ロシアでの金の採掘の歴史は中世に遡る。当時、金の採掘は産業レベル・個人レベルで行われていた。個人が貴金属の鉱脈を探すことに特に規制はなかった。
ヴィイチムスキー山岳域の会社における金の取得と秤量。イルクーツク州、ロシア帝国、1909年。
Sputnikアメリカ同様、ロシア帝国はシベリアとウラル山脈を中心に19世紀に何度かゴールドラッシュを経験した。何千もの探鉱者が新しく見つかった金鉱に遠方から押し寄せた。都市部で金を探す者もいた。
ミハイロー・アルハンゲルスキー金山での「スタラーテリ」(試掘者)という採金の会社による金を含んでいる鉱石が手で採掘されている。 イルクツク州、ロシア帝国、1908年。
Sputnikロシアは個人の金鉱探しを許していただけでなく、税金の納入を条件に探鉱者を全面的に支援していた。
レーナ金山の労働者。ケメロヴォ州、ロシア帝国、1912年。
Sputnik1917年に共産党が実権を握って経済を国有化したのちも、個人の金の採掘が完全に禁止されたわけではない。例えば、個人採掘者は鉱山から出た廃棄土砂の集積場で金探しをすることは認められていた。
金鉱地で金を掘る鉱山労働者が職場に向かっている。1936年。
ゲオルギー・’ゼルマ撮影/Sputnikソビエト時代初期、人々が国に売る金をどのように手に入れているのか、誰も気にしなかった。金を盗んだ者は死刑になり得たにもかかわらず、大量の金が採掘企業から盗み出された。結局1954年に個人が金を採掘することを全面的に禁じる法律が可決された。
コリマ川アリスケロフ採金地、ビリビノ市マガダン州、1964年。ここは、砂金の処理能力が一日に数千トンで、数百人の労働者を交代している。
レフ・オウスチノフ撮影/Sputnik禁令は1992年から1998年までの短い休止を挟んで60年以上実施された。政府は最近になってようやくロシア国民の個人レベルでの金の採掘を認めた。だが多くの規制がある。
アルテリ Ltd. "Uryumkan"はウリュムカン川の流域で10年にわたって金砂を発掘している。ここには12時間の二つのシフトで約160人が勤めている。彼らは春から冬にかけて、毎日1.5キロから 4 キロまで金砂を洗っている。冬には家に帰る。
Georgiy Rozov撮影/Global Look Press個人探鉱者は免許を得た後、小さな土地(0.15平方キロメートル未満)でしか金鉱探しができず、免許の期限も5年間しかない。金の埋蔵予想量も合わせて10キログラム未満だ。爆薬の使用も禁止されている。
アルテリ Ltd. "Uryumkan"はウリュムカン川の流域で10年にわたって金砂を発掘している。ここには12時間の二つのシフトで約160人が勤めている。彼らは春から冬にかけて、毎日1.5キロから 4 キロまで金砂を洗っている。冬には家に帰る。
Georgiy Rozov撮影/Global Look Pressこのような金採掘が許されているのは現在ロシア極東のマガダン州だけだ。この州はプロジェクトの試験的実施のために選ばれた。小さな金鉱脈が点在するマガダン州は、大企業にはさしたる関心の対象になっていない。 9) 本物の金鉱探索者の気分を味わうのに企業家やプロの探鉱者である必要はない。ウラル山脈で金や貴金属を探す特別な「鉱物ツアー」が数多く実施されている。
アルテリ Ltd. "Uryumkan"はウリュムカン川の流域で10年にわたって金砂を発掘している。ここには12時間の二つのシフトで約160人が勤めている。彼らは春から冬にかけて、毎日1.5キロから 4 キロまで金砂を洗っている。冬には家に帰る。
Georgiy Rozov撮影/Global Look Press「金の小片は太陽光の反射を頼りに見つけることができ、金探しに本当にすぐ熱中してしまう」とツアーに参加したエレナ・パホモワさんは話す。
アルテリ Ltd. "Uryumkan"はウリュムカン川の流域で10年にわたって金砂を発掘している。ここには12時間の二つのシフトで約160人が勤めている。彼らは春から冬にかけて、毎日1.5キロから 4 キロまで金砂を洗っている。冬には家に帰る。
Georgiy Rozov撮影/Global Look Pressとは言え、ツアーの目的は娯楽であって、金儲けではない。見つけたものはすべて国に納めなければならず、さもなくば最大50万ルーブル(8000ドル)の罰金を課される。参加者に持ち帰りが許されているのは、外見が金に似ている黄鉄鉱だけだ。せめてもの記念にはなるだろう。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。