ユーリー・ガガーリンの死の謎:なぜ人類初の宇宙飛行士は若くして亡くなったか

Sputnik
 彼は宇宙を制覇したが、日常的な訓練飛行中に事故死した。しかし彼の死は謎に包まれており、これまで多くの疑問が提起され、いくつもの説が提唱されてきた。

 ユーリー・ガガーリンが伝説的な地位を得たのは、1961年4月12日、彼が人類初の宇宙飛行を成し遂げた時だ。彼は平凡なパイロットとして地球を飛び立ち、象徴的存在となって帰ってきた。ソ連では彼はロックスターのように崇められた。

 ガガーリンが輝かしい栄光の旅から帰ると、ソ連当局はすぐさま彼を30ヶ国ほどを巡る「ツアー」に送り出した。彼は英国女王エリザベス2世とも昼食をとり、君主と予定外の写真撮影も行った。エジプト大統領はガガーリンにカイロとアレクサンドリアの門の金の鍵を授け、ハバナではフィデル・カストロが彼を熱く抱擁した。ソビエトの宇宙飛行士は日本にも訪れ、9日間滞在した。

フィデル・カストロがユーリー・ガガーリンと会合する。1961年6月26日。

 若くハンサムで笑顔溢れ世界中の人々に慕われたガガーリンが7年後に亡くなるとは、誰も予想していなかった。

次なる宇宙飛行に向けて

 3年かけて世界を回った後、ガガーリンは仕事に戻った。飛行技術を磨くため、彼はジュコフスキー空軍工学アカデミーの飛行訓練プログラムに参加した。再び宇宙へ行くことを切望していたのだ。

ユーリー・ガガーリン、1962年6月1日。

 「我々はガガーリンを博物館の置物にはできない。そんなことをしたら彼は死んでしまうだろう」とソビエト宇宙プログラムにおける宇宙飛行士養成の責任者、ニコライ・カマニンは綴っている。カマニンはガガーリンの上司であり、友人でもあった。カマニンの言葉は、ソ連政府がガガーリンを次なる宇宙任務に送り出そうとしていたことを示唆している。しかし機会は訪れなかった。

墜落

 1968年3月27日。この日は曇りだった。ガガーリンは、教官のウラジーミル・セリョーギンとともにジェット戦闘機MiG-15UTIに乗って訓練飛行を行っていた。セリョーギン大佐は第二次世界大戦中にソ連邦英雄の勲章を授かった熟練パイロットだった。彼は、ガガーリンを新型のジェット戦闘機MiG-17に乗せる前に、その飛行技術を確認しているところだった。

 午前10時19分、ガガーリンとセリョーギンはチカロフスキー軍用飛行場から離陸した。計画では、少なくとも30分間飛行するはずだった。しかし10時32分、ガガーリンは地上の管制塔に、飛行場に引き返すと伝えた。それから間もなく、ジェット戦闘機との連絡は途絶えた。

ガガーリンがジェット戦闘機MiG-21の機室で訓練飛行の準備をしている。1967年10月1967日。

 戦闘機がレーダーから消えた後、当局は飛行機とヘリコプターを派遣して捜索活動を行わせた。4時間後、戦闘機の残骸がキルジャチ市(ウラジーミル州、モスクワの133キロメートル東)の近郊で発見された。墜落現場は滅茶苦茶で、2人のパイロットの遺体は消え去っていた。ガガーリンとセリョーギンの遺体を特定することは困難を極めた。

 「ガガーリンが亡くなったなどとは想像もできなかった。ガガーリンは生命に溢れており、空と宇宙を飛ぶことに果てしない夢を抱いていた」とカマニンは話している。だが宇宙飛行士は他界した。彼の死亡事故の調査が始まった。

公式見解:ゴム気球が死亡事故につながった

 捜査の結論が公式に公開されたのは2011年のことだった。ガガーリンの宇宙飛行50周年を期に、ロシア当局が調査結果の機密指定を解除したのだ。

 「事故の原因として最も可能性が高いのは、気象観測用ゴム気球との衝突を避けようと急な舵を切ったということだ。これでジェット戦闘機は危険な飛行状態に陥り、螺旋降下したのだろう」と大統領公文書館の職員、アレクサンドル・ステパノフは話す

 この見解では、とてつもない不幸がガガーリンの死につながったことになる。大きなゴム気球が飛行区域に現れ、パイロットらはそれを必死に避けようとして修正不可能な垂直降下状態に陥ってしまった。機体重量が増されていた(戦闘機には燃料タンクが2つ追加され、速度を抑えられていた)ことと、雲が厚かったことも災いした。

 しかし、皆がこの公式見解に納得したわけではない。結果としてさまざまな説が登場している。

4つの異説

赤の広場で行われた喪のミーティングの参加者。1968年3月30日。

1) セリョーギンが突然意識を失った

 「私はセリョーギンが心臓発作に襲われたという説を取る。おそらく彼が操縦桿の一つに倒れ込み、それが大惨事につながったのだ」とソビエトの宇宙飛行士、ヴィタリー・ジョロボフは話している

2) 減圧がパイロットらの死につながった

 ガガーリンの死の調査に関わったパイロット、イーゴリ・クズネツォフは、コックピット内の予期せぬ減圧が原因でパイロットらが死亡したのだと考えている。高度4000メートルを飛行中に気圧と高度が下がり初め、パイロットが意識を失って戦闘機を制御できなくなったのだという人もいる。

3) エンジンが故障した

 また別の説は、MiG-15がスピンして制御不能に陥った可能性を指摘している。

 技師のワレンチン・コズィレフは、調査官の一人から、戦闘機のエンジン故障が垂直降下につながったと聞かされたことを回想録に記している。パイロットらは問題に対処しようとしたが、努力も虚しく墜落した。

4) 別のジェット機が事故の原因となった

 ガガーリンの同僚で人類初の宇宙遊泳(1965年)を行った宇宙飛行士、アレクセイ・レオノフは、この説を支持している。2013年、彼は別のジェット機の迂闊な操作がガガーリンとセリョーギンを死に追いやったと述べた。問題のジェット機が2人の前を超音速で横切ったことで、MiG-15は垂直降下状態に陥ったという

 これらの説はいずれも立証されていない。明らかなのは、ガガーリンとセリョーギンが技術的な問題や悪天候、あるいはヒューマンエラーに起因する悲劇的な状況の中で亡くなったということだ。

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