「黄金の環」のウグリチ:雷帝の息子が非業の死を遂げた街で何を見る?

血の上の聖デミトリオス聖堂

Konstantin Kokoshkin/Global Look Press
 ヴォルガ川が湾曲するところにある古都ウグリチは、絵のように美しい景観にもかかわらず、数々の悲劇と謎めいた事件の舞台となっている。

アクセス:ヴォルガ川をクルーズ船で行けば、モスクワからなら2日間、サンクトペテルブルクからなら8日間。バスなら、モスクワから45時間、ヤロスラヴリから2時間45分。

 ウグリチ市は、ヴォルガ川の「ウゴル(角)」にある。つまり、ここで欧州最長の大河ヴォルガは少し湾曲してから、巨大なルイビンスコエ貯水池に注ぐ。都市名はそのことに由来する。

次がウグリチでやるべきことの簡単なチェックリストだ。 

  • ウグリチのクレムリンのすべての建物をまわる。
  • 「血の上の聖デミトリオス聖堂」のフレスコ画を見て、イワン雷帝の息子ドミトリーの殺害(?)の経緯を知る。ドミトリーの死は、ロシアの「大動乱」(スムータ)を招いた。
  • 船着き場に停泊している船を眺めて楽しむ。
  • クレムリンのそばの「蚤の市」で小物やアクセサリーを買う。
  • ヴォルガ河岸を散策し、稼働している強力な水力発電所を写真に撮る。
  • 食堂「ヴォルガ」でソ連式の食事をする。

「黄金の環」のダイヤモンド

 ウグリチは、ヤロスラヴリ州にあり、州都ヤロスラヴリから100キロメートル。「黄金の環」の街道から少し離れているが、それでも「環」の輝かしい一部をなしている。

 この街の家屋はほとんどすべて木造で、文字通り一歩ごとに、信じ難いほど美しい教会や修道院に出会う。

 小さな家々とコントラストをなしているのが、神現女子修道院(ボゴヤフレンスキー女子修道院)の巨大な白い建物だ(神現〈カトリックの「主の公現」に相当〉は、主の洗礼を記念する)。市の中心部の入り口にそびえており、その青いドームは遠くからも望める(ところで、青いドームは常にその教会が聖母を記念していることを意味する)。

 ウグリチ建設の正確な年代は分からないが、歴史家たちは937年説に傾いている。年代記における最初の言及は1148年(モスクワに関する最初の言及の1年後)にまでさかのぼり、封建的に分裂した中世ロシアにおける、公たちの間の内訌に関係している。

 ウグリチの主な名所旧跡はクレムリン(要塞)に集中している。しかしここには、要塞に通常ある城壁は見当たらない。一方からヴォルガ川が、他方から水で満たされた深く広い堀が取り囲み、防御機能を果たしているからだ。

ウグリチのクレムリン

ドミトリー皇子の殺害

 イワン雷帝(4世)は、後継者に恵まれなかった。帝位の主な候補者だったイワンは、不可解な状況で亡くなった(雷帝自身がたまたま杖で殴り、殺してしまったとの噂が流れた。画家イリヤ・レーピンは、その場面を有名な絵画に表している)。もう一人の息子、フョードルはいろいろ問題があり、少なくとも「意志薄弱」だと言われていた。雷帝の死後、フョードルが即位したが、大貴族たちが実権を握った。

 しかし、息子がもう一人いた。皇太子ドミトリーは、イワン雷帝とその7番目の皇妃マリヤ・ナガヤの間に生まれた。正教会の教会法では、正当な結婚と認められていない。3度目の結婚までしか合法とされないからだ。

 そのため、母子はウグリチに遠ざけられていた。クレムリンには、母子が住んでいた住まいが保存されている。これは、15世紀に建てられたウグリチ公の館だ。19世紀末に、ここに「古代博物館」開設され、今でも機能している。

ウグリチ公の館

 1591515日、遊んでいたドミトリー皇子は、喉を切られた死体で発見された。彼の死をめぐる状況は不明だ。殺害説もあれば、ナイフを投げたりして遊んでいたときに、てんかんを病んでいた皇太子がうっかり自分を傷つけてしまったという説もある。

 いずれにせよ、8歳の少年の死は、「大動乱」(スムータ)の一因となった。自分は奇跡的に助かったドミトリーだと名乗る僭称者が二人現れ、これが外国の干渉軍にかつがれて、ロシアを揺るがすことになった

 168192年、ドミトリー皇子が非業の死を遂げたその場所に、「血の上の聖デミトリオス聖堂」が建立された。例えば、The Telegraphは、「世界で最も美しい23の聖堂」のリストに、これを含めている。

血の上の聖デミトリオス聖堂

 聖堂の中では、殺人のシーン、殺人者に対する群衆の制裁と暴動の場面が、壁画に描かれている。世界の創造に関する聖書の物語を表した壁画もある。これは正教会では珍しい。正教会の壁画には、『新約聖書』の物語が描かれるのが普通だから。

血の上の聖デミトリオス聖堂の内装

水力発電所建設と、スターリンが撤去させなかった教会

 ウグリチの特別な地理的条件により、ここで1930年代に、ソ連時代最古の水力発電所の一つを建設することが可能になった。その建設中に、多数の歴史的建造物が容赦なく破壊され、いくつかの修道院や教会が水没、または撤去されてしまった。

 だが、「洗礼者ヨハネ生誕聖堂」は、奇跡的に破壊を免れた。これは、富裕な商人、ニキーフォル・チェポロソフが、惨殺された幼い息子を記念して、1689年に建てたものだ。

洗礼者ヨハネ生誕聖堂

 スターリン時代でさえ、このような見事な芸術作品とも言うべき教会を破壊することは蛮行とみなされた。水力発電所の計画は修正され、少し上流に建設された。ちなみに、伝説的な画家・宗教家ニコライ・レーリヒには、この教会を描いた絵がある。

ニコライ・レーリヒ、ウグリチ、1904年

 第二次世界大戦中、この水力発電所は、モスクワ全体に電力を供給していた。今日では、その建造物はひとつの文化遺産となっており、規模、均整のとれた建築、壮大な美しさで際立っている。

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