた。帰国後は皆が彼らと話したがるため、ろくに眠れなかったとチカロフは回想している。

ソ連邦英雄、試験操縦士ウラジーミル・コッキナキ

 2年後、ウラジーミル・コッキナキ(写真)とミハイル・ゴリディエンコが、カナダまでの無着陸飛行を成し遂げた。この航路はアイスランドやグリーンランドを通っていた。彼らは53時間で8000キロメートル以上の距離を横断した。1950年代以降、このルートはモスクワからニューヨークへ向かう商業用航路となった。

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